モーツァルト『レ・プティ・リアン』K. Anh.10 (K.299b) — パリで生まれた小さな舞曲集の魅力を読み解く
はじめに
ウィルヘルム・アマデウス・モーツァルトが1778年にパリで作曲したバレエ音楽「レ・プティ・リアン(Les petits riens)」K. Anh.10(後にK.299bと整理)は、短いダンス群からなる知的で愛らしい小品集です。もとは当時のパリ・オペラで上演された舞台音楽として書かれましたが、今日ではコンサート用の管弦楽小品としても親しまれています。本稿では、作曲の歴史的背景、楽曲構成、音楽的特徴、演奏上の留意点、そして現代の受容までを詳しく掘り下げます。
歴史的背景:パリ滞在とモーツァルトの挑戦
1778年、モーツァルトは母とともにザルツブルクを離れ、より大きな名声と職を求めてパリに滞在しました。この滞在期に生まれた作品群には交響曲(後の「パリ」交響曲 K.297)やピアノ・ソナタ、ヴィオラ/ヴァイオリン作品などが含まれます。「レ・プティ・リアン」は、その一環として当時のパリの舞台芸術需要に応える形で書かれた舞曲集です。
当時のパリではオペラ=バレ(opéra-ballet)やバレエ・パントマイムが人気で、音楽は舞踊の性格や場面転換に合わせた小品的構成が好まれました。モーツァルトもその文脈に応え、軽快な舞曲や抒情的な間奏を連ねることで、舞台上の動きと情景を音楽で彩っています。振付家については諸説ありますが、ジャン=ジョルジュ・ノーヴレール(Jean-Georges Noverre)が関与したとされる例が多く見られます。
楽曲の構成と所要時間
「レ・プティ・リアン」は短い独立した楽章(ダンス)を連ねた組曲的な形式で、一般に6つ前後の小品から構成されています。各楽章は舞踊の性格を持ち、それぞれテンポやリズム、表情が異なります。全曲の演奏時間はおおむね10〜15分程度とされ、バレエの一場面を飾るための付随音楽としては適度な長さです。
楽章ごとの正式な標題は版や録音によって異なる場合がありますが、典型的には以下のような性格の曲が含まれます(表記は便宜上の呼称です)。
- 序曲的な入口(元気で軽快な“Entrée”)
- 抒情的な歌(Andantino等)
- 地方色を帯びた舞曲(Tambourinのようなリズム)
- メヌエットなどの宮廷舞曲
- ロンド風の閉幕曲(Rondeau)
編成と編曲の実情
原曲は小編成オーケストラ向けで、弦楽合奏(第一・第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)を基盤に、2本のオーボエや2本のホルンといった木管・金管の附加で色彩を与える編成が一般的とされています。大編成で豪華に演奏されるよりも、軽やかな室内オーケストラ(古楽的編成や原典に近い音色)で演奏すると、モーツァルトらしい透明感や繊細な対話がよく出ます。
現代では管弦楽版だけでなく、室内楽編成やピアノ連弾用に編曲されることも多く、作品の短さと舞踊的性格がアレンジを容易にしています。
音楽的特徴と聴きどころ
「レ・プティ・リアン」はいわゆる大作には含まれない“小品”ですが、以下の点でモーツァルトの魅力が凝縮されています。
- メロディの自然さと愛らしさ:短いフレーズの中に鮮やかな動機が現れ、簡潔ながら耳に残る旋律を次々に提示します。
- 舞踊的リズムの鋭さ:タンバリン風の田園的リズムやメヌエットの均整など、ダンスの性格を曖昧にせず明確に表現します。
- 色彩的な管楽器の使い方:オーボエやホルンが旋律や対話に加わり、弦との対比で多彩な響きを作ります。
- 簡潔なドラマとユーモア:短い楽章の中でも突然の転調やリズムのずれを用いて聴衆の注意を引き、舞台上の動きを音楽で示唆します。
これらはモーツァルトの“表現の経済性”を示しており、大曲で見られる技巧や深い精神性とは別の次元で、完成度の高さを示しています。
舞台上の機能と受容の変化
初演当時、この種のバレエ音楽は舞台の装飾としての側面が強く、独立した名曲として評価されることは稀でした。しかし19世紀以降、モーツァルト研究と演奏会習慣の変化に伴い、その音楽的完成度が再評価され、コンサート・レパートリーとして定着しました。20世紀後半からは古楽運動の影響で原典に近い小編成による演奏も増え、短いながらも音楽的に緻密な小品として聴き手に受け入れられるようになっています。
演奏上のポイント(現代奏者へのアドバイス)
- テンポ感:舞踊性を保ちつつも、無理に速めすぎずフレーズごとの呼吸を大切にすること。特に抒情的な楽章では歌うことが重要です。
- 音色のバランス:木管を前に出しすぎると弦の柔らかさが失われるため、対話関係を意識する。
- ダイナミクスの細やかさ:短い楽章ほど微妙なニュアンスが効果的。フォルテとピアノの差を利用して場面転換を明確にする。
- 舞台上での実用性:バレエ付随音楽として使用する場合、ダンスとのテンポ調整や繰り返しの指示など舞台側との綿密な合わせが必要。
現代の録音と聴きどころガイド
「レ・プティ・リアン」は録音も多く、古楽器による演奏とモダン楽器の演奏で表情が大きく異なります。古楽系のアプローチは透明で小細工のない魅力を、モダン管弦楽アプローチは色彩感と豊かな響きを前面に出す傾向があります。初めて聴く場合は両方を聴き比べることで、作品の多面性を楽しめます。
結び:小品に宿るモーツァルトの芸術
「レ・プティ・リアン」は短いがゆえに見落とされがちな作品ですが、モーツァルトの旋律感覚、舞踊的リズム、オーケストレーションの巧みさが凝縮された一篇です。パリ時代の社交的・舞台的要求に応えつつも、個人的な美意識が随所に現れるこの小品は、モーツァルト研究や演奏プログラムに新たな視角を与えてくれます。バレエ音楽としての機能を超えた音楽的価値を発見することで、聴き手は“小さな無駄”の中に宿る大きな魅力に触れるはずです。
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参考文献
- Les Petits Riens — Wikipedia
- IMSLP: Les Petits Riens, K.299b (score)
- Neue Mozart-Ausgabe (Neue Mozart Edition) — Digital Mozart Edition
- Wolfgang Amadeus Mozart — Britannica
- Les Petits Riens, K.299b — AllMusic
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