バッハ:BWV 982 協奏曲第11番 変ロ長調 — 作品背景と深掘り分析、演奏と聴きどころガイド
概要と作品位置づけ
BWV 982(協奏曲第11番 変ロ長調)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが手がけた鍵盤用協奏曲編曲群(BWV 972〜987)の一曲にあたります。これらは18世紀初頭におけるイタリア協奏曲様式やコンチェルト・グロッソの影響を鍵盤独奏用に移したもので、バッハがその演奏技術と作曲技法を吸収し、自らの語法に組み込む過程を示す重要な資料です。BWV 982は変ロ長調の明るく安定した調性を生かした作品であり、典型的には3楽章(速—遅—速)の構成を取り、リトルネル・形式やソロとリトルネルの対比を鍵盤上で再現します。
成立と歴史的背景
BWV 972〜987の多くはヴィヴァルディや当時のイタリア作曲家、さらにはヨハン・アーノルトやヨハン・エルンスト(ザクセン=ヴァイマルのヨハン・エルンスト公)らの協奏曲を手本にして編曲されたと考えられています。これらの編曲作業は、バッハがヴァイマル(1713年前後)にいた時期に着手したという見方が有力で、イタリア協奏曲の形式と素材がドイツの鍵盤技術へどのように取り込まれたかを示しています。ただし、BWV 982に関しては原曲(モデル)が確実に同定されていないため、“バッハによる独自の鍵盤向け再構成”として扱われることが多い点に注意が必要です。
楽曲構成と音楽的特徴(概観)
BWV 982は3楽章構成をとることが一般的で、以下のような性格を持つとされます。
- 第1楽章(速):リトルネル形式に基づく活発な楽章。主題の提示とリズミックな推進力、装飾的・対位法的なソロ展開が鍵盤上で展開されます。変ロ長調の安定感を基盤に、近親調への短いはしりや転調が巧みに織り込まれます。
- 第2楽章(遅):歌唱的で内省的なアダージョやラルゴの性格を持ち、旋律線の美しさと和声の色合いが際立ちます。伸びやかな伴奏とシンプルながら深い装飾が見られ、リトルネル楽章の対比としての静謐さが表現されます。
- 第3楽章(速):ダンツァ風やプレストに近い快活な終楽章。スケールやトリル、快速のパッセージによる技巧的な見せ場があり、全曲を明るく締めくくります。
これらはいずれも、オーケストラ伴奏を前提とした原曲の「リトルネル—ソロ」対比を、チェンバロ(またはクラヴィコード/ピアノ)1台の表現で再現するバッハの工夫が感じられる点です。
作風的特徴:対位法と鍵盤技巧の結合
BWV 982に限らず鍵盤協奏曲編曲群では、バッハはリトルネルの返答句や合奏主題を鍵盤の左右や二声的/多声的な書法で分配して扱います。典型的には次のような特徴が見られます。
- リトルネル主題の再現とその発展を、オーケストラ的効果を模したアルペッジョや和音群で表現する。
- ソロ部分では装飾的なパッセージ(スケール、トリル、連符)を多用し、チェンバロ奏法の技巧性を前面に出す。
- 対位法的展開や模倣が多用され、単純な伴奏と主旋律の関係からより複雑な音楽的会話へ深化する。
結果として、BWV 982は「協奏的効果」と「鍵盤独奏の聴きどころ」を同時に満たす作品となっています。
楽式解析:1楽章のリトルネル的構成(読み解きのヒント)
第1楽章を具体的に読む際のポイントはリトルネル主題(A)とソロ素材(s)のやり取りです。バッハは主題提示→ソロ展開→再現という大枠を保ちながら、短いエピソードで調性的な変化を挟み、再現部では主題を装飾して戻すという古典的な設計を取ります。鍵盤上では、左手のバス保持と右手による旋律・装飾の分離がしばしば見られ、弾き手は2声〜3声の独立性を明確にすることが演奏上の肝となります。
第2楽章の表現—装飾と歌心
遅楽章はその旋律的な透明さと和声進行の美しさにより、作品全体の感情的な核となります。ここでは無理に速度を落としすぎず、適切な間(間合い)と装飾の選択が重要です。バッハの標準的な装飾記号(トリル、モルデント、カデンツァ風の短いフィギュレーション)を文脈に合わせて用いることで、歌うようなフレーズを生み出します。
演奏上の注意点(楽器・テンポ・装飾)
BWV 982を演奏する際の実践的な指針は以下の通りです。
- 楽器選択:歴史的実践に則るならチェンバロが自然ですが、現代のピアノでも十分に音楽性を表現できます。チェンバロではレジストレーション(ストップ選択)でフレーズの色を作ることが可能です。
