バッハ(BWV50)『いまや、われらの神と救いと力と』徹底解剖 — 真贋論争と音楽的解析
イントロダクション — BWV 50とは何か
BWV 50『いまや、われらの神と救いと力と』(ドイツ語原題: Nun ist das Heil und die Kraft)は、長らくヨハン・セバスティアン・バッハのモテットとされ、二重合唱(ダブル・コーラス)を用いた力強い一曲として演奏・録音されてきました。しかし、原典資料の不足や作風上の差異から、現代の音楽学ではその作曲者帰属に強い疑問が呈されています。本稿では、史料状況、楽曲の音楽的特徴、演奏実践、そして現代における受容までをできる限り詳しく整理・考察します。
原典資料と真贋問題
BWV 50について最も重要なのは、バッハ自筆譜(Autograph)が現存しないことです。作品はバッハの作品目録(BWV)に組み込まれているものの、オリジナルの筆写譜が欠けているため、作曲者帰属の判断は手元に残る写本や写譜の比較、様式的分析に依存します。
近代以降の研究では、以下の点が指摘されています。
- 自筆譜が存在しないこと。
- 現存する写本群や初期の装丁・伝承が不十分で、他の確実なバッハ作品と比較すると筆記・表記上の差異が見られること。
- 和声進行や対位法の扱い、声部間の配置などにおいて、バッハの確固たる作風と一致しない部分があるとの指摘。
これらを根拠に、現代の学界では「J.S.バッハ作」と断定することに慎重な態度を取る論者が多く、作品一覧においても『帰属不明』『別作者の可能性あり』として扱われることが増えています。ただし、史料が限定的であるため断定は困難であり、演奏史的には依然として「バッハのモテット」として扱われることも多い点に注意が必要です。
テクスト(歌詞)と宗教的意味
テクストは新約聖書の黙示録(Revelation)第12章10節の一節「Nun ist das Heil und die Kraft und das Reich unsres Gottes und die Macht seines Christus」(いまや、救いと力と神の王国とキリストの権威が来たれり)を基礎にしています。この言葉は勝利宣言・神の支配と救済の到来を告げる強烈な宗教表現であり、モテットという形式上、礼拝や儀式的な場面で用いられ得る力強い宣言として機能します。
テクストの性格上、合唱部分には断定的かつ荘厳な表現が求められ、反復や応答(アンティフォナル)による強調が効果的です。作曲者がバッハか否かを問わず、テキスト自体が音楽的な設計を促す素材になっている点は共通しています。
楽曲の音楽的特徴(構成・和声・対位法)
本曲の音楽的特性を整理すると、次のようなポイントが挙げられます。
- 二重合唱(コーラスI / コーラスII)を利用したアンティフォナル(抗歌)効果。群を分けての掛け合いが曲全体のダイナミクスを形成する。
- 冒頭はおおむねホモフォニー(同時同和のテクスチャ)による力強い声明風の導入で始まり、その後フーガ的・模倣的な展開や交互応答が現れる。
- 和声進行には古典的な属→トニカの動きだけでなく、強い転調や意外な和音連結が見られる箇所があり、これが一部の研究者に「バッハ作品らしからぬ特徴」として注目されています。
- テクスチュアの切替(ホモフォニー→対位法→合唱全体の合一)は劇性を高めており、テキストの「救い」「力」「王国」といった語句で特に強調がなされる設計が窺えます。
上述のような特徴は多くのバロック期モテットに共通する要素でもありますが、細部の対位法的技巧や和声処理の傾向がJ.S.バッハの標準的作法と完全には一致しないため、学術的な帰属検討の対象になっています。
演奏実践上の論点 — 楽器の扱いと合唱人数
モテットの古演奏学的取り扱いには諸説あり、BWV 50でも以下の点が議論になります。
- 器楽の有無:バロック期にはしばしば声部を弦楽器や木管が倍奏する慣習があり、モテットでも同様の扱いがあり得ます。したがって歴史的には器楽を用いる演奏が成立し得ますが、近年の一部の古楽演奏家は、原典の声楽的純度を重視して無伴奏や通奏低音のみで演奏する例もあります。
- 合唱人数(OVPP=one voice per part)論:近年のバッハ研究で唱えられる "一声部一人" の実践を本曲に当てはめるかは演奏解釈次第です。ダブルコーラスのアンティフォナル効果を重視する場合は各合唱を複数人数で編成する方が効果的です。
- テンポ・アーティキュレーション:テクストの明瞭さを優先するならやや緩やかなテンポと明確なアーティキュレーションが有効。逆に宣言的・軍事的な性格を強調するなら速めで切れのある読みも有効です。
演奏者は歴史的資料と現代的解釈のバランスを取りながら、作品の劇性・宗教的重みをどう表現するかを検討する必要があります。
受容史と録音史の概観
BWV 50は作曲者帰属の疑問がありながらも、20世紀から21世紀にかけて多数のモテット集に収録されてきました。合唱団や指揮者の多くは音楽的魅力と儀礼的な重みからレパートリーに加えており、録音・演奏機会は比較的多い曲です。著名な古楽・現代合唱の団体がそれぞれの解釈で取り上げている点から、曲自体の表現力は高く評価されています。
録音においては、器楽を伴う編成と無伴奏(あるいは通奏低音のみ)での編成が混在します。どの編成が正統であるかは結論が出ていないため、リスナーは複数の録音を比較して解釈の幅を楽しむとよいでしょう。
聴きどころと演奏家への実践的アドバイス
聴者・演奏者双方にとって押さえておくべきポイントは次の通りです。
- 冒頭の宣言的なホモフォニー:ここでの音の重心とアタックは曲全体の印象を決める。声の均質性とアクセントの統一が重要。
- アンティフォナルな掛け合い:左右の合唱が対話する際、応答の粒度とテンポ感を整えることで空間的効果が際立つ。
- 和声の転換点:突然の和声変化やモダレーションがテクストのポイントで起こる箇所は特に注意深く表情を付ける。
- フィナーレの収束:全体の結びは力強く、しかしテキストが示す宗教的確信にふさわしい深みを持って終結させる。
学術的な今後の課題
BWV 50に関する研究上の課題は大きく二つあります。一つは史料学的な調査(未発見写本の発見や既存写本の系譜学的再検討)であり、もう一つは様式論的・比較分析に基づく作曲者帰属の検証です。技術的に言えば、写譜の筆跡・用紙・調(調性)・スコア表記の特徴を精査することで、作曲地や時期、あるいは特定地域の作曲家群との関連性が明らかになる可能性があります。
結び — BWV 50の魅力と位置づけ
作曲者帰属が未確定であるにも関わらず、BWV 50は力強い宗教的宣言とポリフォニックな表現を兼ね備えた魅力的な作品です。バッハの作と断定できない状況は学問的興味をかき立てる一方、演奏家・聴衆にとっては多様な解釈の余地を提供します。本曲を聴く際は、テクストと音響空間の相互作用、そして二重合唱が作り出す対話性に注目すると、新たな発見が得られるでしょう。
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参考文献
- Bach Cantatas Website — BWV 50(英語)(作曲者帰属や史料の概説)
- Wikipedia: Nun ist das Heil und die Kraft, BWV 50(英語)(出典・参考文献欄の参照に便利)
- IMSLP: スコア(写譜)(現存資料の確認に有用)
- Oxford Music Online / Grove Music Online(有料)(バッハやモテットに関する学術的総説)
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