モーツァルト:カノン イ短調 K. deest(断片、6小節)――由来・様式分析・演奏上の留意点
作品の概要と表記について
「カノン イ短調 K. deest(断片、6小節)」は、モーツァルトに帰属される短いカノン断片の一つであり、Köchel(クーへル)目録に正式な番号が付されていないため「K. deest」と表記されます。deestはラテン語で“欠けている”という意味で、クーへル目録に収められていない作品群や断片に付される通称です。本稿で扱う断片は非常に短く、6小節程度の素材に留まるため、完全な作品としての構成や原意を確定することは困難ですが、断片から読み取れる作法や時代的背景、演奏/編集上の示唆は多く存在します。
史料・伝承と帰属問題
断片として残る作品群は、18世紀後半の手稿断簡や友人・弟子の写譜、さらには18–19世紀の楽譜写本集成の中に散在していることが多いです。モーツァルトのカノン類は社交の場で即興的に作られたり、遊び歌として歌詞が付されたりすることがあり、正規の出版を経ないまま写本として伝わる例が多い点が帰属判定を難しくしています。現存する断片の所在や写本の筆跡、用紙・インクの特性などからモーツァルトの作為を支持する学者もいますが、確定的な結論に至っていないものもあります。したがって本稿では、帰属が完全に確定していないことを明記した上で、様式的特徴から行える検討を中心に述べます。
音楽的特徴(断片から読み取れること)
6小節という短さは、動機的な導入やカノンの入りのみを示している可能性が高いです。断片がイ短調であることは、モーツァルトがしばしば劇的・陰影的な色彩を表現する際に短調を用いた伝統に則っています。短いカノン断片から観察される典型的な要素は以下の通りです。
- 動機の明確さ:カノンは模倣が骨格となるため、短いながらも核となる短い動機(モティーフ)が明瞭に提示されている。
- 模倣の間隔と位相:通常はユニゾンやオクターヴ、五度や四度といった単純な模倣間隔が選ばれることが多く、断片でもその意図が窺える。
- 和声進行と短調表現:イ短調というトニックに対し、副和音や短調特有の半音進行、短いドミナントの導入などで緊張感を作り出している可能性が高い。
- 声部処理:声部動きは機能和声に沿った下支え(通奏低音想定)と重ならないように配慮され、カノンとしての明瞭さを優先している。
モーツァルトのカノン群との比較
モーツァルトには多数の短いカノンがあり、多くは社交や仲間内の余興として書かれたものです。例えば有名な滑稽な歌詞付きカノン群や、教会的な雰囲気を持つ宗教的カノンなど、多様な性格を持ちます。本断片を他のカノンと比べることで、以下の点が見えてきます。
- ジャンル性:本断片の短調性は、祝祭的・滑稽的なカノンとは異なり、より深刻な表現を志向する傾向にある。
- 技法的水準:模倣の厳格さや和声処理は、モーツァルトの他の確実に帰属されるカノンと比べても遜色ない高度さを示す場合があるが、短さゆえに判断材料は限定的である。
- 用途の想定:歌詞を伴わない器楽または声楽の純粋な対位練習としての性格、あるいは楽曲の導入として作られたスケッチである可能性がある。
音楽分析(断片の読み方と解釈の余地)
短い断片であるため、詳細な動機動態や最終構造までは記せませんが、分析的な視点から注目すべき点は次の通りです。まず冒頭の動機はカノンの主題を成し、これはしばしば短いリズム的句(例:二分音符と付点の組み合わせなど)で提示されることが多く、模倣声部は一定の遅延(エントリー)を持って応答します。和声面では、短調の導入→属調への一時的な転調→再帰という基本的な動きが見える場合がありますが、6小節の範囲ではあくまで導入句としての機能が中心です。編曲や補完の際は、どの音を拡張して和声進行を完成させるかが編集者の主要判断になります。
編集と補筆の方針(現代演奏に向けて)
断片を演奏可能な形にするには、補筆(作曲的な補完)が必要です。編集時の基本方針は以下の通りです。
- 原断片の音型・リズムを尊重する:新たな音型は原素材から導出する。
- 声部の模倣関係を維持する:カノンの方式(ユニゾン、オクターヴ、転回など)を明確に定め、それに従った補筆を行う。
- 和声的連続性を確保する:短調の色彩を保持しつつ、自然な成立点(終止形)へ導く。
- 史実性の配慮:モーツァルト当時の通奏低音やピリオド奏法を踏まえた楽器編成を検討する。
具体的な演奏編成としては、声楽二声・三声で歌わせるか、ヴァイオリンやフルート等の旋律楽器で模倣を行い、チェロやチェンバロで低音を補うのが自然です。テンポはモティーフの性格に応じてAdagio寄りのゆったりした表情も取れるが、短い断片ゆえに解釈の幅は広いと言えます。
演奏上の留意点と聴衆への提示方法
断片を聴衆に提示する際は、その断片性を隠さずにむしろ解説を添えて提示することが良いでしょう。以下の点を意識すると理解が深まります。
- カノンの模倣関係を視覚的に示す(パート譜を見せる、スコア表示を行う)ことで、聴衆が対位法の面白さを追いやすくなる。
- 補筆箇所は編集者注記として明示する(原典に基づく再構築であることを明確にする)。
- 短調の色彩や不安定感を表現するために、ダイナミクスやテンポルバートを慎重に配する。
学術的意義と今後の課題
このような短い断片の研究は、モーツァルトの創作プロセスを窺い知る貴重な手がかりを与えます。即興的な発想、断片的スケッチの保存状態、社交音楽としてのカノンの流通経路など、多面的な研究テーマが考えられます。今後の課題としては、写本の筆跡学的検証、紙質・水印の科学的調査、近年のデジタル全集やデータベースを活用した同系譜作品との比較研究が挙げられます。これらにより帰属の確度を高め、音楽的補筆に対する根拠を強化することが期待されます。
まとめ
「カノン イ短調 K. deest(断片、6小節)」は、その短さゆえに多くの謎を残しますが、モーツァルトが短い動機で強い表現を狙った可能性、社交や作曲習作としての機能、さらには補筆や再構成によって現代に蘇らせる際の豊かな創作余地を示しています。研究・演奏の双方からアプローチすることで、断片が持つ意味はさらに深まるでしょう。
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参考文献
- Digital Mozart Edition(Neue Mozart-Ausgabe のデジタル版)
- IMSLP / Petrucci Music Library(モーツァルト作品・断片の写本資料検索)
- International Mozarteum Foundation(モーツァルテウム財団)
- Köchel catalogue(英語版ウィキペディア:クーへル目録の概要)
- Oxford Music Online / Grove Music Online(モーツァルトに関する総説)
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