深掘り:バッハ BWV 9 「救いはわれらに来たれり(Es ist das Heil uns kommen her)」の音楽・神学・演奏ガイド

バッハ:BWV 9 「救いはわれらに来たれり(Es ist das Heil uns kommen her)」の深掘り

ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータ BWV 9 「救いはわれらに来たれり」(独:Es ist das Heil uns kommen her)は、ルター派の有名なコラール(賛美歌)を素材にしたコラール・カンタータの一例です。本稿では、テクストとメロディの由来、バッハによる音楽的解釈、各楽章の構造と和声・対位法上の工夫、演奏解釈のポイント、そして参考収録盤までを、できるだけ正確に検証した上で詳しく掘り下げます。

歴史的・テクスト的背景

「Es ist das Heil uns kommen her」は、パウル・シュペラトゥス(Paul Speratus)によって16世紀初頭に書かれたコラール詩が出自です(1524年頃)。この賛美歌は宗教改革期の教理、特に「信仰による義認(Justification by faith)」を明快に歌い上げるもので、ルター派教会で広く用いられてきました。バッハはライプツィヒ時代にこうした伝統的コラールを取り上げ、原詩の意義を音楽的に読み替えて教会暦に応じた説教的な意味付けを与える手法を確立しました。

作曲上の位置づけ

BWV 9 は、いわゆる“コラール・カンタータ”の伝統に属し、典型的にはコラールの第1連を用いた序曲的合唱(オープニング・コラール)と、続くレシタティーヴォやアリア、そして最後の四声コラールで構成されます。楽章数は一般に6楽章前後であることが多く、BWV 9 もその枠組みの中でコラールの神学的主題を音楽的に展開します(※作曲年や初演の詳細は研究資料により差異があるため、ライプツィヒ期に成立したコラール・カンタータ群の一部として読むのが安全です)。

楽曲構造と音楽的特徴(概観)

  • 序曲的合唱(Opening Chorus): 原コラール旋律(cantus firmus)を用いた合唱的構造。ソプラノが長い音価で旋律を提示し、内声と通奏低音、器楽が対位的・模倣的に応答する形が取られることが多い。
  • レチタティーヴォ(Recitativo)とアリア(Aria): テキストの解説部分を担い、アリアでは伴奏楽器(オーボエ、ヴァイオリンなどの通奏的なオブリガート)が詩的なイメージを描写する。リトルネロ形式やバロック期の詩的語法が用いられる。
  • 終結の四声コラール(Closing Chorale): コラールの原旋律を四声和声で明確に提示し、信仰共同体としての確信を示す。

第1楽章(序曲的合唱)の読み解き

バッハのコラール・カンタータにおける序曲合唱は、しばしば説教的な導入を音楽的に担います。BWV 9 の場合も、コラール旋律が歌詞の「救い」「恵み」「信仰」といった語を強調するために長音で提示され、他声部と器楽がその周囲で対位法的に展開します。こうした構成は、テキストの中心命題をまず“明示”し、その後の各楽章で“説明”するバッハの典型的な手法です。

中間楽章(レチタティーヴォ/アリア)における表現技法

各アリアでは、バロック期の音楽的語法がテキストの内容に密接に結びつきます。例えば「人間の行いではなく信仰による救い」を歌う部分では、和声進行に突然の和音的な曖昧さや解決感の遅延を用いて“疑い/揺らぎ”を示し、最終的な和声の解決で「信仰の確信」を表現することが考えられます。オブリガート楽器はしばしばテキストのイメージ(安らぎ、闘い、勝利)を描き、アリオーソ的な旋律線が歌唱と掛け合います。

和声と対位法:バッハの“言語化”

バッハはテキストに対して和声進行や対位法上の細かな仕掛けで応答します。たとえばサスペンション半音での下降進行は苦悩や罪の感覚を想起させ、明確な長三和音への解決が救済や確信を示す、といった読み方が成立します。コラール旋律を長音で固定することで、周囲の対位線が“信仰を取り巻く人間的動き”を表すという解釈もできます。

演奏・解釈の実践的ポイント

  • 編成と音色:歴史的演奏(HIP)では弦はガット弦、木管は古楽器で、テンポは歌詞の明瞭性を第一に。大規模合唱では重厚さが増すが、コラールのテクストを明瞭に示すことが重要。
  • テンポ設定:語尾の文節ごとに明確なフレージングを付け、テキストの説得力を高める。レチタティーヴォは言葉の抑揚を優先し、アリアはリトルネロの形を意識して構築する。
  • 装飾と歌唱法:バロック的な装飾はテキストの解釈に従うべきで、誇張は避ける。合唱の場面ではコラール旋律を安定させ、内声・器楽がテキストを描写する役割を担う。

神学的な読み替えと音楽の相互作用

この作品の核心は「救いは神からの賜物であり、人間の行為によらない」というルター派の教えにあります。バッハは音楽的技法(対位法、和声の緊張と解決、旋律の固定化)を用いて、この教理的メッセージを聴衆へ説得力を持って提示します。つまり音楽自体が神学的命題の『視覚化』ならぬ『聴覚化』を担っているのです。

注目すべき録音と演奏例

BWV 9 の解釈には幅があり、歴史的演奏とロマンティックな大編成の双方に魅力があります。代表的な指揮者としては、ジョン・エリオット・ガーディナー(史料に忠実なアプローチ)、マサアキ・スズキ(清澄で歌詞中心の演奏)、ニコラウス・アーノンクールやトン・コープマンらのHIP演奏が挙げられます。録音を聴き比べることで、テンポ、合唱規模、器楽の音色が曲解釈に与える影響がよく分かります。

スコアを読む際の実務的アドバイス

  • まずは四声コラールの原旋律(ソプラノ)とテキストに注目し、短いフレーズ単位で言葉の意味を把握する。
  • 器楽のリトルネロや対位線がどの語句に応答しているかを追跡すると、バッハの〈音で示す〉戦略が見えてくる。
  • 和声進行の“急な変化”や“解決の遅れ”の箇所はテキスト上のキーワードと照らし合わせる。

まとめ

BWV 9 は、古い賛美歌テクストをバッハがどのように受け取り、音楽的に再解釈したかを学ぶ上で極めて良い教材です。序曲的合唱による主題提示、アリアやレチタティーヴォでの詩的描写、そして最後の四声コラールによる共同体的確認――これらはすべて、救いという神学的命題を音楽で提示・強調するための精緻な手法です。演奏側はテクストの意味を常に第一に置きつつ、和声と対位の細かな動きを表出することで、バッハの説教的な力を現代の聴衆にも伝えることができます。

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参考文献