レイキャスト完全ガイド:基礎から最適化・応用まで—レイトレーシングとの違いを徹底解説

はじめに:レイキャストとは何か

レイキャスト(ray cast / raycasting)は、空間内に「光線(レイ)」を飛ばして、何と交差するかを調べる技術の総称です。元々はコンピュータグラフィックスにおける可視性判定や単純なレンダリング手法として発展しましたが、現在は物理衝突判定(ゲームエンジン)、視線判定(AIやUI)、センサーモデリング(LiDAR/レーダー)、レンダリング(レイトレーシングの一部)など、幅広い分野で使われています。

基礎概念と数学的背景

レイは通常、始点(origin)と方向ベクトル(direction)で表現されます。パラメトリックには R(t) = O + t·D(t ≥ 0)で与えられ、物体との交差はこの式を用いた方程式の解として求めます。代表的な交差テストには以下があります。

  • 平面との交差:点と法線を使った線形方程式の解。
  • 球との交差:二次方程式(判別式)を解くことで t を求める。
  • 三角形(メッシュ)との交差:Möller–Trumbore アルゴリズムなどの効率的手法。

数値的には浮動小数点誤差や、自己交差(発射元が表面上にある場合に自身を検出してしまう)に対する対策(いわゆる epsilon オフセット)が重要です。

レイキャストとレイトレーシングの違い

混同されやすい用語ですが、簡潔に言えばレイキャストは「レイを飛ばして最初の交差だけを調べる」ことに重点を置くのに対し、レイトレーシングは反射・屈折・シャドウ・グローバルイルミネーションなど物理的に光の伝搬を追跡して像を生成する手法です。レイキャストは軽量でリアルタイム用途に向き、レイトレーシングは高品質レンダリングに向きます(近年はハードウェア支援によりリアルタイム化が進んでいます)。

主な用途

  • ゲームやシミュレーションにおける衝突検出・視線判定(Line of Sight)
  • UIのピッキング(画面上のオブジェクト選択)やインタラクション判定
  • 簡易レンダリング・可視化(古典的な ray casting による壁投影レンダリング等)
  • 音響や電波の伝搬シミュレーション(レイベースの反射モデル)
  • LiDAR/レーザースキャナやレーダーの仮想センサモデリング
  • 3Dスキャンと点群処理(点群からの視線ベース解析)

アルゴリズムと高速化手法

単純に全てのプリミティブ(例えばメッシュの三角形)と交差判定を行うと O(n) であり、構造が大きいと非常に遅くなります。実運用では空間分割や境界ボリュームによる加速が不可欠です。代表的な手法は以下の通りです。

  • バウンディングボリューム(AABB, 球, OBB)による早期除外
  • 階層構造(BVH: Bounding Volume Hierarchy)— 動的シーンでも再構築・リファインの手法がある
  • kd-tree — 節点で空間を分割し高速に探索
  • オクツリー(Octree)と均一グリッド — 空間のボクセル化に基づく手法
  • グリッド踏破の高速化(Amanatides & Woo の DDA アルゴリズム)— ボクセルグリッド上でのレイ踏破が効率化される
  • パケット・バッチ処理とSIMD化 — 同時に複数レイをまとめて処理
  • GPUによる並列化(シェーダでのレイキャスト、あるいはDXR/Vulkanのレイトレーシング機能を利用)

実装上は「早期終了(最初にヒットした点で打ち切る)」「レイヤーマスクや最大距離の指定」などの工夫も重要です。

実装上の注意点・数値課題

  • 自己交差と epsilon:レイの開始位置を微小オフセットする(通常は法線方向に沿って小さな値を加える)ことで表面判定の偽検出を減らす。
  • ワットタイトな三角形交差:メッシュの接合部で穴や光漏れが起きる場合、交差判定をワットタイト(すべての三角形で同じ判定結果)に実装する必要がある。
  • バックフェイスカリング:視覚的用途で不要ならば裏面の交差を無視して高速化可能。
  • 数値精度:巨大スケールや遠距離計算では double が必要な場合がある。

実際のAPI・フレームワーク例

代表的な環境・API をいくつか挙げます。

  • Unity:Physics.Raycast や Physics.RaycastAll などの物理エンジン API(レイヤーや距離、出力ヒット情報をサポート)
  • three.js:THREE.Raycaster クラスを用いて WebGL ベースのオブジェクト選択や視線判定を実装
  • DirectX/Vulkan のレイトレーシング拡張(DXR、Vulkan Ray Tracing)— ハードウェアアクセラレーション対応の高性能レイ処理
  • NVIDIA RTX:ハードウェアレイトレーシングや BVH 構築等のライブラリ/SDK

また、「Raycast」という固有名詞のアプリ(macOS 用のランチャー/生産性ツール)も存在するため、文脈により注意が必要です。

応用事例と設計上の選択

どのレイキャスト手法を採るかは用途によります。ゲームの単純な視線判定やクリック判定はエンジンのレイキャストで十分ですが、物理的に正確な反射や複雑な光学効果が必要ならレイトレーシングやマルチバウンスの技術を検討すべきです。自動運転やロボティクスのセンサーモデリングでは、ノイズやスキャンパターン、反射率モデルを加えたモンテカルロ的シミュレーションが重要になります。

最適化の実戦的ヒント

  • 視覚用途では「近傍のオブジェクトのみ」を対象にするための空間分割を用いる。
  • フレーム間の時間的コヒーレンスを活かして BVH の局所更新や結果キャッシュを行う。
  • 大量のレイを同時に打つ場合はパケット処理(複数レイの同時判定)とGPUオフロードを検討。
  • ヒット率が低い場合は確率的手法や粗い近似(LOD)でまずフィルタリングする。

将来動向とハードウェア支援

近年はGPUハードウェアがレイ処理を強力にサポートするようになり、リアルタイムレイトレーシングやハイブリッドレンダリングが普及しています。NVIDIA RTX や各種 API(DXR, Vulkan Ray Tracing)により、BVH 構築やレイトラバーサルの高速化が可能になりました。これにより従来はコストが高かったグローバルイルミネーションや正確な影生成がゲームやインタラクティブアプリでも実用化されています。

まとめ:いつレイキャストを選ぶか

レイキャストは「視線や単一の届く範囲での交差判定」を素早く行うための基本技術です。用途が「最初のヒットのみでよい」か、「多数の反射や物理的正確さが必要か」で選択肢が分かれます。実装では空間加速構造と数値上の注意点(epsilon やワットタイト交差)を正しく扱うことが、性能と安定性の鍵になります。

参考文献