モーツァルト:弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421 — 深層解析と演奏上の視点
はじめに — 作品の位置づけと概要
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421(K.417b)は、1783年にウィーンで作曲された作品で、モーツァルトがヨーゼフ・ハイドンに捧げた6曲の弦楽四重奏曲(いわゆる“ハイドン・セット”)の第2曲にあたります。これら6曲(K.387, 421, 428, 458, 464, 465)は、古典派弦楽四重奏の到達点を示す意欲作として評価され、ハイドンから受けた影響と、モーツァルト自身の個人的な表現が融合した傑作群です。K.421はニ短調という珍しい短調で書かれ、他の多くのモーツァルト室内楽曲とは一線を画す陰鬱さ、緊張感、そして繊細な内面性を持っています。
歴史的背景と成立事情
1782年から1785年にかけて作曲されたハイドンに捧げる6曲は、モーツァルトがハイドンの弦楽四重奏曲から学んだ形式的厳格さと対位法的技巧を取り入れた試みでした。K.421は1783年に成立し、同時期の交響曲や宗教曲、オペラ創作と並行して書かれています。1780年代初頭のウィーンは音楽的競争と革新の渦中にあり、室内楽における表現の幅も拡大していました。その流れの中で、モーツァルトは四重奏という編成を用い、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロによる対話的な書法で個人的感情や劇的展開を精緻に描き出しました。
版と原典について
K.421は初版が18世紀に出版され、以後多くの校訂版や現代版(Urtext)が出ています。近年はNeue Mozart-Ausgabe(デジタル・モーツァルト=オーサー)の信頼できる校訂や、Henle、BärenreiterなどのUrtext版が演奏・研究の基準とされています。原典校訂は断続的な指示やアーティキュレーション、装飾の扱いで差が出るため、演奏前に版の出典を確認することが重要です。
楽曲の構成(総論)
四楽章形式が基本で、伝統的なソナタ形式やミヌエット、緩徐楽章、そして終楽章での再帰的な展開が組み合わされています。ニ短調という調が作品全体に暗い陰影を与え、主題の造形や和声進行にはしばしば予想外の転調や半音的な動きが登場します。ハイドンから学んだ対位法的手法も随所に見られ、特に発展部や終結部での声部間の掛け合いは高度です。
楽章別詳細分析
第1楽章 — 劇的なソナタ形式(Allegro moderato 等)
冒頭からニ短調の主題が提示され、短調特有の厳しさと憂愁が立ち上ります。第1主題は切迫感のあるリズムと内声の対位が特徴で、導入部から既に緊張が保持されます。副題は対照的に旋律性を帯びることが多く、短調と長調、あるいは内声の不協和と解決を通じて情緒の揺れを描写します。展開部では借用和音や半音階的な進行、対位的展開が活用され、主題素材を多面的に変容させてドラマを構築します。再現部では調性上の工夫(例:並行長調への短い転換や装飾的改変)により、単純な繰り返しを避けた緊張の解消が試みられます。
第2楽章 — ミヌエットとトリオ(舞曲の古典的枠組みの中の陰影)
形式上は伝統的なミヌエットとトリオですが、ここでもニ短調の影が残り、拍節感やアクセントの付け方で器楽的な語り口が変化します。ミヌエット本体はしっかりとしたリズムを基盤に、短調ならではの鋭い切れと内省的なフレーズが交互に現れます。トリオ部分は一時的に風景を変え、和声的にも和らいだ印象を与えることが一般的ですが、装飾や対位の扱いで再び緊張を露わにする箇所もあります。
第3楽章 — 緩徐楽章(Adagio/Andante 的な歌)
緩徐楽章は作品の感情的核心と見なせる部分で、短調の緊張から一歩引いた長調の安息や、逆に内面の沈潜を示す場面が交互に現れます。旋律は歌うように展開し、内声部の支えと細かな装飾が表情豊かに機能します。和声的には遠隔調や短調⇄長調の微妙な往復が用いられ、聴き手に深い余韻を残します。ここでの呼吸感や間(ま)は全体の表現を大きく左右します。
第4楽章 — 終楽章(活発なソナタ=ロンド的運動)
