バッハ BWV 583–591 解説:オルガントリオと種々の小曲集の魅力と演奏ガイド
序論:BWV 583–591 というまとまりについて
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)の作品目録(BWV)における番号は、必ずしも作曲年代順やジャンルごとに厳密に整列しているわけではありません。そのため、BWV 583–591 のような連続した番号帯が、版や録音企画によって「オルガンのためのトリオと種々の小曲集」としてまとめられることがあります。本稿では、BWV 583–591 という番号帯を扱う版や録音でしばしば見られる“トリオ作品”と“短小な器楽小品”を中心に、作曲上の特徴、対位法的構造、演奏・登録(ストップ)上の実践、歴史的背景、そして聴きどころを詳しく掘り下げます。
バッハのオルガン小曲群の位置づけ
バッハのオルガン作品には、大規模な前奏曲やフーガ、コラール前奏曲集(オルガン小曲集、オルガン用の前奏曲)、6つのトリオ・ソナタ(BWV 525–530)など多様なジャンルがあります。小品群は礼拝での実用性から生まれた短いコラールや前奏、器楽的なトリオやパッサカリアに至るまで幅が広く、即興性や編曲性が強く反映されている点が興味深い特徴です。BWV 583–591 のように“種々の小曲”を一括して聴くことで、バッハの有機的な様式と多面的な創作意図を改めて理解できます。
トリオ(Trio)様式の分析:声部と機能
オルガンのトリオ形式は、通常3声(右手、左手、ペダル)で独立性を保ちながら対話する室内楽的な書法です。チェンバロやヴァイオリン協奏曲からの影響が見られ、各声部が旋律的・リズミカルに自立することで、編成が小さくても濃密な対位法が展開されます。
- 上声(右手):しばしば歌うような旋律線を担当し、装飾や間奏を含むことが多い。
- 内声(左手):伴奏的機能を果たす場合もあるが、対位的に重要な動機を保持する。
- ペダル:低音線として根音的安定を与えると同時に、独立した旋律を担当することがある(特にトリオ写本様式では)。
トリオの美点は、管楽器や弦楽器で演奏される三声の量感をオルガンで再現できる点にあります。登録(ストップの選定)では、右手と左手には異なる色彩(フルート系とリード系の組合せなど)を与え、ペダルは独立した深い音色で支えるのが基本です。
種々の小曲:形式と機能
小曲群にはコラール前奏曲、短いプレリュード、ファンタジア的断片、編曲やトランスクリプションなどが含まれます。多くは礼拝の中の短い時間枠(聖歌の前後、奉納、退場)での使用を想定しており、実用性と芸術性が同居しています。形式面では次のようなタイプに分けられます。
- コラール前奏曲型:既存の賛美歌旋律を変形・装飾し、信仰的意味を保ちながら器楽的技巧を示す。
- フーガやトッカータ的断片:小規模な発展を見せるが、対位法的な訓練や即興の成果が伺える。
- トランスクリプション:他楽器曲(ヴァイオリン、チェロ、協奏曲など)をオルガンに移植したもの。バッハはヴェネツィアやヴェローナ流の器楽技法を吸収している。
作曲年代と現存状況(概説)
バッハのオルガン作品は複数の写本や校訂譜を通じて伝わっており、部分的な改訂や異稿が存在します。写本の年代や出所を慎重に検討することで、作曲の目的(教会実用、学習用、私的演奏など)や演奏習慣を復元できます。BWV 番号帯の作品も例外ではなく、手稿の差異や後代の補作疑惑について音楽学的議論が行われてきました。
対位法とハーモニーの特徴
短小作品であっても、バッハは対位法的技法を駆使して音楽的な拡張を行います。主題の動機的反復、模倣、転回、増縮などの技法が凝縮されており、短い時間で豊かな構造を感じさせます。和声は基本的に機能和声を基盤としながら、転調や借用和音、拡張されたドミナント進行などで表情を作ります。こうした技法は、短いコラール前奏曲における情感表現や、トリオの対話性を支える骨格となります。
演奏と登録(実践的アドバイス)
オルガン演奏における現代的な課題は、歴史的楽器ごとの色彩差、機械的レンジ、温度や空間音響の違いに対処することです。トリオおよび小品演奏でのポイントは以下の通りです。
- 声部の独立感を第一に:右・左・ペダル各声部の音量バランスを厳密に保ち、音の輪郭を明確にする。
- 装飾とルバート:バッハ期の即興的装飾は曲の様式に合わせて柔軟に行うが、テンポの揺れは局所的に留め、対位法の明瞭さを損なわない。
- 登録例:上声はローディングフルート(またはクォーレ)系、下声にやや暖かい基音、ペダルはロングボアの16'や8'で支えるとトリオの響きが立ち上がる。
- 空間との対話:バッハの曲は教会音響を前提とする。残響の長い空間では音価を若干圧縮し、アタックを鮮明にすることで輪郭を保てる。
聴きどころガイド
短い作品ほど細部に意味が込められています。以下は典型的な聴取ポイントです。
- 冒頭の動機:主題の提示方法とその変奏・展開に注目。小さな動機が曲全体を統御することが多い。
- 声部の出会い:模倣や追従が発生する箇所では、各声部がどのように対位法的関係を構築するかを聴き分ける。
- 終結部の処理:短い曲でも終止に向かう準備が巧妙に用意されている。ドミナントからトニックへの戻り方に注意。
版と校訂の留意点
BWV 番号帯の小曲群は複数の写本や講壇用の伝承稿が存在するため、現代の演奏譜では編集者による判断が介在します。フェルマータの位置、装飾記号、拍節の揺れなど、原典に忠実な演奏を志す場合は複数版を比較し、写譜の系譜(出所)を確認することが望ましいです。IMSPL や主要な校訂版(Bärenreiter、Breitkopf & Härtel など)の注記を参照してください。
歴史的背景と影響
バッハのオルガン小曲は、北ドイツのオルガン伝統(ブクステフーデら)と南ドイツ・イタリアの器楽様式の折衷として理解できます。トリオの語法はイタリアの室内楽的発想を反映し、短小のコラール前奏曲はドイツ教会音楽の実務性に根ざしています。これらは後世のオルガン作品にも強い影響を与え、特に19世紀以降の演奏解釈と校訂活動の基礎となりました。
おすすめ録音と聴き比べのヒント
録音を選ぶ際には以下の点で比較すると理解が深まります。
- 楽器のタイプ:古典的なバロック・オルガンか、ロマン派以降の大型オルガンかで響きが大きく異なる。
- テンポとフレージング:指揮者的解釈よりも内的呼吸を重視する演奏、あるいは厳格なバロック解釈の違い。
- 装飾の扱い:装飾を多用する演奏と、原典に忠実でミニマルな演奏との対比。
まとめ:BWV 583–591 を聴く意味
BWV 583–591 にまとめられるようなオルガンのトリオと種々の小曲群は、バッハの対位法技術、実用的音楽観、そして管鍵盤音楽における色彩感覚が凝縮された宝庫です。短い時間の中に濃密な音楽的思想が詰まっているため、聴き手は繰り返しのリスニングで新たな発見を得られます。また演奏者にとっても、楽器の特性を反映させた自由度の高い表現が許される領域であり、歴史的実践と現代的解釈が交差する面白さがあります。
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参考文献
- Bach Werke Verzeichnis(公式データベース)
- IMSLP(国際楽譜ライブラリプロジェクト) — J.S. Bach の写本・校訂版
- Oxford Music Online / Grove Music Online(バッハのオルガン作品総説)
- Bärenreiter(代表的なバッハ校訂版の出版元)
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