Howlin' Wolf(ハウリン・ウルフ)──稲妻のような咆哮が築いたシカゴ・ブルースの基盤
Howlin' Wolf(ハウリン・ウルフ)とは
Howlin' Wolf(本名:Chester Arthur Burnett)は20世紀のアメリカン・ブルースを代表する歌手・ハーモニカ奏者で、力強い低声と咆哮(ハウル)を武器にデルタ・ブルースからシカゴのエレクトリック・ブルースへ橋を架けた人物です。誕生年には諸説ありますが、ミシシッピ州の農村で生まれ育ち、後にメンフィス経由でシカゴへ移住して活動の拠点を築きました。彼の存在はブルースからロックへと音楽文化が伝播する過程で決定的な影響を与え、今日でも多くのミュージシャンに参照され続けています。
生い立ちとニックネームの由来
Howlin' Wolfはチャスター・アーサー・バーネットという名前で生まれ、幼少期はミシシッピの農村で過ごしました。生年については1910年説と1913年説など文献によって差がありますが、一般に1910年前後に生まれたとする見解が多く見られます。若い頃から歌と楽器演奏に親しみ、地域のジューク・ジョイントや労働歌の伝統から影響を受けました。『Howlin’ Wolf』という芸名は、彼の低くて威嚇するような声や舞台での存在感、あるいは幼少期のあだ名に由来すると伝えられており、その“吠える”ような歌唱法が名前にふさわしいものでした。
メンフィス期:サム・フィリップスと初期録音
1940年代後半から1950年代初頭にかけて、ハウリン・ウルフはメンフィスで活動し、1951年にサム・フィリップス(後のSun Records創業者)によって録音されました。これらの初期録音のうちいくつかはチェス・レコードに提供され、"Moanin' at Midnight" や "How Many More Years" といったシングルがヒットし、彼の名が全国に知られるきっかけとなりました。なお、アイケ・ターナーが彼をサム・フィリップスに推薦したという証言もあり、当時の音楽ネットワークのなかで彼が見出された経緯の一端を物語っています。
シカゴ時代とチェス・レコード
1950年代半ば、ハウリン・ウルフはシカゴへ移住し、チェス・レコードと関係を深めます。チェスではウィリー・ディクソン(作曲・ベース・プロデューサー)をはじめとするスタッフと組み、エレクトリック・ブルースの新たなサウンドを作り上げました。特にギタリストのハバート・サムリン(Hubert Sumlin)は、ウルフの歌声に寄り添う独特のリフとコード感で彼のサウンドを特徴付けました。初期のメンフィス録音でのギタリストウィリー・ジョンソン(Willie Johnson)も重要な役割を果たしました。
代表曲と音楽的特徴
Howlin' Wolfは数多くの名曲を残しました。代表的なものを挙げると:
- Smokestack Lightning — ドローン的なリフと反復されるフレーズ、呪術的なハーモニカが特徴。彼の“咆哮”が最も象徴的に現れる曲の一つです。
- Moanin' at Midnight、How Many More Years — 初期のヒットで、荒削りだが説得力のある歌唱とリズムが印象的です。
- Spoonful、Back Door Man、Little Red Rooster — 多くはウィリー・ディクソンが書いた曲で、ウルフの歌唱とチェスのバンド編成が組み合わさることでブルースの近代化が進みました。
- Killing Floor — ロックやハードブルースに影響を与えた重いグルーヴを持つ曲。
音楽的には、単一コードや反復リフ、ミニマルなハーモニカ・フレーズとギターのフィギュア、そして何よりも“声”の表現力が核です。彼は音量と咆哮的なテクニックを用いて感情の起伏をダイナミックに伝え、ステージ上での身体表現も含めて聴衆を圧倒しました。
演奏スタイルとバンドの役割
ウルフのサウンドはソロ歌手というよりも、特定のバンド編成と相互作用して形成されました。ハバート・サムリンのギターは短いフレーズで歌を支え、ウィリー・ディクソンのベースは低音でグルーヴを持続させ、オーティス・スパン(ピアノ)やフレッド・ビロウ(ドラム)らがリズムと色彩を加えました。ハーモニカはウルフ自身が奏でることも多く、歌の合間に鎮静と緊張を生む重要な役割を担っています。
ヨーロッパツアーと英国ロックへの影響