終楽章はしばしば快活な運動性を回復し、劇的な余韻を整理して作品を締めくくります。テーマの提示と回帰、対位的な挿入句、急速なスケールや跳躍により、冒頭の暗さは完全には消えないまでも、より明確な結末へと導かれます。モーツァルトはここでも動機の統合や対位の技巧を駆使し、単なる形式的帰結以上の意味付けを行っています。
和声と対位法の工夫
K.421は和声的には短調における拡張的な用い方、すなわち副和音や借用和音、半音階的進行を積極的に取り入れています。また対位法的処理が顕著で、声部間の模倣やフーガ風の扱いが場面を引き締めます。これはハイドンに対する尊敬と同時に、モーツァルト自身が古典的形式の内で新たな表現を模索していたことの証左です。
演奏上のポイント(実践的アドバイス)
- 調性と表現のバランス:ニ短調の暗さを強調しすぎると全体が重くなりがちなので、楽章ごとのコントラストを明確にして聴衆の注意を引き続けること。
- 呼吸と句読点:特に緩徐楽章でのフレージングは歌唱的に、長いフレーズをどう『呼吸』させるかがカギです。
- アーティキュレーション:古典派的な軽やかさと、必要なところでの重さ(重音、スタッカートの強調)を使い分ける。
- ピリオド奏法の意識:歴史的奏法(ガット弦、古典的ボウイング、控えめなヴィブラート)を参考にすることで、和声の透明感や対位の鮮明さが引き立ちますが、現代楽器でもテクスチャを明瞭に保てば有効です。
- 版の選択:Bärenreiter、Henle、Neue Mozart-Ausgabe いずれかのUrtextに基づき、演奏パート間で装飾やダイナミクスの扱いを統一すること。
聴きどころと解釈の複数性
この四重奏曲は、劇的な説得力と内的な静けさを併せ持つため、解釈の幅が大きい作品です。ある演奏はドラマ性を前面に押し出し、短調の厳しさを強調して聴衆を引き込む一方で、別の演奏は内面の微妙な色合いを細やかに描くことに力点を置きます。いずれのアプローチでも重要なのは、モチーフの有機的な扱いと楽章間の大きな物語性を意識することです。
代表的な録音と聴取のすすめ
モーツァルトの弦楽四重奏曲全曲やハイドン・セットの録音は数多くあります。伝統的な解釈を求めるならばアマデウス四重奏団(Amadeus Quartet)、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartet)やエマーソン弦楽四重奏団(Emerson String Quartet)などの名盤が参考になります。より現代的な鮮明さやピリオド志向のアプローチを求めるならタカーチ四重奏団(Takács Quartet)やアーティス四重奏団(Artemis Quartet)なども魅力的です。複数の録音を比較することで、作品の多層的な魅力が見えてきます。
研究と今後の課題
K.421は学術的にも興味深い題材で、モーツァルトの和声観、対位法の運用、そして室内楽における物語性の構築という観点から多くの研究が行われています。今後の課題としては、演奏史的な観点からの比較研究(歴史的奏法と現代演奏の差異)、版の差異が演奏に与える影響の定量的検証、そして同時代の聴衆がこの曲をどのように受け止めたかの文化史的考察などが挙げられます。
まとめ — なぜK.421を聴くべきか
弦楽四重奏曲第15番 K.421は、モーツァルトが古典的技法と個人的表現を高度に統合した作品です。ニ短調という調性がもたらす劇的な陰影、対位法と和声の巧みな組合せ、楽章を貫く統一性と対比は、室内楽の醍醐味を存分に味わわせてくれます。演奏者にとっては解釈の難しさと同時に大きな表現の自由が与えられる曲であり、聴衆にとってはモーツァルトの深淵な側面に触れる最良の入口のひとつです。
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参考文献
- IMSLP — String Quartet in D minor, K.421 (Mozart)
- Neue Mozart-Ausgabe / Digitale Mozart-Ausgabe
- Britannica — Wolfgang Amadeus Mozart
- AllMusic — String Quartet in D minor, K.421
- Classic FM — Mozart's String Quartets (解説記事)
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