イングリッド・バーグマン — ハリウッドとヨーロッパをつないだ女優の軌跡と遺産

序章 — 国際的スターの誕生

イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman、1915年8月29日〜1982年8月29日)は、スウェーデン出身の女優で、ハリウッドとヨーロッパ映画の両方で活躍し、映画史に深い足跡を残した人物です。澄んだ目と自然主義的な演技で知られ、古典映画から現代演技の橋渡しをした存在として評価されています。彼女は生涯で3度のアカデミー賞を受賞し、国際的な舞台で名声と論争の両方を経験しました。

生い立ちとスウェーデン時代

バーグマンは1915年にストックホルムで生まれ、幼少期から演劇に親しみ、王立演劇アカデミー(Royal Dramatic Theatre)で学びました。1930年代にはスウェーデンの映画・舞台で活動し、ローカルの人気女優としての地位を築きます。その時期に培った舞台経験と自然な演技は、後の国際舞台での成功の基盤となりました。

ハリウッド進出と代表作の数々

1939年のハリウッド進出以降、バーグマンは急速に国際スターへと駆け上がります。特に1942年の『カサブランカ(Casablanca)』は世界的な成功を収め、彼女の名を不朽のものにしました。その他の主なハリウッド作品には以下が含まれます。

  • 『カサブランカ』(1942) — マイケル・カーティス監督。ハンフリー・ボガートと共演し、映画史に残る名作。
  • 『誰がために鐘は鳴る』(For Whom the Bell Tolls、1943) — アーネスト・ヘミングウェイ原作の映画化に主演。
  • 『ガス燈(Gaslight)』(1944) — ジョージ・キューカー監督。演技が高く評価されアカデミー賞を受賞。
  • 『Spellbound(邦題:白昼の恐怖/あるいは吹雪の中の恋)』(1945)/『Notorious(裏窓ではなくノトーリアス)』(1946) — アルフレッド・ヒッチコック監督作でサスペンス映画に対する彼女の適性を示した。
  • 『聖メリーの鐘(The Bells of St. Mary’s)』(1945) — 感動的なヒューマンドラマでの好演。

アカデミー賞と国際的評価

バーグマンは生涯にわたりアカデミー賞で高い評価を受けました。主な受賞歴は以下の通りです。

  • 『ガス燈』(1944)でアカデミー賞主演女優賞を受賞。
  • 『アナスタシア』(Anastasia、1956)で再び主演女優賞を受賞し、ハリウッドへの復帰を印象づけた。
  • 『オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)』(1974)で助演女優賞を受賞し、生涯3度目のオスカーを獲得した。

これらの受賞は、彼女が演技面で幅広い能力を持ち、長期にわたりトップレベルで活躍し続けたことを示しています。

ロッセリーニとの出会いと論争 — ヨーロッパへの移行

1949年にイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニと出会ったことは、バーグマンの人生とキャリアに大きな転機をもたらしました。二人の関係は公に大きな論争を引き起こし、当時のアメリカ社会では道徳的非難の対象となりました。バーグマンはロッセリーニと共同でイタリア映画に出演し、以下のような重要作を残しています。

  • 『ストロンボリ(Stromboli)』(1950)
  • 『ヨーロッパ ’51(Europe ’51)』(1952)
  • 『旅情(Journey to Italy)』(1954、原題: Voyage to Italy) — 後にヨーロッパの現代映画に大きな影響を与えたと評価される作品。

この時期、バーグマンはアメリカで一時的に批判や疎外を受けましたが、同時に芸術的に挑戦的な作品群を生み出し、女優としての幅を広げました。

ハリウッド復帰と成熟期

論争を経てバーグマンはハリウッドへ復帰し、1956年の『アナスタシア』で主演女優賞を再び受賞するなど、再評価を勝ち取りました。1950年代後半から1970年代にかけては、国際的な作品や舞台での活動を続け、1974年の『オリエント急行殺人事件』で助演女優賞を受賞するなど、晩年に至るまで演技の質は衰えませんでした。1978年にはイングマール・ベルイマン監督の『秋のソナタ(Autumn Sonata)』に主演し、批評家から高い評価を受けています。

演技スタイルと映画への貢献

バーグマンは従来の華やかな“スタースタイル”とは一線を画し、自然主義的で内面に根ざした表現を重視しました。感情表現における繊細さ、目線や小さな仕草で多くを語る能力は、時代を越えて多くの俳優に影響を与えました。ハリウッドの古典的システムとヨーロッパの実験的映画の両方で成功した数少ない女優の一人として、映画表現の多様化に寄与しました。

私生活・家族

私生活では、1937年にペッター・リンドストレームと結婚し娘のピア・リンドストレームをもうけました。後にロベルト・ロッセリーニとの関係を経て、女優イザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)を含む子どもを得ます。彼女の私生活は公的な注目を集め、キャリアの波風ともなりましたが、同時に家族との関係や子育てについても多くの議論と関心を呼びました。

晩年と死、そして遺産

バーグマンは1970年代を通じて映画と舞台で活動を続け、1982年に乳がんのためロンドンで亡くなりました。享年67。没後も彼女の作品は世界中で観続けられ、映画史や演技論の重要な教材となっています。多くの映画祭や映画学校で彼女の演技が取り上げられ、娘のイザベラ・ロッセリーニも映画界で活躍を続けるなど、その血筋と影響は今日に至るまで残っています。

代表作(抜粋)

  • カサブランカ(Casablanca, 1942)
  • 誰がために鐘は鳴る(For Whom the Bell Tolls, 1943)
  • ガス燈(Gaslight, 1944) — アカデミー主演女優賞受賞
  • 白昼の恐怖(Spellbound, 1945)/ノートリアス(Notorious, 1946) — ヒッチコック作品
  • ストロンボリ(Stromboli, 1950)/旅情(Journey to Italy, 1954) — ロッセリーニ監督作
  • アナスタシア(Anastasia, 1956) — アカデミー主演女優賞受賞
  • オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express, 1974) — アカデミー助演女優賞受賞
  • 秋のソナタ(Autumn Sonata, 1978) — イングマール・ベルイマン監督作

結語 — 変わり続ける映画界で光を放った存在

イングリッド・バーグマンは、その美貌だけでなく演技の深さと誠実さによって観客の心を掴み続けました。論争に揺れながらも芸術的探求をやめず、ハリウッドの黄金期とヨーロッパの映画革命の双方において重要な役割を果たしました。今日、彼女の作品を改めて観ることで、映画表現の変遷と一人の女優が時代に及ぼした影響の大きさを実感できます。

参考文献