1960年代、Howlin' Wolfはアメリカのブルース・ミュージシャンをヨーロッパに紹介する〈American Folk Blues Festival〉などを通じて欧州でも注目を集め、英国の若いミュージシャンたちに大きな影響を与えました。ローリング・ストーンズをはじめ、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスらが彼の音源やライヴに触発され、楽曲カヴァーや演奏表現に反映させました。結果としてブルースのバンド化・エレクトリック化はロックの基層を形成する一因となります。
晩年の録音とコラボレーション
1960年代後半から1970年代にかけて、ウルフはロック系ミュージシャンとの共演やロンドンでの録音など、新たな試みに挑みました。1969年の一部セッションや1970年の『The London Howlin' Wolf Sessions』などにはエリック・クラプトンやローリング・ストーンズのメンバーを含む英国人ミュージシャンが参加し、クロスオーバー的な話題を呼びました。これらの試みは評価が分かれる面もありましたが、彼の影響力の広がりを示す重要な記録となっています。
人物評とステージでの評判
Howlin' Wolfはステージ上では威圧的で、時に喧嘩っ早い性格とも伝えられますが、一方で仲間やバンドメンバーに対する忠誠心も強かったといいます。彼の存在感は音楽的な技術だけでなく、非言語的な身体的表現と“声”そのものが備える多義性に支えられており、それが聴き手に強烈な印象を残しました。
死と遺産
Howlin' Wolfは1976年12月10日にイリノイ州ヒーンズの病院で亡くなりました(心臓疾患などが原因とされています)。没後も彼の録音は繰り返し再発され、数多くのミュージシャンにカヴァーされ続けています。彼はブルース界とロック界の橋渡し役として、またシカゴ・ブルースの重要人物として音楽史に刻まれています。生涯を通じて残したシングルやアルバム群は、今日のブルース研究や演奏において基本的なレパートリーとなっています。
現代への影響と評価
Howlin' Wolfの影響は単に楽曲やカヴァーにとどまらず、歌唱表現、ステージ・パフォーマンス、バンド編成の在り方、さらにはロックのダイナミクスにまで及びます。彼の作品はブルース・フォーマットの多様性を示す教科書的な価値を持ち、若いミュージシャンが“声で語る”術を学ぶうえで不可欠な資源となっています。また、彼はブルース・ホール・オブ・フェイムや多くの音楽アワードで顕彰され、ポピュラー音楽の歴史における重要人物として扱われています。
おすすめの入門盤と聴きどころ
- 『Moanin' in the Moonlight』(チェス等にまとめられた初期録音集) — 初期シングルの魅力が詰まっています。
- シングル「Smokestack Lightning」 — ウルフの声と反復リフの原点を知る一曲。
- 『The London Howlin' Wolf Sessions』 — 英国ロック・ミュージシャンとの共演を通じて別角度から彼を味わえます。
まとめ
Howlin' Wolfはデルタ・ブルースの土壌から生まれ、メンフィスで育ち、シカゴで花開いた“生きた伝説”です。彼の咆哮的な歌唱、ミニマルで重いグルーヴ、そして刺激的なステージ表現は、ブルースを単なる地域音楽から世界的なポピュラー音楽へと押し上げるうえで欠かせない要素でした。彼の録音と逸話は、今日まで多くのミュージシャンと研究者に読み直され、演奏され続けています。ブルースやロックの源流を探るなら、まずはHowlin' Wolfの声に耳を傾けてください。
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参考文献
- Encyclopaedia Britannica: Howlin' Wolf
- AllMusic: Howlin' Wolf Biography
- The Blues Foundation: Howlin' Wolf(Blues Hall of Fame)
- Rock & Roll Hall of Fame: Howlin' Wolf
- NPR: Howlin' Wolf — Tribute and Overview
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