バッハ BWV 598『ペダル練習曲 ト短調』の深層解剖:歴史・構造・演奏法と名演盤ガイド
序文 — 小品に宿る教訓
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(J.S. Bach)に帰属される作品の中には、大規模なフーガや前奏曲とは対照的に「練習用」とされる小品が散見されます。BWV 598、通称「ペダル練習曲(Pedal-Exercitium)ト短調」はそうした小品の代表格で、短いながらもペダル技術の習得や音楽的表現を磨くうえで高い価値を持ちます。本稿では、この作品の位置づけ、楽曲構造、演奏上の課題と実践的な練習法、さらに演奏・録音事情や参考文献までを詳しく掘り下げます。
作品の概要と来歴
BWV 598 は一般に「Pedal-Exercitium(ペダル練習曲)」と呼ばれ、調性はト短調です。楽曲は短く、単一楽章で完結するペダル独奏もしくはペダルを主体とするオルガン小品として扱われることが多いです。作品番号(BWV: Bach-Werke-Verzeichnis)598はバッハ作品目録に基づく編番号であり、この曲は長年バッハの作品として広く受け入れられてきました。
ただし、作曲年代や起源、さらには真作性(J.S.バッハの自筆/直筆伝承かどうか)については、学界で完全に一致した見解があるわけではありません。短く実用的な性格ゆえに、弟子や同時代の他者による写譜・編曲が存在する可能性も指摘されています。いずれにせよ、BWV 598 はバッハ・レパートリーとして扱われ、多くの研究者・演奏家に演奏・研究の対象とされています。
楽曲構造と音楽的特徴
BWV 598 は短い寸法の中に対位法的な感覚や有機的な動機展開を含みます。以下に主な特徴を挙げます。
- 調性:ト短調を基調とし、短調特有の陰影ある響きを持つ。
- 形式:単一楽節の練習曲的体裁ながら、動機の反復と変形、連続的な進行が認められる。短いフレーズの蓄積が全体の統一感を生む。
- テクスチュア:ペダル主体のラインに対し、手鍵盤(マニュアル)が補助的・和声的役割を果たす編成の場合もあるが、演奏習熟用としてペダルの独立性を重視する配慮が見られる。
- 和声進行:バロック的な低音進行(根音の循環進行や第五進行、短調における副次和音の使用など)が基盤となり、ところどころで短い転調や借用和音が表情を与える。
- 旋律語法:スカラーな走句、跳躍を伴う動機、連続するレガート・パッセージがあり、足指・足首の細かい制御を要求する。
筆写譜・版の問題と真作性について
BWV 598 を巡っては、現存する写譜譜や版の差異が指摘されることがあり、フレーズ終止や装飾音の有無、指示(スタッカートやレガートの記号、ペダル指示など)に版ごとの違いが見られます。こうした差異は演奏史的な意味を持ち、どの版を基に解釈を構築するかが重要です。
真作性については、作品が BWV カタログに含まれていることから伝統的にはバッハ作品とされますが、写譜の起源や来歴を詳細に検討すると一部の学者が慎重な見解を示す場合があります。したがって演奏・校訂にあたっては、複数の版や写譜を比較し、歴史的実践と楽曲自体の音楽的整合性に基づいて判断するのが現実的です。
演奏上の主要課題(テクニック面)
この小品は短いながらペダル奏法の基礎〜中級レベルの技術を多面的に鍛えるのに適しています。主な技術的課題は次の通りです。
- 独立した低音線の明瞭化:ペダルの旋律を手鍵盤の音と分離して明確に響かせること。音色やタッチのコントロールが不可欠。
- ヒール=トゥ(踵とつま先)の交替/連続使用:スラーやレガートを保ちながら、長いスケール的フレーズを滑らかに弾くにはヒール・トゥ技法が有効。
- 大跳躍の精度:オルガンのペダル間隔や足の動きを考慮した体幹・脚の動作を訓練すること。
- アーティキュレーションの差異化:短い音と長い音、アクセントや句の始まりを足で確実に表現する。
- 独立したフレージング:ペダルラインとマニュアルの線が重なる箇所で、両者のフレージングを混同しないこと。
実践的練習法(段階と練習メニュー)
以下は BWV 598 を題材にした効果的な練習プロセスです。
- 分節練習:楽曲を短いフレーズに分け、それぞれをゆっくりと正確に練習する。テンポはメトロノームで管理し、少しずつ上げる。
- 一手ずつ・片足ずつ練習:まず手鍵盤のみ、次にペダルのみで音型を確認。ペダルのみで正確に音程とリズムが取れるかを確認する。
- ヒール=トゥ練習:同一フレーズをヒールとトゥで交互に演奏し、スムーズな接続を習得する。
- 強拍の確認:各フレーズの主要アクセントをペダルで確実に示す練習。弱拍を柔らかく、強拍に重点を置く。
- 異なるレジストレーションでの試奏:音色の違いに慣れ、同一フレーズで表現がどう変わるかを探る。
- 通し演奏と集中リピート:曲全体を通して弾く練習を行い、問題点を抽出してリピート練習する。
レジストレーション(ストップ選び)の考え方
