IT実務で使える多重回帰分析入門:基礎・推定・前提条件・変数選択・因果推論までの完全ガイド
多重回帰分析とは — 基礎と目的
多重回帰分析(multiple regression)は、目的変数(従属変数)と複数の説明変数(独立変数)との関係を統計的にモデル化し、説明変数が目的変数に与える影響を定量的に推定する手法です。IT分野では、ユーザー行動の予測、システムパフォーマンス要因の解析、マーケティング施策の効果測定、ソフトウェア品質の要因分析など、さまざまな応用が可能です。
数式による定義と推定法
簡潔なモデル表現は次の通りです。
y = β0 + β1 x1 + β2 x2 + ... + βk xk + ε
ここで y は目的変数、xi は説明変数、βi は回帰係数、ε は誤差項です。最も一般的な推定法は最小二乗法(Ordinary Least Squares, OLS)で、残差二乗和を最小にする β を求めます。行列表記では β = (X'X)^{-1} X'y と表され、ガウス=マルコフの条件(線形性、誤差の期待値ゼロ、同分散性、独立性、説明変数の完全ランク)が満たされれば OLS 推定量は BLUE(最小分散不偏推定量)になります。
係数の解釈
- 数値変数:βj は他の変数を固定したときの xj が1単位増加したときの y の期待変化量。
- ダミー変数(カテゴリ変数):βj は基準カテゴリとの差(差分)を示す。
- 対数変換モデル:例えば ln(y) = β0 + β1 x の場合、β1 は x の1単位増加に伴う y の対数的変化を示し、近似的に百分率変化で解釈できる(小さな変化で)。
- 標準化係数(βを標準偏差単位に変換):異なるスケールの説明変数を比較する際に用いる。
主要な評価指標
- R²:目的変数の分散のうちモデルで説明された割合。ただし説明変数を増やすと常に増加するため過大評価の恐れがある。
- 調整済みR²:説明変数の数を考慮して補正した指標。モデル比較で有用。
- p値と信頼区間:各係数が統計的にゼロかどうかの検定や推定の不確かさ。
- AIC/BIC:モデル選択の指標(情報量基準)。予測精度とモデルの簡潔さのトレードオフを評価。
前提条件と診断
多重回帰分析にはいくつかの前提(仮定)があり、これらが破られると推定値や推論が信頼できなくなります。主なものと診断方法:
- 線形性:目的変数と説明変数の関係が線形であること。残差プロットで確認。非線形なら変数変換や多項式、スプライン等を検討。
- 独立性(誤差の非自己相関):時系列データでは自己相関に注意。Durbin–Watson検定が一般的。
- 同分散性(誤差の分散が一定):Breusch–Pagan検定、White検定など。異分散があるとOLSの標準誤差が不正確になるため、ロバスト標準誤差(Huber–White)を使うことがある。
- 正規性(残差の正規分布):中心極限定理によりサンプルサイズが大きければ重要度は下がるが、小サンプルでは t 検定や信頼区間に影響。Shapiro–Wilk検定やQ–Qプロットを参照。
- 多重共線性:説明変数間で強い相関があると係数推定の分散が大きくなり解釈が不安定に。VIF(分散拡大因子)で評価(VIF > 5 または 10 を目安に問題視することが多い)。対策として変数削減、主成分回帰、Ridge 回帰などの正則化を用いる。
- 外れ値・影響点:Cook’s distance、レバレッジ(hat値)で特定。大きな影響を与える点があれば検討(データ確認、ロバスト回帰など)。
変数選択とモデル構築
モデル構築ではどの説明変数を入れるかが重要です。方法としては:
- 理論に基づく選択:因果関係やドメイン知識を重視。
- 逐次選択法(前進選択・後退除去・ステップワイズ):自動選択だが過学習や偶然の変数選択に注意。
- 正則化(Ridge, Lasso, Elastic Net):多重共線性や次元削減、変数選択に強い。特に Lasso は変数をゼロにするため選択効果がある。
- 交差検証:予測性能を評価するために k-fold CV を使い、過学習を防ぐ。
因果推論と注意点
回帰分析は相関の検出には有効ですが、因果関係を証明するには注意が必要です。主な問題点:
- 説明変数と誤差項の相関(内生性):測定誤差や省略変数バイアスがあると OLS はバイアスを持ちます。対策は操作的変数(IV)法やパネルデータの固定効果、自然実験設計(差分の差分)など。
- 交絡因子の制御:重要な共変量を抜くと推定が歪む。
- サンプル選択バイアス:観測されるサンプルが母集団を代表していない場合、外的妥当性が損なわれる。
応用例(IT領域)
- ユーザー継続率(リテンション)に対する要因分析:ログイン頻度、通知の個数、UI変更の有無などを説明変数として解析。
- 広告クリック率(CTR)のモデル:広告表示回数、ユーザ属性、時間帯、デバイス種別を説明変数にした予測。
- システム性能分析:応答時間を目的変数として、CPU使用率、メモリ使用量、同時接続数を説明変数に回帰してボトルネックを特定。
- ソフトウェア欠陥数の予測:コード行数、コミッタ数、複雑度指標を用いた品質予測。
実務的なワークフローとチェックリスト
- 目的と仮説の明確化:何を説明・予測したいのかを定義。
- データ前処理:欠損値処理、外れ値の検査、カテゴリ変数のダミー化(one-hot など)、必要ならスケーリング。
- 探索的解析:相関行列、散布図行列、部分回帰プロットで関係性を把握。
- モデル推定と診断:残差解析、VIF、検定を実施。
- モデル改良:変数変換や相互作用項の導入、正則化、交差検証。
- 解釈と報告:係数の実務的意味、限界、仮説検証の結果を明確に記述。
代替手法と発展的な考慮点
- ロバスト回帰:外れ値に強い推定(Huber、M-estimatorなど)。
- 一般化線形モデル(GLM):目的変数が二値やカウントの場合に有効(ロジスティック回帰、ポアソン回帰等)。
- 非線形回帰やツリーベース手法:関係が複雑な場合はランダムフォレストや勾配ブースティング等の機械学習手法も検討。
- 因果推論手法:差分の差分、回帰不連続、操作的変数法などを因果推定に利用。
実装ツール(代表例)
- R:lm() 関数、car パッケージで VIF、broom で整形出力。
- Python:statsmodels(詳細な統計出力)、scikit-learn(予測モデルと正則化)。
- その他:Stata、SAS、SPSS などの統計ソフト。
よくある誤解
- 「高いR²は因果関係を示す」:高い説明力はあるが因果性の証明ではない。
- 「正規性が破れているとOLSは無意味」:推定量の不偏性は保たれるが、小サンプルでは推論(p値や信頼区間)が影響を受ける。
- 「多重共線性は必ず修正すべき」:共線性があっても予測が主目的ならパフォーマンスに問題がないこともある。解釈が目的なら対策が必要。
まとめ
多重回帰分析は、IT分野のデータ解析で非常に有用な基礎手法です。適切なデータ準備、前提条件の診断、モデル選択と検証を丁寧に行うことで、説明力の高いモデルや実務上有用な予測モデルを構築できます。ただし、相関と因果の違いや内生性・外れ値・共線性といった落とし穴には常に注意し、必要に応じて正則化や因果推論の手法を用いることが重要です。


