バッハ BWV589『アラ・ブレーヴェ ニ長調』徹底解説 — 形式・演奏・聴きどころ
作品概要:BWV589「アラ・ブレーヴェ ニ長調」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)のオルガン小品、BWV589は通称「アラ・ブレーヴェ(Alla Breve) ニ長調」と呼ばれる単一楽章の器楽曲です。楽曲名が示す通り拍子はいわゆるアラ・ブレーヴェ(2/2、切分(cut)拍子)で書かれ、明るいニ長調を基調とした活気ある性格を持ちます。短いながらも対位法的な精緻さと舞曲的な躍動を兼ね備え、礼拝での後奏(ポストリュード)やコンサートの小品として人気があります。
作曲年代と写本状況
BWV589の正確な作曲年代は明確に確定していません。オルガン独奏曲群の中に位置づけられるこの作品は、自筆譜の有無や初期写本の状況により諸説がありますが、多くの研究者はバッハのライプツィヒ時代(1723年以降)に仕上げられた可能性を指摘しています。現存する楽譜は自筆のスケッチ類よりも写本系統に頼る部分があり、近代版では複数の写本を照合して版を作るのが一般的です。
楽曲構成と音楽的特徴
BWV589は一つの短い楽章からなり、構造は明快で反復や対位法的処理を用いながら進行します。以下に主な音楽的特徴を挙げます。
- 拍子とリズム:アラ・ブレーヴェ(2/2)により、二拍子感の速い躍動を基調とします。八分音符や連符の流れが速い運動感を与え、アクセントの分配により舞曲性が感じられます。
- 対位法と声部構成:旋律線はしばしば対位法的に展開し、右手・左手・足鍵盤(ペダル)を活用する三声的あるいは二声+ペダルのような分節的配列が見られます。主題の短い動機が模倣的に回帰するのが特徴です。
- 和声・調性の処理:明確な主調であるニ長調を中心に、関連調への短い転調やドミナントへの強調が用いられ、バロック的な和声進行(属和音の働き、偽終止、属七の解決など)が聴き取れます。
- 句法と終結部:短いフレーズの積み重ねで構築され、エンディングでは典型的なバロック的終止(完全終止/半終止の扱い)が適用されます。曲全体は緊密な小規模対位法として整っています。
様式的背景と影響
「アラ・ブレーヴェ」という指示はイタリア語由来であり、バッハ自身がイタリア的な舞曲や器楽文化に影響を受けていたことを示唆します。実際、バッハの器楽作品にはイタリア風のリズムや明快なフレーズ運び、さらには「イタリア的な活力」が反映されることがあり、BWV589もその一例と見なせます。とはいえ形式としては厳密なフーガやトッカータではなく、コラール前奏曲やフーガのような大型作品とは別に、礼拝の機能(前奏・後奏)や小曲として用いられる実用性が重視された様式です。
演奏上の留意点(タッチ・テンポ・登録)
BWV589を演奏する際のポイントを実践的にまとめます。
- テンポ設定:元来の「アラ・ブレーヴェ」は速めの二拍子感を想定しますが、教会空間や楽器の音響を踏まえ、音の明瞭さが失われない速度を選びます。混濁しやすい急速さは避け、各声部の対位法が明瞭に聞こえることを最優先してください。
- タッチとアーティキュレーション:バロック奏法に基づき、明確な起筆と切れの良いリリースを意識したタッチが効果的です。レガートとスタッカートの使い分けでフレーズ輪郭を描き、模倣箇所では声部ごとの独立性を際立たせます。
- 登録(ストップ選択):歴史的観点からはプリンシパル主体の明るい登録(例:8'+4'、必要に応じてミキシチュア)を基調に、ペダルは16'または8'でしっかり支えるのが一般的です。ロマン派的なリードや継続的なトレモロは避け、明晰な音色で対位法を浮かび上がらせます。
- 音響と空間把握:教会の残響が豊かな場合はテンポをやや落とし、音の重なりを管理します。逆に残響が少ない現代のホール系オルガンではやや速めに推進し、運動感を出しても良いでしょう。
版と校訂に関する注意
BWV589は複数の写本に基づいて近代校訂が行われています。自筆譜がない場合や写本間で異同がある場合、指揮者・奏者は複数版を比較してフレーズ分割や装飾の扱いを決定する必要があります。現代版譜では便宜上臨時記号や連桁の付し方が統一されていることが多いので、原典版や信頼できる音楽学的校訂版(Urtext)を参照することを推奨します。
聴きどころ(パフォーマンスの視点)
初めて聴く人に向けたポイントは次の通りです。
- 主題の提示と再現:短い主題や動機がどの声部で現れ、どのように模倣が展開されるかを追ってください。主題の提示は曲全体の運動を方向づけます。
- 対位法的配列:右手・左手・ペダルの独立した動きがどのように絡み合って和声を作るかに注目してください。特にペダルの扱いが低音の推進力と対比を生みます。
- リズムの躍動感:アラ・ブレーヴェならではの二拍子感、アクセントのずれやヘミオラ的な効果が生み出す躍動を味わってください。
- 音色のコントラスト:登録の切り替えや音色の変化によって短い曲の中に起伏を作る演奏が多く、音色の選択で曲のキャラクターが大きく変わります。
編曲・受容史と演奏場面
BWV589のような短い器楽曲は、原曲のままで礼拝の後奏やコンサートのアンコールに用いられるほか、ピアノや室内楽に編曲されることもあります。歴史的には巨大な前奏曲・フーガに比べると注目度は控えめでしたが、録音技術の発展と演奏レパートリーの充実により現代ではしばしば録音・演奏されています。また学生のレパートリーやオルガン学習の教材としても利用され、対位法やテンポ感の訓練に適した曲です。
代表的な録音と演奏者(推薦)
多くの有名オルガニストがこの曲を録音しています。以下は聴き比べの参考になる代表的演奏者の例です。
- ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha) — バッハ・オルガン作品全集の録音で知られ、明瞭な対位法とバロック感覚に富む演奏。
- マリー=クレール・アラン(Marie-Claire Alain) — 豊富なレパートリーと教養に基づく表現で知られる録音が参考になります。
- トン・クープマン(Ton Koopman)やグスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt) — 歴史的演奏実践に立脚した解釈が学術的な観点からの聴きどころを与えます。
演奏・教育的活用の提案
BWV589は短く学びやすい一方で対位法的な要素が凝縮されているため、次のような教育的活用が可能です。
- 対位法入門:主題の模倣と追行部分を分析し、声部の独立性と和声進行の相互作用を学ぶ素材として最適です。
- オルガン演奏技術の強化:右手・左手・ペダルのバランス調整、テンポ感の制御、音色選択など実践的技能を鍛えることができます。
- 解釈比較学習:複数の録音・版を比較させることで、演奏史や校訂学の基本を学ぶことができます。
まとめ
BWV589「アラ・ブレーヴェ ニ長調」は短いながらもバッハの器楽的才気と対位法的巧妙さが感じられる小品です。礼拝の実用曲としてもコンサートピースとしても親しまれ、演奏や研究の両面で魅力の大きい作品です。演奏者はテンポ・タッチ・登録のバランスを慎重に選び、楽曲の対位法的構造をはっきりと聴き取らせる表現を目指すと良いでしょう。
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参考文献
- IMSLP: Alla Breve in D major, BWV 589 (Bach, Johann Sebastian)
- Bach-Digital (検索ページ) — BWV589に関する写本・版情報の参照
- Wikipedia (English): Alla breve in D major, BWV 589
- Bach Cantatas Website — バッハ作品データベース(関連録音・概説参照)
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