モーツァルト『上方及び下方2度入りによる2つのカノン』K. deest を深掘りする:成立・様式・演奏上の論点

導入 — 稀少な題名とK. deestの意味

「上方及び下方2度入りによる2つのカノン」という題名で伝わる断片的な作品は、いわゆるK. deest(ケッヘル番号未記載)群に含められる、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト帰属の短いカノン群の一例として扱われます。K. deestとは、ケッヘル(Köchel)目録に正式な番号が付されていない作品を示す表現で、出典が確定していない、もしくは目録化の過程で扱いが分離された断章などに用いられます。

こうした小品群は18世紀後半のウィーンやザルツブルクのサロンで、作曲家自身や友人たちの社交の場で『遊び』として作られ、時にいたずらめいた歌詞を付されて歌われることもありました。モーツァルトのカノンは数多く現存し、その中には作者確定が困難なものや後世に誤帰属されたものも含まれます。したがって本稿では、伝承上の題名と分類(K. deest)を踏まえつつ、作品の音楽的特徴や歴史的・理論的観点からの解釈を慎重に整理します。

題名が示す音楽的特徴:2度による模倣の意味

「上方及び下方2度入り」という表現が意味するのは、カノンの導入間隔(模倣の開始音)あるいは進行上で、上方二度(上声が原旋律の2度上に入る)と下方二度(下声が原旋律の2度下に入る)というような二度音程を模倣の原理に用いることです。二度は和声的には強い短調・長調の緊張(不協和)をもたらすため、通常の三度・五度・八度模倣とは異なる独特の響きを生みます。

古典派の対位法実践では、二度をそのまま同時に与えることは慎重に扱われ、準備や解決を伴うことで初めて許容されるケースが多いです。したがって、二度を入れるカノンは、作曲家が巧みに分散和音や前打音、ススピション(持続する不協和)を用いて二度の生じる瞬間を和声的に処理しているはずであり、そこに作曲技術の妙が表れる点が聴取・分析の焦点になります。

成立と伝承 — 出典・成立時期・帰属の問題

この種のカノンがどの時期に成立したか、また本当にモーツァルトが作曲したのかについては、写譜の存在形態や書誌的手掛かりに左右されます。多くの短いカノンは手稿が散逸していたり、友人の写譜本に転載されていたりするため、写譜の筆跡比較、紙質・インクの年代測定、記譜法の特徴比較などの音楽学的手法が必要です。

デジタル音楽典籍やニュー・モーツァルト・オウタフゼ(Neue Mozart-Ausgabe)あるいはモーツァート・デジタル・エディション(Digital Mozart Edition)などのデータベースを参照すると、モーツァルトに帰属される短小カノンの多くは確実な一次資料に基づかない伝承が混在しており、編集者注記に帰属の疑問や補筆の可能性が記されています。従って「K. deest」として扱われる作品群を論じる際は、常に帰属不確定性を明示することが学術上の慎重な姿勢となります。

楽曲構造の考察(理論的示唆)

実際の譜例が手元にない状況でも、題名が示す「上・下2度入り」を元に理論的な論点を整理できます。

  • 不協和の管理:二度の同時発生は通常の和声進行とは異なるため、作曲家は準備的な音(コンダクティング・トーン)や和声音列の分割を用いて二度を一時的な不協和にする手法を多用するでしょう。
  • 模倣の遅延(エントランスの工夫):模倣間隔が短く不協和を生みやすい場合、入りのタイミングや装飾音の付加を工夫して、同時発生を避けるか/意図的に生じさせて音楽的効果にするかが判断されます。
  • 和声的帰結:二度模倣は長期的には旋律が和声的な結論(例えば最終和音への導入)へ収束するための運動となるため、終止形への導入部分で特有の解決処理(解決するべき不協和の準備)が見られるはずです。

対位法上の工夫と古典派の語法

モーツァルトの時代、対位法的訓練は作曲家にとって基礎教養でした。二声カノンにおいて二度が関与するとき、次のような対位法的工夫が典型的に用いられます。

  • 先行声の音型を少し変形(間接模倣)して、二度同時発生時に不快なクロマチック重複を避ける。
  • 転回や反行(inversion, contrary motion)を局所的に導入して、和声的に受け入れやすい配置へもっていく。
  • 非和声音の準備と解決(例えば上方二度が一時的な隣接音として生じ、和声音により解決される)を明確に記譜する。

演奏・解釈上の注意点

実演においては、二度が多発する箇所での以下の点が聴取上・技術上の課題となります。

  • テンポ設定:対位の線が明瞭になるよう速すぎず遅すぎないテンポ選択が重要です。短いカノンならば適度に軽快で対位線を際立たせるテンポが好まれます。
  • イントネーションとアンサンブル:二度の同時発生はしばしば耳に鋭い不協和として届くため、弦楽や声のアンサンブルでは微細なテンション管理(わずかなプル・アウトや意図的なレガート)が有効です。
  • フレージングと装飾:模倣が聞き取りやすいように前打音や装飾の扱いを統一し、模倣の開始点を明示します。歌詞が付される場合は明瞭な発語も不可欠です。

関連作品と比較:モーツァルトのカノン手法の位置づけ

モーツァルトの他の短いカノン群(戯曲的な台詞を伴うもの、友人間で歌われたものなど)と比較すると、二度を模倣に用いる試みは実験的であり、作曲家の対位法への深い理解とユーモアのセンスを同時に示します。古典派におけるカノンは教育的練習でもあり、こうしたタイプの問題作は作曲家が技術を磨いた痕跡とも読めます。

研究の現状と今後の課題

帰属の確定には、さらなる一次資料の精査や写譜比較、筆跡学的研究が必要です。また、もし複数写本が見つかれば、音型の変異から作曲日時の絞り込みや伝承経路の推定が可能になります。音楽学的には、こうした小作品を単なる雑学扱いにせず、当時の演奏実践や社交文化の一要素として位置づけ直すことが有益でしょう。

まとめ — 音楽史的・演奏学的意義

「上方及び下方2度入りによる2つのカノン」K. deestという題記は、短いが含意の大きい作品群を指し示します。題名が指す二度模倣は和声的・対位法的に難度が高く、モーツァルト自身(あるいはその周辺の作曲家)による卓越した技法の証左となり得ます。現存資料の限界があるため帰属や細部の断定は慎重を要しますが、研究と演奏の両面で再評価する価値が高い素材です。

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参考文献