オルガンは楽器ごとに音色やペダルの音量が異なるため、レジストレーションは状況依存です。BWV 598 のような短いペダル重視の小品では以下の指針が有効です。
- 小型の歴史的オルガン(バロック系)では、ペダルの音が大きすぎないように 8′ 主音を主体に。必要に応じて 4′ を加えて輪郭を出す。
- 大口径の近代オルガンでは、16′ を一段入れて低域に深みを与えるとト短調の陰影が強調されるが、混合(ミクスチャー)は避けるか控えめにして透明性を保つ。
- 録音・演奏会用には、ペダルの音が左右されやすいので、手鍵盤とのバランスを最優先に選ぶ。遠近感を出すために軽い 8′ とやや明るめの 4′ を組み合わせると表情が出やすい。
史的演奏慣習と現代解釈の折衷
バロック時代のオルガンと現代のオルガンでは鍵盤タッチやペダルの応答性が異なります。史的演奏慣習(ヒール=トゥや腿からの支え、ペダルポジションの最小移動など)を踏まえつつ、現代の楽器で得られる音響的な利点を活かすことが望ましいです。過度にロマンティックなルバートや過度な足の余分な動作は、バッハ的な明晰さを損なう恐れがあるため注意します。
教育的価値と応用
BWV 598 は短いため、レッスンやマスタークラスで即効性のある教材として適しています。独立した低音線の保持、敏捷な足の運動、対位法的耳の育成など、オルガン演奏者が基礎から中級へ進む際に求められる技能を効率よく鍛えられる点が長所です。また、手鍵盤とペダルの呼吸を合わせる練習にも適しており、フーガや前奏曲の学習前段階として有効です。
楽譜と校訂版(入手と選び方)
楽譜を選ぶ際は、写譜の出典や校訂者の注記を確認することが大切です。自筆譜が存在しない場合、信頼性の高い写譜群や主要版(著名なバッハ全集や学術版)を参照してください。近年の批判版(Urtext に近い学術校訂)を基にすることで、作曲当時の奏法・意図に近い解釈がしやすくなります。
代表的な録音と演奏家(入門リスト)
BWV 598 はオルガン作品全集を録音した多くの演奏家のレパートリーに含まれています。録音を比較することで、レジストレーションやテンポ、アーティキュレーションの違いを学べます。参考として以下の演奏家の全集や録音を探してみてください。
- Helmut Walcha(ヘルムート・ヴァルヒャ) — バッハのオルガン作品全集録音で知られる。歴史的解釈の一例。
- Marie-Claire Alain(マリー=クレール・アラン) — 豊富な録音を残しており、曲ごとの表現の幅が参考になる。
- Gustav Leonhardt、Ton Koopman などの古楽系奏者 — 古典的解釈やレジストレーションの参考。
演奏上の注意点と解釈例
短い作品だからこそ、次の点に注意して演奏を構築すると効果的です。
- 始めの数小節で曲想を決める:テンポ/音色/アーティキュレーションを冒頭で確定し、その枠組みに基づいて細部を操作する。
- 呼吸感の付与:フレーズ終わりに軽い間(休息)を置くことで、音楽全体に呼吸が生まれ、次のフレーズへの期待感が高まる。
- ダイナミクスの階層化:オルガンはストップで音量を変えるため、強弱の付け方はストップ選びと演奏者のタッチの併用で工夫する。
結語 — 小さな作品の大きな意味
BWV 598 は短いがゆえに学ぶべき点が凝縮されている作品です。技術面の訓練のみならず、歴史的背景や版の差異に留意することで、単なるエチュード以上の音楽的深みを引き出すことができます。演奏者は、複数の版や録音を参照しながら、自分なりの解釈を構築していくことが望ましいでしょう。
エバープレイの中古レコード通販ショップ
エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
是非一度ご覧ください。

また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery
参考文献
- IMSLP: BWV 598 検索結果(楽譜の入手と版比較に便利)
- Bach Digital(バッハ作品データベース。作品の来歴や写譜情報の参照に)
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(日本語Wikipedia)(入門的背景知識)
- Bach Cantatas Website(作品解説やディスコグラフィの参照)
投稿者プロフィール
最新の投稿
ビジネス2025.12.29版権料とは何か|種類・算定・契約の実務と税務リスクまで徹底解説
ビジネス2025.12.29使用料(ロイヤリティ)完全ガイド:種類・算定・契約・税務まで実務で使えるポイント
ビジネス2025.12.29事業者が知っておくべき「著作権利用料」の全体像と実務対応法
ビジネス2025.12.29ビジネスで押さえるべき「著作権使用料」の全知識――種類、算定、契約、税務、リスク対策まで

