音楽理論で深掘りする「転回」──和声・旋律・対位法・十二音技法まで

2025年12月12日 最終更新日時 : 2025年12月12日 エバープレイ編集部

音楽における「転回」とは

「転回（てんかい）」は音楽理論で広く用いられる概念で、文脈によって意味が異なります。一般的には「ある音高関係やパターンを別の向きや配置に変えること」を指し、主に次のような領域で扱われます：音程の転回、旋律の転回（鏡像）、和音の転回（ポジションの変更）、対位法的な転回（invertible counterpoint）、そして十二音技法における列の転回。これらは相互に関連しつつ、作曲・編曲・分析の観点から異なる効果と役割を持ちます。

音程の転回（interval inversion）の基礎

音程の転回は、二つの音の上下関係をひっくり返すことを指します。音程の番号的扱いでは、元の音程の数値と転回音程の数値は合わせて9になる（例：3度は6度に、2度は7度に転じる）。また音程の性格（長・短・増・減・完全）は次のように変換されます：長音程↔短音程、増音程↔減音程、完全音程はそのまま（例：完全5度→完全4度）。この性質から、転回は和声的・対位的機能を解析するときの重要な道具になります。

旋律の転回（鏡像）

旋律の転回は、ある旋律線の上行・下行の動きを逆にする手法です。つまり、元の旋律で上行した距離は転回後に下行し、逆もまた然りです。音高軸（鏡の軸）をどこに取るかによって結果が変わります。鏡像旋律はバロックの対位法や古典派・ロマン派の主題変容、近代の技法で頻繁に用いられます。例としては、バッハの対位法的実験（カノンやフーガ）や、ロマン派での主題発展における動機の変形としての使用が挙げられます。

旋律転回には二つの主要な留意点があります。第一に調性感の保持：単純に上下反転すると調内の音階に合わなくなる場合があるため、調を保つための補正（和声的適応）が必要となることが多いです。第二に表情の違い：上行と下行は演奏技法や声の特性によって聴感上の印象が異なるため、転回はそのままでは元の旋律と同じ感情を与えないことがある点です。

和音の転回（和音ポジション）と表記

和音の転回は一番低い音（ベース）を変えることにより和音の「位置」を変える操作です。三和音ならば根音（root）、第一転回（3度がベース）、第二転回（5度がベース）に分類されます。四和音以上ではさらに多くの転回が生じます。和声理論では以下の表記が一般的です：

  • 根音（root position） — 和音の根がベースにある状態。
  • 第一転回（first inversion） — 3度がベース（通例、記譜ではコード記号にスラッシュを付けて例：C/E）。
  • 第二転回（second inversion） — 5度がベース（古典では6/4の記号など）。

バロック期の通奏低音（figured bass）では転回は数字で指定され、6や6/4などが転回和音を表しました。ジャズ・ポピュラーでは「スラッシュコード」（例：C/G, Dm/F）によってベース音を指定し、ベースラインと和声の関係を柔軟に作ります。

転回の機能的・和声的効果

和音転回は和声進行・ベースライン形成・声部間の連結（voice leading）に大きな影響を与えます。例えば第一転回は低音を滑らかに移動させることで和声の繋がりを自然にし、第二転回は一時的な機能（Vの6/4と思われる推移的役割や経過和音）として用いられることが多いです。加えて、音響的なバランスも変わり、和音の密度感や色彩が変化します。

対位法における転回（Invertible counterpoint）

対位法では、二声以上のパートを上下入れ替えても成り立つ構成を作ることがあります。これを可転対位（invertible counterpoint）と呼びます。古典的な実践では、オクターブ・十度・十二度などで可転を行い、種別（2声可転、3声可転、4声可転）が存在します。対位法の教科書では、音程の禁則（平行五度・平行八度の回避など）や声部間の独立性を保つための規則が厳密に扱われます。

バッハのフーガやフランソワ＝ジョセフ・フェルディナンドらの作品には、この可転対位の巧みな使用例が多く見られ、主題の移入や変奏技法として強力です。

十二音技法と転回（row inversion）

20世紀以降の十二音技法（シェーンベルク等）では、基本系列（tone row）に対して転回（inversion）が体系的に用いられます。ここでの転回は、系列の各音程の上行・下行を逆にする操作で、しばしば頭の音を固定して各音のピッチクラスを変換します。数学的には、転回はピッチクラスの変換 f(p) = a - p (mod 12) の形で表され、特定の“軸”を中心に鏡像化されます。

また「逆行転回（retrograde inversion）」という操作もあり、これは系列を逆順にしてから各音程を転回するものです。これらを組み合わせることで、作曲家は主題素材の多様な変形を得て、統一感を保ちながらも変化に富んだ楽曲構築を行います。

表記・分析での実際的ポイント

分析やスコアの書き方では、転回を明確に記述することが重要です。和音転回は先述のスラッシュやfigured bassで示し、旋律転回はしばしば“inv.”などの略記や注釈を用います。十二音技法の分析では、P（原形）、I（転回）、R（逆行）、RI（逆行転回）という表記体系が定着しています。

さらに、実演や編曲では転回に伴う演奏上の問題（音域の都合、楽器特性、倍音の影響）を考慮する必要があります。たとえば木管楽器にとって急激な下行は演奏しづらい場合があり、転回による音域変更がアレンジに影響を与えます。

ジャンル別の応用例：クラシックからポピュラーまで

  • クラシック／バロック：対位法やフーガでの鏡像主題、可転対位の利用。
  • 古典派：主題の展開や和声的な転回を用いた表情の変化。
  • ロマン派：テーマ変奏や動機発展における旋律転回。
  • 近代／十二音：列の転回を体系的に用いることで素材の統一と多様性を両立。
  • ジャズ・ポピュラー：スラッシュコード、ベースライン設計、ボイシング技法での転回活用。

実践的な作曲・編曲のヒント

  • 旋律を転回する際は、調性を保つための音の補整（半音のずらしや代替音）を検討する。単純な鏡像が調的に不自然になることが多いため。
  • 和音転回はベースラインの滑らかさを優先するか、和声の明瞭さを優先するかで使い分ける。第一転回はつなぎに、第二転回は経過的・装飾的に用いると効果的。
  • 対位法的な転回を用いるときは、声部の独立性と不協和解決のルールを守る。速やかな解決を伴うことで秩序が保たれる。
  • 十二音技法で転回を用いる場合は、転回と原形の同一性（モチーフの認知可能性）を意識して配置する。軸の選択が旋律の性格を決める。

転回に関する誤解と注意点

「転回はただ上下を反転させれば良い」と考えるのは誤りです。特に調性音楽では、転回をそのまま使うと和声的に不適合な音が生じることがあるため、修正や再和声化が必要になります。また、転回と逆行（retrograde／後退）は別の操作であり、両者を混同しないことが重要です（逆行は順序を逆にする操作、転回は音程方向を反転する操作）。

まとめ：転回の音楽的価値

転回は単なる技法以上の意味をもち、素材の多面的な提示、和声的な連続性の操作、対位的な巧みさ、そして形式的な統一性の確保に寄与します。作曲者は転回を用いることで既存素材の新たな表情を引き出し、分析者は転回を手がかりに楽曲の構造と作曲意図を読み解くことができます。ジャンルや時代によって使い方は変わりますが、転回の概念自体は音楽の根本である音程関係とその変化を扱ううえで普遍的な道具です。

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