モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番 K.271『ジュナミ』──革新と抒情の交差点
イントロダクション
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271(通称「ジュナミ」/"Jeunehomme")は、1777年に作曲された若き日の傑作であり、ピアノ協奏曲の様式におけるひとつの飛躍を示す作品です。伝統的なソロとオーケストラの対立を越え、ソロと合奏の対話を豊かに織り込んだこの協奏曲は、モーツァルトが21歳前後で到達した成熟の証しとされます。本稿では、作曲史的背景、楽曲の構成と特徴、演奏・楽器史的視点、受容と代表的録音などを詳しく掘り下げます。
作曲の背景と年代
K.271は1777年に成立したとされ、モーツァルトがザルツブルクを出発してマンハイムやパリへ向かう直前の時期にあたります(モーツァルトは1777年に旅に出ています)。この時期、彼はマンハイム楽派のオーケストラ技法や管楽器の扱い、華やかなソロ技術に触れ、これらの影響が協奏曲作品に反映されました。K.271は、それまでの伴奏的なピアノ協奏曲から一歩進んだ、より協働的な音楽語法を示しています。
『ジュナミ』という通称と献呈相手の問題
この協奏曲に付された通称「Jeunehomme(ジュナミ/ジュヌマン等の表記あり)」の由来は長年の謎と議論の的でした。19世紀に現れたこの呼称は、作品成立当時の自筆譜からは確認されず、後世の伝承・出版過程で生じた誤写や誤解が混入した可能性が指摘されています。近年、研究者マイケル・ロレンツ(Michael Lorenz)らが、献呈相手の実像に関する史料検討を進め、通称の由来や正確な姓名の読み(Jenamy などの綴りの可能性)について再検討を促しましたが、決定的な結論には至っていません。したがって、通称は便宜上用いられるものの、歴史的事実としての確定性は限定的であることに留意が必要です。
楽曲構成と形式分析
ピアノ協奏曲第9番は三楽章からなり、全体を通じてモーツァルトが協奏曲形式の手法を自由かつ創造的に操作していることが読み取れます。以下に各楽章の特徴を概説します。
第1楽章:Allegro
冒頭はオーケストラによる序奏ではじまり、主題提示後にソロが入る典型的な協奏的ソナタ形式を踏襲しつつ、ソロとオーケストラが互いに主題素材を受け渡すような綿密な対話が特徴です。モーツァルトはオーケストラに単なるリトルネル(ritornello)的役割を与えるだけでなく、木管やホルンなどを活かして色彩感を付与し、ピアノは装飾的なパッセージのみならず主題の展開や対位的発展に深く関与します。和声進行や転調の扱いにおいても大胆さが見られ、古典派協奏曲の枠組みを押し広げる実験的側面がうかがえます。
第2楽章:Andantino(抒情楽章)
第二楽章は抒情性に富み、ソロと管楽器との細やかな対話が心を打ちます。ここではモーツァルト特有の歌謡的な旋律の書法と、繊細な装飾表現が際立ちます。ピアノは単に伴奏をなすのではなく、しばしば独立した歌い手のように振る舞い、オーケストラの色彩と相まって室内楽的な親密さを生み出します。この楽章はオペラ的なアリアの影響も感じさせ、歌うことと弾くことの境界を曖昧にするような効果が見られます。
第3楽章:Rondo(Allegretto / Allegro)
終楽章はロンド形式を基盤とし、軽快で機知に富んだ主題が何度も回帰します。エネルギッシュなリズムと即興的な装飾、そして各エピソードで異なる表情を見せる展開が聴きどころです。ここでもピアノとオーケストラは相互に刺激し合い、時には室内楽的な対話、時には華やかな協奏的競演へと場面が移ります。全体としてバランスの取れた終結へと導かれ、曲は鮮やかに閉じられます。
様式的意義とモーツァルトの到達点
K.271はモーツァルトが協奏曲というジャンルにおいて「ソロのための伴奏」から脱し、声部間の対話とテーマの多方向的展開に重点を置く方向へと進化したことを示します。特に木管のソロやオーケストラ内声部の機能的な扱い、そしてピアノの自主性は、後のピアノ協奏曲群(K.413以降~K.449あたりの成熟期)へと直結する重要な橋渡しとなっています。居並ぶ技巧だけでなく、音楽構成の精緻さ、歌のような旋律感、劇的な起伏の統合がこの作品の魅力です。
演奏・楽器史的観点
モーツァルトの時代、鍵盤は現在のコンサートピアノではなくフォルテピアノ(通奏低音的にチェンバロとも異なる初期ピアノ)でした。フォルテピアノはタッチが軽く、音色の立ち上がりや減衰が異なるため、細かな装飾や対話の透明性が強調されます。近年の演奏潮流では、モダンピアノを用いた表現の多様性と、歴史的楽器を用いることで当時の響きを再現しようとするアプローチが併存しています。演奏解釈では、テンポの弾力性、アーティキュレーション、装飾の扱い、カデンツァの選択(あるいは作曲家自身の断片的な提示に基づく補作)などが解釈上の主要な争点となります。
受容と録音史
K.271は19世紀以降に公演・録音のレパートリーに定着しましたが、20世紀後半からは特に原典主義やフォルテピアノ復興の流れと相まって新しい評価がおこりました。代表的な録音には、ミツコ・ウチダ(Mitsuko Uchida)やマルコム・ビルソン(Malcolm Bilson、フォルテピアノ演奏)、ポール・ルイス(Paul Lewis)など、多様な解釈が存在します。録音を聴き比べることで、同一楽譜から多彩な音楽表現が引き出され得ることが実感できます。
楽譜と版の注意点
原典校訂(Urtext)版や歴史的版には差異が見られることがあります。モーツァルト自筆譜、写譜譜、初期出版譜などの資料を参照することで、装飾や強弱、テンポ表記の扱いに関するより確かな判断が可能になります。演奏者は自筆譜と校訂版を照合し、時代的慣習に基づいた読み替えを行うことが推奨されます。
演奏上の聴きどころ(ポイント)
- 第1楽章のオーケストラとピアノの「主題の受け渡し」に注目すること。単なる伴奏ではなく、主題展開に深く関与する点。
- 第2楽章の歌うようなフレーズと木管の色彩。息づかいを感じさせるフレージングが感動を生む。
- 終楽章のロンド主題の回帰時に現れる微妙な変奏や装飾の違い。軽妙さと同時に緊張感を維持する手腕。
結び──古典派協奏曲の転換点
ピアノ協奏曲第9番 K.271『ジュナミ』は、モーツァルトの若き才能が形式と表現の両面で進化を遂げたことを示す作品です。技術的な華やかさだけでなく、声部間の緻密な対話、歌心、構成の明快さが高い次元で結びついており、古典派協奏曲史における重要なステップと位置づけられます。演奏者・聴衆双方にとって、何度も繰り返し聴き、弾き込むことで新たな発見が得られる奥行きを持つ曲です。
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参考文献
- "Piano Concerto No. 9 (Mozart)" — Wikipedia (英語)
- Piano Concerto No.9, K.271 — IMSLP(楽譜)
- Wolfgang Amadeus Mozart — Britannica(概説)
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