バッハ:BWV 536『前奏曲とフーガ イ長調』 — 構造・演奏・歴史を深掘りする

はじめに

ヨハン・ゼバスティアン・バッハのオルガン曲群の中でも、BWV 536『前奏曲とフーガ イ長調』は、技巧性と音楽的明晰さを兼ね備えた一対として知られています。本稿では、作品の成立と写本・版の問題、前奏曲とフーガそれぞれの構成と対位法的展開、演奏上の実践(登録・テンポ・タッチ)について、楽曲を深掘りして解説します。専門的な分析を交えつつ、実際の演奏や聴取に際してのポイントも提示します。

作曲と歴史的背景

BWV 536はバッハのオルガン作品群の一つで、楽譜は主に写本で伝わっています。詳細な作成年代については諸説ありますが、多くの研究ではライプツィヒ時代(1723年以降)あるいはその前後に成立したと考えられています。バッハは教会オルガニストとしての職務の中で礼拝用の前奏曲やフーガ、独立したコラール前奏曲などを数多く作曲しており、BWV 536もそうした実用性と高度な作曲技巧の両立がうかがえる作品です。

楽曲の全体像と形式

この組曲は前奏曲とフーガから成り、全体を通してイ長調の明るさとオルガンの音色的可能性を活かすように作られています。前奏曲は流麗でありながら和声的に豊かな進行を含み、多くのパッセージはアルペジオや連続するパッセージで進行します。フーガは明確な主題(subject)に基づく対位法的展開が中心で、各声部の入れ替わりや転調を通じて最終的に調性の確保へと帰結します。

前奏曲の詳細な分析

前奏曲は技術的にはやや軽快な性格をもちつつ、和声進行や声部構成に成熟が見られます。以下、主要な特徴をまとめます。

  • テクスチュア:手鍵で流れる伴奏的な図形と、それに対する独立した旋律線が交互に現れる。アルペジオや細かい切れ目のある連続するパッセージが多用される。
  • 和声と調性の扱い:イ長調を基軸に、近親調(五度圏内の属調・下属調)へ短時間で借用される箇所があり、短いシーケンスや転調エピソードを介して再び主調へ戻る形を取る。
  • 機能的推進力:バッハらしい対位的処理はそこかしこに現れ、単なる飾りではなく和声的な目的(導音・対比・アーチの形成)を持っている。
  • 終結部の扱い:最後には確かな終止が用意され、フーガへ滑らかに接続するか、独立した終わりを示す場合がある。

フーガの詳細な分析

フーガは古典的なバロックフーガの構成原則に忠実で、主題の提示とそれに続く回答(answer)、さらにエピソードや対位の発展を通じて締められます。以下に分析上の注目点を示します。

  • 主題の特徴:短いモチーフが明確に提示され、リズム的・音程的に聴き取りやすい形になっている。多くの場合、主題は音程的な輪郭とリズムが結びつき、対位法の展開を可能にする設計となっている。
  • 入場の順序と調性:主題は主要な声部(例えばソプラノ・アルト・テノール・バス相当)で順次現れ、回答は属調(E音を中心とする)で提示されるなど、伝統的な調性のやり取りが観察できる。
  • エピソードの役割:転調や連結のためのシーケンス、主題断片を用いた断片的な対位が配置され、曲の中間部で調的な拡張が行われる。
  • クライマックスと終局処理:最終部では主題の再提示やストレッタ(主題の重複的入場)、あるいは pedal point(長い音の保持)による確定が用いられ、イ長調への確実な回帰がもたらされる。

演奏上の留意点(登録・テンポ・タッチ)

バッハのオルガン曲を演奏する際の重要点は、当時の楽器の特性と礼拝空間での音響を踏まえた登録(stopの選択)と、対位法の明晰さを支えるタッチです。

  • 登録(ストップの選択):イ長調の明るさを活かすため、8'主音群(プリンシパル)を基本に、所々で4'やさらにミクスチャーを加えて輝きを出す。弱音部ではリードやフルストップを避け、コーラスを控えめにする。
  • テンポ設定:前奏曲は流動性を持たせつつも拍節感を失わない速さを選ぶ。フーガは主題の輪郭と声部対話が明瞭に保たれるテンポが必須で、過度に速くすると対位法が埋もれてしまう。
  • タッチとアーティキュレーション:バロック的な軽いアタックと明確なフレージング。レガートとスタッカートの対比を駆使して声部間の分離を行い、主題や回答を際立たせる。

版と資料:入手できる楽譜と写本

BWV 536の楽譜は現代の信頼できる版やオンラインスコアで入手可能です。現代版楽譜ではバッハの対位法の原則に基づいた実用的な校訂が施されています。原典に当たる資料としては、当時の写本や後世の手写譜が存在し、版によって読み替えや補訂が異なる場合があります。実演や研究では複数の版を参照して差異を確認することが重要です。

代表的な録音と演奏解釈の違い

演奏家によって解釈は多様で、歴史的楽器志向のオルガニストは小型で明るいバロック様式の楽器を好み、20世紀のロマン派的な大型パイプオルガンを好む演奏家もいます。代表的な演奏者にはヘルムート・ヴァルヒャ(歴史的概念を持つ演奏)、トン・クープマン、ヤン・タンプライ(クラヴィコードやチェンバロへの移植演奏を試みる例)などが挙げられます。各録音は登録やテンポ感、音色選択の参考になります。

実践的な聴取ガイド

初めてこの曲を聴く場合は、以下の点に注意してみてください。

  • 前奏曲では和声の進行やシーケンスに注目し、バッハがどのように短い素材を変化させているかを追う。
  • フーガでは主題の初出を確認し、その後の声部入場がどのように対話しているかを聴き分ける。中間のエピソードは転調や動機の展開に注目するポイントです。
  • 異なる録音を比較して、登録やルバート(テンポの揺らぎ)、タッチの違いが曲の印象にどう影響するかを聴き比べる。

結び

BWV 536『前奏曲とフーガ イ長調』は、バッハのオルガン作品の中で技巧と音楽的造形がバランスよく示された一例です。写本の伝承や版の差異を意識しつつ、対位法的構築と音色選択を大切にして演奏・聴取することで、作品の魅力はさらに深まります。教会音楽としての実用性と作曲家としての創意が同居するこの作品は、オルガン文学の豊かさを伝える重要なレパートリーです。

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参考文献