誤解を解く:モーツァルトの「バセットホルン協奏曲 K.621b」は存在するか?背景と音楽史的考察
はじめに:作品番号と実在性の確認
インターネットや一部の二次資料で「モーツァルト:バセットホルン協奏曲 ト長調 K.621b (1791)」といった表記を見かけることがあります。しかし結論から言うと、現存する正統なモーツァルト作品目録(ケッヘル目録)および主要な学術版(Neue Mozart-Ausgabe 等)において「K.621b」という番号のバセットホルン協奏曲は確認されておらず、そのような作品がモーツァルトの正典に含まれているという信頼できる証拠はありません。
このコラムではまずなぜそのような誤解が生じるのかを整理し、続いてモーツァルトと“低音軟調木管”(バセットホルンやバセット・クラリネット)との関わり、1791年という時期の作風的特徴、そして現代における演奏・編集の状況について詳しく掘り下げます。
「K.621b」という表記が示すもの
ケッヘル番号における「K.621b」は標準的な分類には含まれません。混同の一因となりやすいのは次の点です。
- モーツァルトのクラリネット協奏曲は K.622(ア・長調、1791年)であり、これはアン東・シュタットラー(Anton Stadler)に捧げられた作品です。K.622 と誤って近接する番号が示されてしまうことがある。
- モーツァルトはバセット・クラリネットやバセットホルンなど低音域を持つ木管楽器に対して複数の重要な役割を書きましたが、それらは協奏曲形式の独立した「バセットホルン協奏曲」として現存していません。
- 散逸・未収録の断片や成立年代不明のスケッチが後世に偽番号や仮番号で表記される例は音楽文献で起こり得ますが、信頼できる一次史料や学術版で確認できない限り、それを成立した作品として扱うことはできません。
モーツァルトとバセットホルン/低音木管の関わり
モーツァルトは生涯を通じて木管楽器を巧みに扱い、特に晩年には低音木管の色彩的な使用が目立ちます。代表的な例を挙げると:
- セレナーデ『グラン・パルティータ』K.361(K.370a)にはバセットホルンが重要な役割で用いられ、独特の暗く丸い音色が楽曲全体の響きを支えています。
- オペラ『魔笛』K.620(1791年)でもバセットホルンがオーケストレーションの中で効果的に用いられており、宗教的・神秘的な雰囲気の形成に寄与しています。
- クラリネットやバセット・クラリネットに関しては、アン東・シュタットラーのために書かれたクラリネット五重奏曲 K.581(1789年)やクラリネット協奏曲 K.622(1791年)などがあります。これらはシュタットラーが演奏した特殊な低音を持つ「バセット・クラリネット」あるいは拡張されたクラリネットに合わせて作曲された可能性が指摘されています。
このようにモーツァルトは低音木管を単なる伴奏色ではなく、主題展開や和声の下支え、対位法的役割にも活用しました。したがって「バセットホルン的音色の協奏曲」を想定すること自体は決して不自然ではありませんが、命名や番号付けに関しては一次資料に基づく慎重な扱いが必要です。
なぜ「協奏曲」が存在したと誤認されるか
誤認の背景にはいくつかの要因があります。
- 楽器史的混同:バセットホルン、バセット・クラリネット、アルトクラリネットなど名称や機能が近接しており、楽器名の翻訳や説明で混乱が生じやすい。
- 稿本の欠落と後世の補筆:モーツァルトの遺された楽譜が散逸した例や未完稿の存在(例:レクイエムや未完の断片)を拡大解釈して、新たな作品名が付されてしまうケース。
- 出版・録音の便宜:編集者や録音制作者が「バセットホルンのための○○」と銘打つことで聴衆に訴求しようとするマーケティング的な命名。これが独り歩きすることがあります。
1791年という年のモーツァルト的特徴
仮にモーツァルトが1791年にバセットホルン協奏曲を書いたとすると、その音楽語法には以下のような特徴が予想されます(あくまで様式論的な考察として)。
- 形式:典型的な協奏曲構成である3楽章(速—緩—速)を踏襲する可能性が高い。第1楽章はソナタ形式に協奏風の対話(オーケストラと独奏のやり取り)を示す。
