ベリー・ゴーディ(Berry Gordy)の軌跡 — モータウンが生んだ音楽とビジネスの革命
序章:ブラック・ミュージックを世界に届けた一人の起業家
ベリー・ゴーディ(Berry Gordy Jr.、1929年11月28日生)は、アメリカ音楽史において「モータウン(Motown)」というブランドを創出した人物として知られる。デトロイト出身のゴーディは、歌手や作曲家としての才能に加え、徹底したビジネスの才覚と演出眼で、1950〜70年代のポピュラー音楽の地図を塗り替えた。彼が築いた仕組みは、単なるレコード会社の枠を超え、黒人音楽を黒人経営によって世界市場へ定着させた文化的革命でもあった。
幼少期と初期の音楽活動
ゴーディはデトロイトで育ち、複数の職や経験を経て音楽業界に足を踏み入れる。自動車産業で働きながら作詞作曲を学び、地元の歌手やバンドと関わる中で音楽的ネットワークを築いた。1950年代後半には、作曲家・プロデューサーとして活動し、1959年にヒットしたバレット・ストロングの「Money (That’s What I Want)」の共同作詞者として名を馳せる。これは彼にとって商業的成功の重要なきっかけとなった。
タムラ(Tamla)とモータウンの誕生
1959年、ゴーディは自らのレーベル「Tamla Records」を設立。続いて1960年に「Motown Record Corporation」を法人化し、やがて両者は同社の屋台骨となる。社名の由来は「Motor Town(自動車の町=デトロイト)」をもじったもので、地元の産業構造や労働者文化に根ざしたアイデンティティを示している。モータウンは単なるレーベルではなく、音楽制作からプロモーション、アーティスト育成、衣装・振付に至るまでを一貫して内製化する体制を志向した。
Hitsville U.S.A.と制作の「組立ライン」
ゴーディが設立した制作拠点は「Hitsville U.S.A.」と称される小さなスタジオだった(アドレスはWest Grand Boulevardの建物)。ここでゴーディは、いわゆる「モータウン方式」を完成させる。具体的には、作曲家・編曲家、ハウスバンド(ファンク・ブラザーズ)、バックグラウンド・シンガー、プロデューサー、シングル向けのA&R、舞台演出担当が分業で協働し、高品質なポップ・ソウルを大量に生産するシステムである。クオリティ・コントロールの会議で楽曲を精査し、シングルのリリース順やプロモーション戦略までゴーディが厳密に管理した。
主要アーティストと代表的な楽曲
モータウンは数多くのスターを輩出した。代表的なアーティストと彼らの主要ヒットを挙げると以下の通りだ。
- Diana Ross & The Supremes(『Where Did Our Love Go』『Baby Love』など)
- Stevie Wonder(『Signed, Sealed, Delivered』『Superstition』など)
- Marvin Gaye(『I Heard It Through the Grapevine』『What’s Going On』など)
- Smokey Robinson & The Miracles(『The Tracks of My Tears』など)
- The Temptations(『My Girl』『Ain’t Too Proud to Beg』など)
- The Jackson 5(『I Want You Back』『ABC』など)
これらの曲は黒人コミュニティ内の成功に留まらず、白人中心のポップ市場へと浸透し、ラジオやチャートでのクロスオーバーを実現した。ゴーディの狙いは明確で、黒人アーティストを「国民的」スターへと押し上げることだった。
プロダクション哲学とアーティスト開発
ゴーディは歌唱力だけでなく、見た目・立ち振る舞い・語り口まで含めた「アーティストの総合演出」を重視した。いわゆる「アーティスト・デベロップメント(Artist Development)」部門では、発声指導、エチケット、衣装デザイン、ステージングの訓練が行われた。これは当時の音楽業界では珍しい体系的トレーニングで、モータウン・レビューと呼ばれる巡業形態で確実に磨かれていった。
また、作曲や編曲においては、フックを重視した短時間で印象に残るメロディ、リズムの明快さ、コーラスの強化などが共通項としてあった。これによりラジオでの回転率が高く、消費者の耳に残りやすい楽曲が量産された。
ビジネス面での革新と社会的影響
モータウンは単なる音楽制作の枠を超え、黒人資本によるエンタテインメント企業としてのモデルケースを示した。黒人経営のレコード会社が黒人アーティストを世界市場で成功させるという事実は、当時の人種的境界を覆す象徴的出来事だった。公民権運動が進む時代背景の中で、モータウンのヒット曲は人々の生活に浸透し、人種の壁を越えたポピュラーカルチャーの共有を促した。
また、ゴーディはA&Rやマネジメントにおいても斬新な手腕を発揮し、レコード売上以外にテレビ出演、映画製作、ツアー運営といった多角的ビジネスを展開した。1970年代初頭にはレーベル本社をデトロイトからロサンゼルスへ移し、映画・テレビ分野への進出を加速させた。
映画と舞台への関与
ゴーディはモータウンのブランドを映像メディアへも拡張した。代表的な作品には、ディアナ・ロス主演の映画『Lady Sings the Blues』(1972年)があり、彼は製作面で重要な役割を果たした。また、モータウン・プロダクションを通じて舞台や映画プロジェクトに関与し、アーティストの多面的な活躍の場を創出した。
晩年とモータウンの変遷
1970年代から80年代にかけて音楽市場は変化し、モータウンも新たな潮流に適応する必要に迫られた。1970年代後半以降、ゴーディは経営の一部を手放しながらもブランド維持に努め、1988年にはモータウンを外部資本(MCAや投資会社)に売却する決断を下した。以降、モータウンは複数の所有者を経て、最終的には大手音楽企業の一部として存続する道を辿るが、Hitsville時代の音楽的遺産は今も世界中で評価され続けている。
評価と遺産
ゴーディの最大の功績は、音楽制作のプロフェッショナル化と黒人ポップ・ミュージックの商業的成功を両立させた点にある。彼の作った仕組みは、後の音楽産業における「ヒット工場」の原型を示し、多くのプロデューサーやレーベルオーナーが模倣する対象となった。また、モータウン出身のアーティストやスタッフが各地で独自のキャリアを築き、アメリカ音楽の多様性を拡張した。
文化的な側面では、モータウンの楽曲は人種の壁を越える力を持ち、1960年代のアメリカ社会における対話の一助となった。単なる音楽的成功を超え、社会的・経済的なモデルとしての意味も持ち合わせている。
結び:現代音楽への影響
ベリー・ゴーディとモータウンが残した影響は、メロディとビジネスモデルの双方に深く刻まれている。現代のポップ・ソウル、R&B、さらにはヒップホップに至るまで、モータウン的な制作手法やアーティスト育成の考え方は脈々と受け継がれている。音楽を商品としてだけでなく、文化的価値を創造する事業として体系化したゴーディの業績は、今後も研究と賛辞の対象であり続けるだろう。
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参考文献
- Motown Museum — Hitsville U.S.A.
- Encyclopaedia Britannica: Berry Gordy
- Biography.com: Berry Gordy
- Rolling Stone: Motown and Berry Gordy - History and Features
- NPR: Berry Gordy And The Motown Miracle
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