ピエール・パオロ・パゾリーニ――詩人・映画作家・論争の軌跡:生涯と主要作品を深掘り
はじめに
ピエール・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini, 1922–1975)は、20世紀イタリアを代表する異才の一人であり、詩人、劇作家、小説家、映画監督、批評家として多彩な活動を残しました。マルクス主義的視座と宗教的・古典的引用を交錯させる独特の思考、美意識、そして社会への痛烈な批判は、今日でも映画や文学、思想界に大きな影響を与え続けています。本稿では、彼の生涯を年表的に追うだけでなく、テーマや映像美学、論争、そして未解決の死に至るまでを深掘りし、観客にとっての入門ガイドと読み解きの指針を提示します。
生い立ちと詩人としての出発
パゾリーニは1922年3月5日、北イタリアのボローニャで生まれました。青年期に詩作を始め、戦後はみずからの貧しい出自や南イタリアの庶民文化に関心を向けるようになります。地方語や俗語に根ざした言語感覚、宗教的イメージの濃厚な引用、そしてマルクス主義への傾倒が、初期の詩作や評論に色濃く反映されました。詩人としての名声を確立した後、彼は映画という表現媒体に強い関心を抱き、1950年代末から映像制作へと活動の中心を移していきます。
映画作家としての特徴
パゾリーニの映画は、ネオレアリズモの影響を受けつつも、非職業俳優の起用、下層階級の視点、そして古典や聖書の引用を大胆に織り交ぜる点で特異です。彼は撮影においてしばしばローマの周縁、南イタリアの農村、あるいは民俗的な祭儀を舞台に選び、現代資本主義がもたらす文化均質化や消費主義を批判しました。さらに、言語と身体、欲望をめぐる問題を鋭く描写し、観客に道徳的・政治的問いを投げかけ続けました。
主要作品とその意義
『アッカットーネ』(Accattone, 1961):パゾリーニの長編監督デビュー作。ローマの下層社会に生きる主人公の堕落と救済の不在を描き、彼の関心が都市の辺縁にある人間にあることを明示しました。
『ママ・ローマ』(Mamma Roma, 1962):アンナ・マニャーニを主演に迎え、旧来の母性像と新興資本主義の衝突を描いた作品。映像美と社会批評が結びついた重要作です。
『マタイによる福音書』(Il Vangelo secondo Matteo, 1964):宗教映画として異例の評価を受けた作品。厳格な原典重視と非職業俳優の起用により、聖書物語に新たなリアリズムと詩的な力を与えました。
『エディプスの王』(Edipo Re, 1967):ギリシア悲劇をモダンに再解釈し、神話と個人史、記憶の問題をめぐる映像詩を展開します。
『テオレマ』(Teorema, 1968):謎の青年がブルジョワ家族に与える震撼と変容を通じ、性的・宗教的な意味論を問い直す実験的な作品。主演の一人にテレンス・スタンプ(Terence Stamp)がいます。
『デカメロン』『カンタベリー物語』『アラビアン・ナイト』(The Trilogy of Life, 1971–1974):中世や民話を原典にした三部作で、性と歓喜、民俗的活力を賛歌する一方、商品化された現代を批判しました。
『サロ、またはソドムの120日』(Salo o le 120 giornate di Sodoma, 1975):権力と暴力、性的逸脱を極限まで映像化した最後の長編。公開と評価をめぐって強い論争を引き起こし、今日も検閲や倫理の議論の中心にある作品です(暴力・性的描写に関する注意が必要)。
主題とモチーフ:宗教・古典・下層文化
パゾリーニは古典的テクスト(ギリシア悲劇、聖書、民話)と下層民俗文化を接続することで、現代社会の病理を照らし出しました。彼にとって「下層文化」は単なる貧困の記号ではなく、生のエネルギーや言語的多様性を宿す場所であり、資本主義の均一化・消費文化の侵食に対する抵抗の場でもありました。また、性的少数者としての経験や身体性への注目が、彼の作品に独特の倫理と美学を与えています。
論争・検閲・政治的立ち位置
パゾリーニは生涯を通じて多くの論争に直面しました。性的指向や表現の過激さに加え、彼の政治的発言も時に激しい反発を招きました。マルクス主義に基づく階級批判を行いながらも、イタリア共産党や左派の文化政策を厳しく批判することがあり、政治的に単純に位置づけられない複雑さがありました。また、彼の映画や著作はいくつかの裁判や検閲手続きの対象となり、芸術と公共倫理の境界を巡る論争を繰り返しました。
1975年の死と未解決の謎
1975年11月2日、ローマ近郊のオスティアでパゾリーニは遺体で発見されました。身体は暴行を受け、車に轢かれていたと報じられました。直後に逮捕・起訴されたピーノ・ペローリ(通称ピノ・ペローリ/ピノ・ペロルシ?一般にPino Pelosiとして報道)は有罪となり収監されましたが、その後の供述の変遷や新事実の提示により、事件の背景について多くの疑問が残されています。動機や首謀者の有無、政治的関与の可能性などを巡って再捜査や議論が断続的に行われており、真相は完全には解明されていません。パゾリーニの死は彼の生前の発言や立場と相まって、イタリア社会に衝撃を与え続けています。
映像美学の特質:言語・身体・編集
映像面での特質としては、言葉と音の重層的使用(地方語・俗語の活用)、俳優の身体表現に対する強い関心、そして詩的な長回しや非直線的な編集があります。これらは単に美的実験ではなく、資本主義的合理性に代替する別の時間感覚や共同体感覚を画面上に再構築しようとする試みと読めます。加えて、セットや衣装における古典的メタファーの使用は、物語の普遍性を強調します。
現代への影響と評価の揺れ
パゾリーニの評価は時代とともに変容してきました。1970年代には物議を醸したものの、1980–90年代以降は理論的・美学的評価が再評価され、今日では映画史や文化研究の重要な対象とされています。ポストモダン的消費文化批判、ジェンダー・セクシュアリティ研究、民族誌的映画理論など、多様な領域に影響を与えています。同時に、彼の作品に含まれる暴力描写や倫理的問題への批判も存在し、研究と評価は一様ではありません。
初めて観る・読む人へのガイド
入門としては、まず『マタイによる福音書』で彼の宗教的・映像的感性を確認し、『テオレマ』で思想的実験性に触れるのがおすすめです。より社会的な視点を求めるなら『アッカットーネ』『ママ・ローマ』、そして晩年の過激な表現に挑むなら『サロ』を注意深く観るとよいでしょう。映画と並行して詩やエッセイ(例えば新聞・雑誌連載の論考)を読むと、彼の思想的文脈がより深く理解できます。
まとめ
ピエール・パオロ・パゾリーニは、その短い生涯において多様な表現を通じて常に既成の価値観に挑み続けた稀有な知性でした。詩的想像力と鋭い政治的視線、古典への深い敬愛と下層文化への共感が交差するその仕事は、一面的な評価で済ませることのできない複雑さを持ちます。彼の作品を巡る議論は、表現の自由、検閲、文化資本主義の問題など現代にも通底するテーマを含んでおり、今後も読み直され続けるでしょう。
参考文献
- Encyclopaedia Britannica: Pier Paolo Pasolini
- Treccani: Pier Paolo Pasolini(イタリア語)
- British Film Institute: Pier Paolo Pasolini
- The New York Times (1975) - Obituary / Reporting on Pasolini's death
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