モーツァルト『ツァイーデ』K.344(K6.336b)──未完のシンゲシュピールを読み解く

はじめに — 『ツァイーデ』とは何か

『ツァイーデ』(Zaide)K.344(K6.336b)は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1779年から1780年にかけて手がけたドイツ語のシンゲシュピール(歌劇)作品で、未完成のまま残された断片的なオペラです。全曲が完成せず、序曲も欠いているため長く知られず、20世紀になってから学術的・演奏上の関心が高まりました。本稿では、作曲史的背景、作品の音楽的特徴、未完成であることの意味、上演と録音の現況、そしてモーツァルトのオペラ作曲家としての発展における位置づけを詳しく掘り下げます。

作曲の背景と時期

『ツァイーデ』が作曲された1779–1780年という時期は、モーツァルトがザルツブルクに戻り、宮廷楽長としての職務の合間にさまざまなジャンルで作曲を行っていた時期です。1780年前後はドイツ語のシンゲシュピール形式が広く支持されており、モーツァルト自身もドイツ語歌唱を伴う劇音楽へ関心を示していました。『ツァイーデ』には、後の『魔笛』や『後宮からの誘拐』(Die Entführung aus dem Serail)に通じる要素、たとえば語りを交えた性格描写や民族色(オリエンタリズム)への志向が窺えます。

台本と登場人物(概要)

『ツァイーデ』の台本(リブレット)は現在のところ確定的な作者は知られていません。台本はドイツ語で書かれ、物語の主題は奴隷制度や身分を越えた恋と自由の希求といった、18世紀の啓蒙的なテーマに近いと言えます。題名の通りヒロインが中心的な存在で、個人の感情と人間的尊厳が物語の核を成しています。ただし、作曲は断片に留まるため、物語の完全な筋書きや結末はモーツァルトの筆によっては残されていません。

作品の現存状態と楽譜資料

『ツァイーデ』の自筆譜は断片的に現存し、モーツァルト自身の筆跡で書かれたアリアや重唱、レチタティーヴォ(伴奏付き/セッコ)などが残っています。しかし、序曲はなく、場面転換後の連結部分や結末を示す楽曲は欠落しています。こうした断片性があるため、現代の上演では補作や編曲、あるいは台本の整理によって上演されることが多く、様々な楽譜版が存在します。学術版としては『Neue Mozart-Ausgabe』(新モーツァルト全集)で断片の校訂版が収録されています。

音楽的特徴 — 構成とスタイル

『ツァイーデ』に見られる音楽的特徴は、モーツァルトのオペラ語法が成熟に向かう過程の痕跡を示しています。特徴をまとめると次の通りです。

  • アリアと重唱のバランス:個人の感情を深く掘り下げる抒情的なアリアと、人間関係や劇的対立を表す二重唱・三重唱が組み合わされている点。
  • 伴奏付きレチタティーヴォの用法:重要な心理的転換点や感情の高まりで、単なるセッコ(通奏低音)に留まらない伴奏を用いる部分があり、劇性を高めています。
  • 楽器法の色彩感:民族的な“異国趣味”を示す色彩的な管楽器の扱いや、場面に応じた器楽的効果を試みる兆候がある点(ただし、編成は断片に依存)。
  • 声部の対話性:モーツァルトが後に極める人物造形の萌芽が、対位的・和声的な声部の絡み合いとして現れていること。

未完成の理由とその影響

なぜモーツァルトは『ツァイーデ』を完成させなかったのか、明確な史料は残っていません。可能性としては、宮廷からの新たな仕事や他の作曲案件、あるいは台本上の問題(リブレットの不備や上演の見込みの低さ)など、外的事情が絡んだと考えられます。またモーツァルト自身が題材に満足しなかった、あるいはより新しい表現の探求に心を移した、といった内的要因も想定されます。未完成であることは、後世の解釈・補作を促し、学者や演出家にとっては自由度の高い素材ともなりました。しかし同時に、作品本来の「完成形」を知ることは不可能であり、断片性が評価・上演の難度を高めています。

上演史と近現代の受容

『ツァイーデ』は19世紀にはほとんど演奏されず、20世紀になって断片の校訂と研究が進むにつれて上演・録音が増えました。上演形態は多様で、校訂版のまま断片を分節して演奏される場合、あるいは補作家や編曲者が失われた部分を補ってドラマティックな統一を図る場合があります。近年では学術的な校訂に基づき、現代の舞台美術や演出家の解釈を加えて上演されることが多く、モーツァルトのシンゲシュピールにおける重要な過渡期作品として関心が高まっています。

聴きどころ — 音楽分析の観点から

聴衆として『ツァイーデ』に接する際のポイントを挙げます。

  • 抒情アリアの旋律線:モーツァルトの歌唱感覚が如何に自然で、同時に緊張と解決を巧みに組み立てているかを味わってください。旋律の小さな進行や装飾が人物心理を豊かに示します。
  • レチタティーヴォの劇性:伴奏音形が歌の表情とどのように結びつき、場面の重心を変えているかを聴き比べると、モーツァルトの劇作技術が見えてきます。
  • 重唱・合唱の書法:複数の声が対話する箇所では、和声の進行と声部配置がドラマの層を増している点に注目すると良いでしょう。
  • 編成と色彩:断片ながら管弦楽の使い分けが場面描写に貢献しています。編成の違う録音を比較して音色の選択を味わうのも面白い体験です。

モーツァルトの作品群における位置づけ

『ツァイーデ』は、モーツァルトのオペラ制作の流れの中で重要な橋渡し的作品といえます。古典的なイタリア・オペラの技法や形式に影響を受けつつ、ドイツ語によるシンゲシュピールの語法を模索している点、そして後の偉大な歌劇(特に『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』以後の成熟期)への萌芽が見られる点で重要です。未完成であるが故に、モーツァルトがどの方向へ進もうとしていたのかを推し量る手がかりを提供してくれる作品でもあります。

現代の聴き手への提言

『ツァイーデ』を初めて聴く人には、完全作品と比べて「断章」的であることを受け入れることをお勧めします。断片だからこそ見えるモーツァルトの手法、例えば一つ一つのアリアや場面転換に凝縮された創意、短いフレーズの中に秘められた心理描写などに注意を向けると、作曲家が作品全体で達成しようとした構想の輪郭が浮かび上がってきます。また、複数の録音・校訂版を聴き比べることで、補作や編曲が結果に如何に影響を与えるかを体感できるでしょう。

結語

『ツァイーデ』K.344は、未完成というハンディキャップを抱えながらも、モーツァルトの芸術的発展を示す重要な証言です。断片に残された旋律、伴奏の配慮、そして音楽と台詞が結びつく瞬間には、モーツァルトのオペラにおける鋭敏なドラマ観が現れています。今日、研究者や演出家が試行錯誤を重ねる中で、『ツァイーデ』は往々にして新しい解釈や音楽的発見をもたらす舞台となっています。未完であることを単なる欠落と見るのではなく、発見と再創造の可能性を秘めた素材として楽しんでいただければ幸いです。

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参考文献