- テンポ感:第1楽章と第3楽章はいずれも躍動感を保ちながらも、音の明晰さが損なわれない速さを選ぶこと。第2楽章は歌うことを優先し、装飾でテンポの均衡を崩さないように注意します。
- 装飾の使い方:装飾はテクスチュアを豊かにするための手段であり、過剰に装飾しないこと。バッハ時代の装飾実践に基づき、フレーズの終わりでの軽い装飾や内声の短い受け渡しを意識します。
- ダイナミクス:チェンバロはピアノ的なダイナミクス変化を付けにくいため、アーティキュレーション(軽重)とタッチで表情を作ることが必要です。ピアノ使用時は対位法の明晰さを失わない程度にダイナミクスを用います。
編曲としての意義と作曲技法の学びどころ
BWV 982のような鍵盤編曲は、バッハがどのように協奏曲的素材を鍵盤語法に取り込んだかを学ぶのに格好の教材です。対位法、調性操作、リズムの推進力、そして装飾技術の同居は、彼の作曲学校的側面を示しています。作曲や編曲を学ぶ者にとって、原曲の想像(あるいは既存のモデルとの比較)を通じて、音色やテクスチャの変換方法を学べる点が大きな価値です。
編曲版と復元演奏—ソロと合奏、どちらで聴くか
現代では次のような聴き方・演奏形態が一般的です。
- チェンバロ(ソロ)としての演奏:編曲そのものを純粋に鑑賞する形。鍵盤1台で協奏感を如何に実現するかが注目点になる。
- 復元したオーケストラ(管弦楽)伴奏付きの再構成演奏:BWV 982の原型がオーケストラ協奏曲であった可能性を念頭に置き、弦楽合奏や通奏低音を補って再現する方法。オーケストラ的効果が強調され、別の魅力が生まれる。
- モダン・ピアノによる解釈:ピアノ特有の音量とサステインを活かした表現で、別の色彩を提示するアプローチ。
どの形式でも、対位法の明確さと音型の輪郭を保つことが重要です。作品の性質上、チェンバロ1台でも十分な音楽的満足を得られる設計になっています。
聴きどころ・分析のためのおすすめの聴き方
BWV 982を深く聴くための具体的なポイントは次の通りです。
- 第1楽章:主題の提示→変奏→再現の流れを追い、どの箇所でバッハが音型を変化させているかを確認する。左手と右手の独立性、リズムのアクセントの配置にも注目する。
- 第2楽章:旋律線のフレージングとハーモニーの色合いを味わう。装飾が旋律にどう寄与するかを聴き分けると、表現の幅が広がる。
- 第3楽章:技巧的パッセージの配置と音階進行、そして終結部での調的な安定化(フィナーレのまとめ方)を確認する。
学術的・実践的参考点
BWV 982を研究・演奏するうえでは、以下の点がしばしば議論されます。
- 原曲の同定:一部のBWV 972〜987は特定のヴァイヴァルディ作品を元にしているが、BWV 982のモデルは明確でない。比較音楽学的な手法で原曲を探る試みが続いている。
- 版の問題:現代の校訂版(Neue Bach-Ausgabe 等)や演奏用校訂には差異があるため、複数の版を比較して装飾やリピート、ペダルや右手左手の分割等を検討することが望ましい。
- 実演での再構成:伴奏を付けて演奏する際の編成や通奏低音のあり方については、演奏者と指揮者の判断に委ねられる部分が多い。
まとめ(結論的コメント)
BWV 982は、バッハが協奏曲的素材を鍵盤上でいかに生かしたかを学べる優れた作品です。原曲が特定されていないことで逆に自由な解釈が許され、チェンバロ独奏としての聴きどころ、あるいは復元伴奏を付けた再構成演奏という二面性を楽しめます。演奏者は対位法の清明さと装飾の節度を保ちつつ、リズムとフレーズの推進力を意識することで、バッハの“協奏精神”を鍵盤上に再現できます。
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参考文献
- Bach Digital(バッハ・デジタル) — バッハ作品目録と資料検索
- IMSLP — Keyboard Concerto in B-flat major, BWV 982 (Bach, Johann Sebastian)
- Wikipedia — Keyboard concertos by Johann Sebastian Bach(概説と各作品の位置づけ)
- Bärenreiter(Neue Bach-Ausgabe/校訂版の総覧)
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