- 和声:晩年の作品に見られる豊かな和声語法、短調への転調や和声の大胆な接続(例えば突然の遠隔調への移行など)が見られるだろう。
- 色彩と対位法:低音木管の独特の色彩を活かしたテーマ提示や、他の木管・ホルンとの対位的な扱いを通じて、オーケストラとの微妙な融合が探られる。
- 民族性と劇性:オペラ『魔笛』や『レクイエム』に見られるような宗教的・劇的な要素が断片的に現れる可能性がある。
もちろんこれは想像に基づく分析であり、実際の楽譜がない以上、確定的な記述にはできません。ただしモーツァルトの既存の低音木管作品群に見られる共通項からは、上記のような音楽的方向性が推測できます。
演奏・編集上の実務:現代の取り扱い
現代の演奏界では、モーツァルトのクラリネット作品について「バセット・クラリネット版での復元演奏」が行われることがあります。クラリネット協奏曲 K.622 についても、原曲がバセット・クラリネット用であったとする復元版(低音域を回復した版)が制作され、より当時の音色を再現しようとする試みがなされています。
バセットホルンについても同様に、古楽器や復元楽器を用いた室内楽/管楽アンサンブルでモーツァルト時代の響きを追求する動きがあります。演奏上のポイントは次の通りです。
- 楽器の音色:バセットホルンは管が長く、フランジングの影響で低音がまろやかになるため、現代のコンサートホールでは音量とバランスの調整が重要。
- 運指と調律:歴史的楽器は現代楽器と運指や音合わせが異なるため、演奏家は版の選定と運指の最適化を行う必要がある。
- 版の選択:Neue Mozart-Ausgabe(NMA)など一次版を基準に、どの改訂版/復元版を用いるかで音楽の細部が変わる。学術的な演奏を志すならNMAやDME(Digital Mozart Edition)に基づくのが望ましい。
研究と聴きどころの提案
「もし存在したら」という思考実験は別として、実際にモーツァルトがバセット系の低音木管をどう扱っているかを理解するためには、以下の既存作品を聴き比べることをおすすめします。
- セレナーデ K.361(グラン・パルティータ)――音色的な重要性とアンサンブル内での低音木管の役割を知る手がかりになります。
- オペラ『魔笛』 K.620――バセットホルンが劇的効果や神秘性に寄与する好例です(1791年作)。
- クラリネット五重奏曲 K.581、クラリネット協奏曲 K.622――アン東・シュタットラーとの協働がクラリネット音楽に与えた影響を感じ取れます。復元版(バセット・クラリネット用)での比較が特に興味深いです。
まとめ:史実と空想の線引き
結論として、「モーツァルト:バセットホルン協奏曲 ト長調 K.621b (1791)」という単独の確定した作品は、現存するモーツァルト正典には存在しません。一方で、モーツァルトがバセットホルンやバセット・クラリネットといった低音木管に深い関心を持ち、それらを通じてオーケストレーションや和声表現を拡張したことは確かです。その意味で「バセット系楽器のための協奏的音楽」を想像し、既存の作品群から音楽的特徴を読み解くことは、歴史的理解と演奏表現の両面で有益です。
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参考文献
- Britannica — Basset horn
- Britannica — Wolfgang Amadeus Mozart
- IMSLP — Clarinet Concerto, K.622 (Mozart)
- IMSLP — Serenade No.10 "Gran Partita", K.361
- IMSLP — Die Zauberflöte, K.620
- Digital Mozart Edition (DME) / Neue Mozart-Ausgabe 情報
- Anton Stadler — 演奏家(参考)
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