バッハ『マニフィカト』BWV243a(変ホ長調) — 起源・構成・演奏史を深掘り

序論:BWV243aとは何か

ヨハン・セバスティアン・バッハの「マニフィカト(Magnificat)」は、ラテン語聖書に基づく讃歌を音楽化した作品で、作品番号BWV243として広く知られています。しかしその原初的な形態が変ホ長調で作曲された版、通称BWV243a(変ホ長調版)です。本稿ではBWV243aの成立背景、音楽構造、テクストと典礼的役割、ニ長調版(通称BWV243)との相違、演奏習慣や録音史、スコアと校訂版に至るまで、できるだけ厳密に検証しつつ深掘りします。

歴史的背景と成立

一般にBWV243aは、バッハがライプツィヒのトーマス教会の指導者(トーマスカントル)としての初期にあたる時期に作曲されたとされます。ライプツィヒでの典礼暦に沿った音楽活動の一環として、クリスマスや降誕節の礼拝のために制作されたことが背景にあります。変ホ長調版(BWV243a)にはクリスマスの祭儀に特有の「ラウデス(laudes)」と呼ばれるドイツ語の聖歌的挿入曲が複数組み込まれており、これが後年のニ長調版との最大の相違点の一つです。

その後バッハは本作を改訂・移調し、主にニ長調の版(通常BWV243と表記)を残しました。学術的にはBWV243aが原初版であり、宗教暦に合わせた挿入句を含むために宗教的行事に密接に結びついた性格を持っていると理解されています。

典礼上の位置づけとテクスト

「マニフィカト」は聖書ルカ福音書にあるマリアの賛歌(Magnificat)をそのままテクストに用いる作品です。ラテン語の原典を基礎にしつつ、BWV243aではクリスマスのための独自のドイツ語挿入句(ラウデス)が挿入され、ミサやヴェスペルス(晩課)に即した実用的な配置がなされています。つまりBWV243aは、単なる礼拝用の合唱曲にとどまらず、季節性(クリスマス)を反映した儀礼音楽として作られました。

音楽的構成と特色

BWV243aの音楽的構成は、合唱と独唱(ソロ)を交互に配置し、コラール的な要素と華やかな合唱を組み合わせたカンタタ的な構築を示します。開幕の合唱曲から始まり、テキストのセンテンスごとに多彩な編成(合唱、ソプラノやアルトのアリア、対位法的なアンサンブルなど)が現れます。

ハーモニーや対位法の扱いは典型的なバッハのものですが、BWV243aに特徴的なのは、クリスマス挿入句によって音色と様式が拡張されている点です。これらの挿入句は、場面ごとに民謡的、あるいは賛美歌的な色彩を与え、典礼的な聴感を強めます。また、金管楽器(ナチュラルトランペット)やティンパニを含むことにより、祝祭的な輝きが一層強調されます。

BWV243aとニ長調版(BWV243)の相違点

主要な相違点は以下の通りです。

  • 調性の違い:原初版は変ホ長調(BWV243a)、改訂版はニ長調(BWV243)に移調されている。
  • クリスマス挿入句(ラウデス):変ホ長調版には複数のドイツ語挿入曲が存在し、クリスマス用の典礼構成になっている。改訂の際にこれらの多くが削除または再編成された。
  • 編成とオーケストレーションの差異:ニ長調への移調は自然トランペットなど当時の楽器の扱いにも影響し、結果的に管弦楽の色彩に変更が生じた。
  • 楽章数と配置:挿入句があることで変ホ長調版は楽章数が増え、礼拝の構成に即した流れになっている。ニ長調版はよりコンサート化しやすいまとまりを持つ。

演奏慣行と史的解釈の問題点

20世紀後半以降、歴史的演奏実践(HIP)が普及し、本作品でも楽器編成・速度・発音・コロラトゥーラの取り扱いなどが再検討されてきました。合唱人数については、1声1人(OVPP)の立場を主張する研究者もいれば、伝統的な合唱団編成を支持する立場もあります。どちらのアプローチもBWV243aの異なる側面を浮かび上がらせ、クリスマス挿入句の有無や楽器の選択が解釈を大きく左右します。

注目すべき楽曲的要素

  • 開幕合唱:力強いポリフォニーとリズミカルなアクセントで作品全体の方向性を提示する。
  • アリアとレチタティーヴォ:独唱部はテクストの内面的な意味を掘り下げ、器楽間の対話を通じて表情を作る。
  • ラウデス(挿入句):民衆的な親しみやすさと祈祷的な雰囲気を与え、典礼の場での直接的な関与を促す。
  • 終曲のドキシー(栄光頌):短いながらも締めくくりとしての力強さと感謝の精神を示す。

版と楽譜、校訂の状況

BWV243aの原資料は散逸や版の差異があり、校訂者は史料比較を行いながら演奏用の総譜を編纂しています。新バッハ全集(Neue Bach-Ausgabe)やBärenreiter、さらにはBach Digitalなどが主要な参照点になります。演奏用楽譜を選ぶ際には、挿入句の扱い(演奏するか否か)、オーケストラの編成表記(天然トランペットやオーボエ類の指定)などを確認することが重要です。

録音史と注目録音

BWV243a/BWV243は多くの録音が存在し、演奏解釈の変遷を辿ることができます。20世紀後半の大型合唱+モダン楽器による演奏から、1980年代以降の歴史的に見直された演奏スタイル(原典版や古楽器使用)へと移行しました。代表的な指揮者としては、歴史的演奏の観点からジョン・エリオット・ガーディナー、マサアキ・スズキ(鈴木雅明)、フィリップ・ヘレヴェッヘ、トン・クープマン、伝統的解釈ではカール・リヒターなどの業績が挙げられます。各録音は挿入句の採否や合唱規模の違いにより、曲の印象が大きく変わります。

実演における留意点

演奏会や礼拝でBWV243aを扱う際は、次の点を検討する必要があります。

  • 挿入句(ラウデス)を演奏するかどうか。これにより総演奏時間と典礼上の意味合いが変わる。
  • 楽器編成の選択(自然トランペット、ティンパニ、オーボエ類、弦楽器、通奏低音など)。
  • 合唱人数と独唱配置。OVPPか合唱団かで音響的・対位法的効果が異なる。
  • テクストの言語処理(ラテン語原文の発音、ドイツ語挿入句の明瞭さ)。

受容と研究の趨勢

音楽学的にはBWV243aはバッハの宗教音楽における重要作品として、多角的な研究対象となっています。典礼音楽としての位置づけ、改訂過程における創作意図、挿入句の起源と機能などが研究テーマです。演奏面ではHIPの波が作曲当時の響きを追求させ、同時に伝統的な大編成による神聖さや壮麗さを重視する立場も根強く残っています。

まとめ:BWV243aが今日に残す意味

BWV243aは単なる古い版の「原形」ではなく、バッハが教会暦と具体的な祭儀に応じて作品を仕立てた例として、作曲家の実務的側面と芸術的配慮が同居する興味深い作品です。変ホ長調版にみられるクリスマス挿入句は、作品が宗教共同体の実際の礼拝にどのように組み込まれていたかを教えてくれます。同時に、ニ長調版への改訂はコンサート化や普遍的な演奏可能性を意図した再構成とも読め、両版を比較することでバッハの多面的な創造性をより深く理解できます。

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参考文献