序文:なぜK.96(K.111b)は興味深いのか
モーツァルトの交響曲ハ長調 K.96(通称 K.111b)は、作曲年代・作曲者の帰属に関して議論が続く作品です。見た目は18世紀後期の典型的なイタリア風・英語風の三楽章交響曲に似ていますが、原典の散逸や筆写譜の性質、様式的な特徴から“真正のモーツァルト作品か疑わしい”とする見解が古くから存在します。本稿では、史料的背景、楽曲構成と様式分析、演奏上の注意点、真贋問題の検証、代表的聴取・資料参照の道しるべをまとめ、読者が当作品をより深く理解できるようにします。
1. 来歴・史料の現状
K.96(K.111b)は、モーツァルト目録(ケッヘル目録)において付番された作品の一つであり、18世紀中盤から末にかけての早期交響曲群に位置づけられます。しかし自筆譜が現存しない点が最大の問題です。現存するのは写譜や当時の出版譜などの副次的資料であり、そこに記された筆記者や注記から作者帰属をめぐる議論が生じています。 19世紀から20世紀にかけてのケッヘル目録の改訂やニュー・モーツァルト全集(Neue Mozart-Ausgabe, NMA)における取扱いでも、本作は補遺あるいは疑作扱いの節に置かれることがあります。デジタル版や図書館所蔵の写譜リスト、国際楽譜ライブラリ(IMSLP)などにもスコアと出典情報が掲載されていますが、最終的な“自筆=モーツァルト”を裏付ける一次史料は見つかっていません。
2. 筆写譜とケッヘル番号の由来
K.96 と K.111b という二重表記は、ケッヘル目録の改訂や作品番号の補訂履歴に由来します。初期のカタログ化の過程で別の資料群に属すると判断され、別番号が付けられた経緯があるため、併記されることがあります。こうした番号表記の混乱は、18世紀の手稿が散逸している早期作品群では珍しくありません。
3. 編成と演奏時間
写譜に基づく編成は、オーボエ2本、ホルン2本、弦五部(第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)という当時標準的な小規模管弦楽編成が示されています。ティンパニやフルートなどの記載は見当たらず、古典初期の交響曲に典型的な軽快な音色構成です。演奏時間はおおむね12分前後(演奏解釈による)で、短めの三楽章構成であることが多いです。
4. 楽曲の楽式と各楽章の分析
本作は三楽章構成(速—緩—速)であるとされ、各楽章の特徴は以下の通りです。
- 第1楽章:アレグロ(ハ長調、ソナタ形式)左右対称的な主題提示から始まり、端正な主題動機が短く提示されます。提示部は明快で、展開部は比較的簡潔で短く、古典ソナタ形式の初期段階を示します。調性の安定性と、フレーズ終止の明確さが目立ち、若き日のモーツァルト作品に共通する“旋律の潔さ”が感じられる箇所もあります。
- 第2楽章:アンダンテ(ヘ長調などの近親調)緩徐楽章は短く、歌謡的な主題が弦楽器にゆったりと現れる構造です。和声進行は平明で、伴奏のアルペッジョや対旋律による装飾が用いられます。様式的にはイタリアの影響やJ.C.バッハ流の緩徐楽章と共通する部分があります。
- 第3楽章:アレグロ(ロンド風またはソナタ形式)終楽章は軽快なリズムを持ち、繰り返しと対照的なエピソードで構成されています。ロンド節回とソナタ形式的な要素が混在し、短い動機の反復と変化によってダイナミズムを作り出します。
5. 様式的特徴と比較音楽学的観点
K.96 の様式は、若年期モーツァルトの他の作品と似通った点と、やや外部的な特徴が混在しています。類似点としては、簡潔な主題処理、明晰なフレージング、楽器間のバランス感覚などが挙げられます。一方で、和声の処理や動機展開の弱さ、時に能率的過ぎる再現部処理など、モーツァルト自身の他の同時期傑作(例えばK.81やK.95など)と比較して“作風の違い”を指摘する研究者もいます。 こうした差異は、イタリアで流布していた交響曲スタイルや、地域的な職業作曲家の作風が混じっていることを示唆します。つまり、モーツァルト若年期の影響を受けた誰か(あるいはモーツァルト本人だが筆写の過程で変化が生じた)という中間的な可能性があり、単純には結論づけられません。
6. 真贋問題:主要論点と現時点の見解
真贋議論の主要点は次の通りです:
- 自筆譜不在:作者確定のための決定的な一次史料がない。
- 筆写者の痕跡:現存する写譜の筆写者がモーツァルト家の関係者であるか否かで帰属判断が分かれる。
- 様式的矛盾:モーツァルトの確実な作品群と比較した際の様式的な不一致点が指摘される。
学界では、確実にモーツァルトの作品と断定する積極的根拠に乏しいため、「疑作(doubtful)」または「附属作品(spurious/supplementary)」として扱われることが多いのが現状です。ただし、曲自体が音楽的価値を持つことは広く認められており、作品として演奏・録音される機会はあります。
7. 演奏実践上のポイント
実演で考慮すべき点をまとめます。
- テンポ設定:古典期交響曲として速すぎず、歌わせる場面では弦楽の音色を重視する。第1楽章は対位の明瞭さを損なわない範囲で活気を持たせる。
- 音量バランス:木管は装飾的役割であることが多く、弦合奏とのバランス調整が重要。
- アーティキュレーション:スタカートとレガートの対比を明確にし、短い動機の反復を聴き手に分かりやすくする。
- 装飾とカデンツァ:当時の慣習を踏まえ、過度なロマン派的解釈は避ける。歴史的演奏法を参考に自然な装飾を施すと効果的。
8. レパートリーとしての位置づけと聴きどころ
K.96 は交響曲の“傑作群”に比べれば地味かもしれませんが、若年期モーツァルト期の表現世界や18世紀交響曲の地域差を理解するうえで格好の教材です。聴きどころは以下です:
- 短い主題が繰り返し現れて形を作る手法
- 緩徐楽章における簡潔な歌心と和声の透明性
- 終楽章におけるリズム・モチーフの有機的な展開
9. 代表的な録音と参考の聴き方(選び方の指針)
本作を聴く際は、次のような視点で録音を比較すると理解が深まります。
- 古楽器/歴史的演奏(HIP)系の演奏:テンポや装飾が当時の慣習に近く、編成の小ささを生かしたクリアな質感が楽しめます。
- 現代オーケストラによる演奏:音色の厚みやダイナミックレンジが豊かで、モダンな響きから作品の設計美を再発見できます。
各種録音を比較し、楽章ごとのテンポ感やフレージングの違いを確かめることをおすすめします。
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