バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV846–869)」の深層解析:歴史・音律・作曲技法と現代的意義
はじめに — 平均律とは何か、なぜ重要か
ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685–1750)の「平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV 846–869)」は、長短24調すべてを扱う前例のない鍵盤作品集として知られています。『Das wohltemperirte Clavier』と題されたこの曲集は、鍵盤楽器における調の多様性と対位法的技巧の極致を示すものであり、作曲・演奏・教育の領域で多大な影響を与えてきました。本稿では、第1巻の成立背景、構成、音律・演奏法上の問題、作曲技法の具体的分析、そしてその歴史的・現代的意義を深掘りします。
成立と歴史的背景(概略)
第1巻は一般に1722年頃に成立したとされ、バッハのコーテン(Köthen)時代(1717–1723)にまとめられた可能性が高いと考えられています。この時期、バッハは宮廷楽長として器楽曲に集中しており、ブランデンブルク協奏曲や無伴奏チェロ組曲なども同時期に制作されています。
タイトルにある「wohltemperirt(よく調律された)」は、いわゆる“well temperament”を示し、当時主流だった様々な非平均律(キーごとに音色の特色が残る調律)を含む考え方を指します。バッハはこの曲集で ‘‘すべての調が実用的に使用可能’’ であることを示そうとし、それが作品の根本的な目的の一つでした。
構成:24の前奏曲とフーガ
第1巻は、長調と短調を対にして半音順に配列するという明快な設計になっています。すなわち、C(長)→c(短)→C♯(長)→c♯(短)…というように半音上昇していき、合計24組の前奏曲(Prelude)とフーガ(Fugue)で構成されます。各組は形式的・表現的に多様で、前奏曲は即興風の曲から技術的練習曲、歌うようなリトル・ナラティヴまで幅があります。一方フーガは厳格な対位法的書法を示し、声部数や主題処理の技法も多彩です。
音律(チューニング)と実践上の問題
当時の「well temperament」は今日の平均律(equal temperament)とは区別されます。平均律がすべての半音を等しい比率に分けるのに対し、ウェルテンパラメント(多様な調律法)ではそれぞれの調に固有の色彩が残されます。バッハが意図した「すべての調が演奏可能であること」は、調律法の選択により異なる音色的・感情的効果を引き出すことを意味します。
現代のピアニストは通常平均律で演奏することが多いですが、古楽系の奏者は歴史的チューニング(ミーントーンの亜種や様々なwell temperaments)を採用して、各調の音色差を再現することがあります。これにより、同じ作品でも調律によって異なる『鍵盤上の風景』が生まれます。
作曲技法の特徴 — 対位法と和声の融合
この曲集はバッハの対位法技法の教科書とも呼べる内容を含みます。フーガにおいては、主題(subject)の提示と展開、カウンタースジェクト(countersubject)、エピソード(短い接続部分)を通じた調和的転調、ストレッタ(主題の重なり)や逆行・増大縮小といった技巧的処理が随所に見られます。
前奏曲は形式的には自由で、アルペッジョを基調にした連続進行、チェイニングするシークエンス、対位法的な二声〜複数声の扱い、さらには舞曲的要素や教則的なフィギュレーション(指使いやテクニックを意識した素材)を含みます。したがって、第1巻は「感情表現」と「技術的訓練」を同時に提供する卓越したカタログとも言えます。
具体例(典型的な曲を通して見る)
前奏曲 ハ長調 BWV 846 — 単純なアルペジオ進行で始まるこの前奏曲は、和声の流れと右手・左手の協働により透明感のある進行を作ります。名高い“最初の前奏曲”は、技術的には複雑さを感じさせない一方で、和声進行の明晰さと緊張解放の管理を学ぶ教材として最適です。
フーガ(一般) — 各フーガは声部数や主題の性格が異なり、短い単声的主題を用いるものから、長大で複合的な主題を持つものまで幅があります。フーガの分析では主題の導入、各声部での模倣、転調のポイント、そして再現やクライマックスにおけるストレッタの使い方が重要な観点です。
教育的価値と受容史
第1巻はバッハ自身やその弟子たちによって教材として用いられ、後世の作曲家や演奏家にとって基本教養の一部となりました。18世紀後半から19世紀にはバッハの復興運動(特にメンデルスゾーンらによる演奏)を通じてその重要性が改めて認識され、鍵盤教育の核心となっていきます。現代でも、和声・対位法・鍵盤テクニックの学習教材として広く利用されています。
演奏上の現代的アプローチ
演奏者は楽器(チェンバロ、フォルテピアノ、モダンピアノ)や音律の選択により様々な解釈を提示します。チェンバロでは音色の粒立ちとアーティキュレーションが重視され、モダンピアノでは持続とダイナミクスの幅を活かしたドラマ性が打ち出されることが多いです。どの楽器であれ、フレージングやテンポ、呼吸の置き方が作品の語り口を決定づけます。
現代音楽学的評価と研究動向
音楽学では、BWV 846–869の写本史(草稿・写譜の流通)、版の差異、当時の調律実態の再構築、個別フーガの主題系統の起源分析などが研究テーマです。音楽表現だけでなく、楽譜テキスト批判や演奏実践研究(Historically Informed Performance)も活発であり、演奏と研究が相互に刺激しあっています。
まとめ — なぜ今日も重要なのか
平均律第1巻は、鍵盤音楽の技術的・音楽的基礎を網羅するだけでなく、調律や表現の問題を通して音楽の根本を問い直す作品です。作曲技法の教科書であると同時に芸術作品としても無限の解釈を許容し、時代を超えて演奏者と聴衆に新たな発見を促します。バッハが示した「すべての調で音楽が可能である」という理念は、今日の演奏実践と音楽理論の両面で今なお生き続けています。
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参考文献
- Encyclopaedia Britannica: The Well-Tempered Clavier
- IMSLP: Well-Tempered Clavier, BWV 846–893 (score collection)
- Bach Cantatas Website: The Well-Tempered Clavier (overview and commentary)
- Bach Digital (archive and catalogue)
- Oxford Music Online (Grove Music Online) — article on Bach and the Well-Tempered Clavier
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