ヴィンセント・プライス:恐怖を芸術に変えた怪優の素顔と遺産
序章:恐怖の声と洗練された佇まい
ヴィンセント・プライス(Vincent Price、1911–1993)は、映画史における〈ホラーのアイコン〉の一人でありながら、その実像は単なるジャンル俳優にとどまりません。特徴ある低く滑らかな声、優雅で皮肉な物腰、そして美術史への深い造詣──これらが混ざり合い、プライスは独自の存在感を築き上げました。本稿では彼の生涯と代表作、演技スタイル、美術への情熱、文化的影響などを詳しく掘り下げます。
生い立ちと学び
ヴィンセント・レナード・プライス・ジュニアは1911年5月27日、ミズーリ州セントルイスに生まれました。イェール大学を1933年に卒業後、演劇や美術史への関心を深め、ロンドンのコールドゥール・インスティテュート(Courtauld Institute of Art)で美術史を学んでいます。若い頃から舞台経験を積み、ブロードウェイや英国での活動を通じて演技力を培いました。
映画界への本格進出と初期の活躍
1930年代後半から映画出演を始めたプライスは、当初は多彩な役をこなす実力派として注目されました。1940年代から1950年代にかけては『ローラ』(1944)などのノンホラー作品にも出演し、脇役としての評価を築きましたが、やがてホラー映画の世界で特異な立ち位置を確立していきます。
代表作と“ホラー・アイコン”化(1950s〜1960s)
プライスの名を広く知らしめた作品群は1950年代以降に集中します。特に重要なのは次のような作品です。
- House of Wax(蝋人形の館、1953):3Dブームの中で公開された作品で、プライスは複雑な過去を抱えた蝋人形師を演じ、強烈な存在感を示しました。
- The Fly(フライ、1958):プライスは重要な脇役フランソワを演じ、サイエンス・ホラーの傑作で独自の味わいを加えました。
- House on Haunted Hill(1960年公開の英語圏では1959年):ウィリアム・キャッスル監督作品。プライスは不穏で魅力的な屋敷の主人を演じ、観客に強い印象を残しました。
- ロジャー・コーマンとのエドガー・アラン・ポー原作映画群(1960年代):『妖鬼部屋(House of Usher、1960)』『ピットと振り子(The Pit and the Pendulum、1961)』『赤死病の仮面(The Masque of the Red Death、1964)』『ライジング・オブ・リーガイア(The Tomb of Ligeia、1964/65)』など、コーマン監督とのコラボレーションは、プライスを“ゴシックホラーの顔”として確立しました。
これらの作品で見られるのは、ただの怪演ではなく、文学的・美術的な感性を取り入れた演技です。プライスはしばしば洗練された趣味を持つ反英雄や学者、貴族的な狂気の人物を演じ、その矛盾する魅力が観客を惹きつけました。
1970年代以降の特徴的な役どころ
1970年代には『The Abominable Dr. Phibes(1971)』『Dr. Phibes Rises Again(1972)』『Theatre of Blood(1973)』など、黒いユーモアと劇場性の強い作品で独特のポジションを保ちます。『Theatre of Blood』では復讐に燃える俳優を怪演し、道化的かつ演劇的な表現で批評家からも支持されました。
声とナレーション:音の魔術師としての側面
低く艶のある声質はプライス最大の武器の一つでした。1980年代のポップ文化にも影響を与え、マイケル・ジャクソンの『Thriller』(1982)での語りは広く知られています(短い朗読パートを担当)。アニメーションではディズニーの『The Great Mouse Detective(1986)』で悪役ラティガンの声を担当し、声の仕事でも存在感を放ちました。
美術収集家・学者としての顔
プライスは俳優業に並行して美術史家・収集家としても活動しました。コールドゥールでの学びを背景に、絵画や版画の収集、講演、執筆を行い、美術を大衆に普及させることに貢献しました。彼の名を冠したヴァイセント・プライス・アート・ミュージアム(Vincent Price Art Museum)は、カリフォルニアの東ロサンゼルス・カレッジ(ELAC)にゆかりのある施設として、彼のコレクションや寄贈を通じて地域の文化振興に寄与しています。
書籍と料理への関心
プライスは単なる映画スターを超え、料理にも造詣が深く、いくつかの料理本を共著・監修しました。代表的なものに『A Treasury of Great Recipes』(1965年、共著)があり、これは彼と妻らによる名料理のレシピ集で、彼の上品な趣味が伺えます。美術と料理という二つの文化領域で活動したことが、彼の“教養ある怪優”というイメージを補強しました。
私生活と晩年
私生活では複数回の結婚を経験し、晩年は女優コーラル・ブラウン(Coral Browne)と結婚して過ごしました。1993年10月25日、ロサンゼルスで82歳で死去。死因は肺がんによる合併症とされています。晩年もテレビ出演やナレーション、ゲスト出演など精力的に活動を続け、死後もその存在感は色あせません。
演技スタイルと美学——なぜ人々はプライスに惹かれるのか
プライスの魅力は幾つかの要素が重なって生まれます。まず、発声と語りの技巧。ゆったりとしたテンポと明瞭な発音、そして皮肉とユーモアを含んだ間の取り方が観客に強い印象を与えます。次に、役作りにおける“美術的感性”です。彼が演じるキャラクターはしばしば芸術や儀式、装飾に関係する人物であり、その背景が映像美と結びついて作品全体のトーンを作りました。最後に、観る側に安心感を与える“知的な怖さ”。直接的な暴力や血みどろを見せるのではなく、言葉や所作でじわじわと不安を積み上げる手法が、彼の得意とするところでした。
評価とレガシー
生前から高い人気を誇ったプライスは、死後もホラー文化の象徴として評価され続けています。近年ではホラーの“キャンプ性”やゴシック的美学を再評価する動きがあり、彼の作品群は映画史的価値を含めて見直されています。また、彼が与えた影響は映画だけに留まらず、音楽、演劇、ファッション、さらには美術普及の面でも継続的に感じられます。
注意点と見どころ(作品選びのガイド)
プライスを初めて観る人には、以下の作品群をおすすめします。まず演技の魅力を味わうなら『House of Wax』(1953)や『House on Haunted Hill』(1959)。コーマンとのポー作品群はゴシック美や象徴性を楽しめます。さらに1970年代の『The Abominable Dr. Phibes』や『Theatre of Blood』はブラックユーモアと劇場性が楽しめ、彼の演技の幅を実感できます。声の仕事や晩年の味わいを確認するには『The Great Mouse Detective』(1986)や『Edward Scissorhands』(1990)も見逃せません。
まとめ:二面性が生んだ永続的な魅力
ヴィンセント・プライスは〈恐怖〉というジャンルの中で、単なる叫びや恐怖表現を超えた〈様式〉を築きました。知性とユーモア、美術への愛情、そして独特の発声が混ざり合った彼のパフォーマンスは、今日でも多くのクリエイターや観客にインスピレーションを与え続けています。ホラー映画のファンはもちろん、演技や美術に関心のある読者にも価値ある資源を残した存在と言えるでしょう。
参考文献
- Encyclopaedia Britannica: Vincent Price
- New York Times obituary: "Vincent Price Is Dead at 82; Blend of Sophistication and Horror" (1993)
- Vincent Price Art Museum(公式サイト)
- Turner Classic Movies: Vincent Price
- Wikipedia: Vincent Price(参考用)


