バッハ:フルートと通奏低音のためのソナタ BWV1035(ホ長調)— 構造・背景・演奏解釈ガイド
導入 — BWV1035とは何か
ヨハン・セバスティアン・バッハの「フルートと通奏低音のためのソナタ第3番 ホ長調 BWV1035」は、バロック期のフルート・レパートリーを代表する作品の一つです。フルート独奏と通奏低音(チェンバロ/ハープシコード+チェロ等)という編成は、当時の室内音楽で広く用いられ、BWV1035はフルート奏者の技巧と歌心を両立させた典雅な作品として高く評価されています。
成立時期については明確な自筆譜が残っておらず、写本資料を基におおむね1730年代から1740年代にかけての作と推定されています。現在の目録番号BWV1035で分類され、伝統的にはJ.S.バッハ作曲とされていますが、写本の伝承や写譜者の存在などから、史料学的検討が続けられている作品でもあります(出典は下記参照)。
楽曲の編成と楽章構成
編成はフルート(通例、横笛=トラヴェルソ)と通奏低音(チェンバロ等の和声楽器+低音楽器)です。多くの近代版や演奏ではチェンバロ+チェロの組み合わせが用いられますが、当時の慣習に従い、ヴィオラ・ダ・ガンバやリュートのような低音補強も選択されます。
一般に演奏・版に記される楽章構成は次の通りです:
- 第1楽章:Adagio ma non tanto(あるいは類似の遅い導入)
- 第2楽章:Allegro(快速のソナタ風・フーガ的要素を含む)
- 第3楽章:Siciliano(穏やかで歌うような舞曲的楽章)
- 第4楽章:Allegro(軽快な終楽章)
このような4楽章構成は、フランスやイタリア由来のソナタ形式の影響を示しており、遅い楽章と舞曲的な中間楽章を挟んで活発な終楽章へ向かうというバロックの典型的な配置が見られます。
楽曲の特徴と様式的分析
BWV1035では、まずホ長調という明るい調性が曲全体に安定感と色彩感を与えます。第1楽章の緩徐楽章は歌唱的で、フルートのリリカルなレガートと通奏低音の和声的支えが強調されます。バッハの声部術(counterpoint)や内声の処理は、たとえ遅い楽章でも細やかな線の組立てを示し、単なる装飾ではなく構造的役割を担っています。
第2楽章の快速楽章では、ソナタ・スタイルや協奏的なリトルネット(ritornello)的要素が混在します。フルートは跳躍・スケール・分散和音を駆使して主題を展開し、通奏低音は和声の輪郭とリズムの推進力を担います。バッハらしい対位法的な応答(フルートと通奏低音間、あるいはフルート内部の左右声部のやりとり)が見られます。
第3楽章のシチリアーナ(Siciliano)は6/8や12/8の拍子で優雅に揺れ、民俗的な哀愁や歌謡性を感じさせます。ここでは装飾や首尾一貫したフレージングが重要で、フルート奏者は歌うことを第一に考えて音楽を形作ることが求められます。
終楽章は軽快で技術的に要求が高く、通奏低音との対話やフレーズの切れ味が強調されます。短い動機の反復・発展を通じて楽曲全体を締めくくる構造的巧妙さが光ります。
演奏実践(HIP:Historically Informed Performance)上の論点
BWV1035を演奏する際の主要な実践的論点を挙げます。
- 楽器選択:原則的にはバロック・トラヴェルソ(1鍵またはバロック式横笛)を用いることで音色の体裁が当時に近くなります。モダンフルートを用いる場合は、柔らかなダイナミクスや軽いタンギングでバロック的な語法を意識する必要があります。
- ピッチとテンポ:一般的にA=415Hz程度で演奏されることが多いですが、現代オーケストラピッチ(A=440〜443Hz)での演奏も可能です。テンポは楽章の性格に即して決め、リズムの揺れやテンポルバート(rubato)はバロック的な語法の範囲で慎重に用います。
- 装飾とオルナメント:バッハ自身が細かな飾りを書き込んでいない箇所も多く、奏者の判断でダブル・トリル、ターン、モルデントなどを加えます。重要なのは装飾が旋律の意味を損なわないことです。
- 通奏低音の実現:チェンバロの和声実現(figured bassの解釈)と低弦の補強(チェロ/ヴィオローネ等)が音響バランスを決めます。鍵盤楽器は和声の輪郭を示しつつ、フルートのフレージングを支える役割を意識します。
写本・版・編曲の状況
BWV1035を含むフルートソナタ群は、しばしば自筆譜が残らず写本で伝わっているため、各版の読み替えや装飾の付与に差異が出ます。現代の研究・演奏では以下のような版が参照されます:
- 新バッハ全集(Neue Bach-Ausgabe, NBA)に基づく校訂版
- BärenreiterやBreitkopf & Härtelなどのウルテクスト(Urtext)版
- 各演奏家による実演用のリダクションや通奏低音の再構成版
これらの版を比較することで、フレーズの句読点や和声進行の解釈に関する理解が深まります。
聴きどころと集中して聴くポイント
初めてBWV1035を聴く人に向けて、各楽章で注目すべき点を挙げます。
- 第1楽章:フレーズの歌わせ方、呼吸の位置、装飾音が旋律にどう寄与するかを聴き取る。
- 第2楽章:モティーフの反復と変容、フルートと通奏低音の対話、リズムの推進力。
- 第3楽章:シチリアーナ特有のスウィング感=揺れ、内的な抑揚と歌謡性。
- 第4楽章:終結に向けた動機の構築、技巧的パッセージの明快さと短いフレーズの切れ味。
代表的な録音と参考演奏の選び方(指針)
録音を選ぶ際は、以下の点を参考にすると良いでしょう:
- 使用楽器(バロック横笛かモダンフルート)を確認する。HIP志向の演奏はバロックトラヴェルソ+歴史的チューニングで演奏されていることが多い。
- 通奏低音の編成(チェンバロのみ/チェンバロ+弦)はサウンドの厚みを左右するので、自分の好みで選ぶ。
- テンポ感や装飾の豊富さは演奏者によって大きく異なる。歌心重視か技巧重視か、自分の聴取目的に合わせる。
この曲が現代に与える意味
BWV1035は、単に技巧を見せるための作品ではなく、バッハが器楽に与えた歌う性格(“cantabile”)を色濃く示す作品です。フルートという息による発音がバッハの対位法と結び付くことで、声楽的な表現と器楽的技巧の融合が達成されています。近代の奏者にとっては、歴史的な演奏慣習と現代的感覚をどう折り合わせるかが演奏上の挑戦であり、聴衆にとってはバッハの多面性を改めて実感できる機会になります。
まとめ
BWV1035は、ホ長調の明るさ、歌うような旋律、精緻な対位法、そして演奏者の解釈の幅を持つ楽曲です。写本を通じて伝わる性質上、版や解釈の差が生じやすく、演奏者・研究者双方にとって興味深い対象となっています。実演・録音を複数比較して聴き、装飾やテンポの違いを味わうことが、このソナタを深く理解する近道です。
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参考文献
- Bach Digital(作品目録・原典情報) — BWV1035の項目を含む総合データベース
- IMSLP Petrucci Music Library(スコア・写本資料) — BWV1035の楽譜写本と版の比較に有用
- AllMusic(録音レビュー・解説) — 主要録音の紹介と評論
- Bärenreiter(Urtext版情報) — 校訂版の出版情報
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