バッハ:BWV921 前奏曲(幻想曲) ハ短調 — 詳細分析と演奏ガイド

導入 — BWV921とは何か

BWV921は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハに帰される鍵盤作品の一つで、一般に「前奏曲(幻想曲)ハ短調」と呼ばれます。短いながら高度に濃縮された音楽語法を示すこの作品は、即興性と構築性が混在する“幻想曲(Fantasia)”の伝統を受け継ぎつつ、バッハ独自の和声進行と対位法的な思考を凝縮しています。単独で演奏されることが多く、単体の前奏曲としての独立性を保持しているため、聴衆や演奏者にとっては短時間で深い印象を残す作品です。

成立と伝承(史的背景)

BWV921の成立年代や初出資料については必ずしも明確ではありません。バッハの鍵盤作品は複数の手稿や写本を通じて伝わりますが、BWV921は体系的なカタログ(BWV)に含まれる単独作品として扱われています。作品番号(BWV)の付与はヴォルフガング・シュミーダーによるもので、番号自体は編年を意味しません。

楽譜の原典は断片的である場合があり、現存する写本や版によって小さな差異が見られます。これらの差異は解釈の幅を生み、歴史的演奏法や近代ピアノ演奏のいずれでも独自の解釈が可能です。信頼できる楽譜としては、バッハ・デジタルやニュー・バッハ・アウスガーベ(Neue Bach-Ausgabe, NBA)等の校訂版を参照するのが望ましいでしょう。

形式と構造(楽曲分析)

BWV921は幻想曲に典型的な自由な形式を基盤としつつ、明確な音楽的セクションに分割できます。冒頭はしばしば自由な導入句として始まり、次第に明確なモチーフが示されます。以下に主な構成要素を示します。

  • 導入部:自由なリズム、装飾的なアドリブ風の動き。即興的で緊張感を孕んだ和声進行が現れる。
  • 主題的な部分:短い動機が提示され、分散和音やベースラインによって支えられる。和声の推移がより明確になる。
  • 展開的部分:調性の移動や短い模倣が現れ、対位法的な処理や転調が行われる。ここで作曲技法の巧みさが示される。

(注:上のリストでは楽曲ごとに若干の変化があり、版による異同も存在します。)

和声と言語表現

ハ短調という調性はバッハにとってしばしば内省的・厳粛な色合いをもたらします。BWV921では短調の典型的な悲愴さに加え、和声進行上の染み入るような半音進行や属和音の代替(例えば、ドッペルトリトゥルス的な増四度・減五度の操作や、通過和音としての二次的属和音の利用)によって緊張と解決が巧妙に演出されています。

また、断続的な分散和音(アルペッジョ)と内声の動きが組み合わされることで、和声の連続性が保たれつつも瞬間的な色彩転換が生じます。これにより、短い楽曲ながらも多彩な表情が引き出されます。

対位法的要素とモティーフの処理

幻想曲と呼ばれる作品群に共通するのは、即興性と同時に対位法的な構築性が見え隠れする点です。BWV921では明確なフーガ主題のような長大な対位の展開はないものの、短い模倣や呼応が部分的に現れることで音楽に層が生まれます。主題的断片が化学反応のように展開され、隠れた動機が作品全体を結びつけています。

演奏と解釈のポイント

演奏にあたっては以下の点を考慮するとよいでしょう。

  • テンポ感:幻想曲の性格上、テンポはやや自由に揺らすことが許されますが、即興的な揺れは音楽的な目的(フレーズの呼吸や和声の導入)に基づくべきです。極端に遅くしすぎると音楽の推進力が失われます。
  • アーティキュレーション:バッハの鍵盤作品は鍵盤楽器の種類(クラヴィコード、チェンバロ、現代ピアノ)で表現が変わります。チェンバロ等では軽やかな分散和音と明瞭な指離れを重視し、ピアノでは歌うようなレガートとダイナミクスの変化で色彩をつけます。
  • 装飾とオルナメント:アグレッシブな装飾は原則として作者意図を尊重しつつ、18世紀の装飾法に即して適切に行うことが望ましい。特に短いフレーズの端での拍節の扱いに注意を払います。
  • ペダリング:現代ピアノで演奏する際のペダル使用は節度を持って行い、和声の色合いを補強すると同時に、和声の輪郭を曖昧にしないよう心掛けます。

楽器別のアプローチ(チェンバロ・クラヴィコード・ピアノ)

チェンバロやクラヴィコードでの演奏は、各声部の独立性を際立たせ、短音の切れや指のコントロールによって対位的要素を明瞭にします。クラヴィコードは表現の微妙なニュアンスに富み、内省的な色合いを強調するのに適しています。一方、現代ピアノではダイナミクスの幅が広いため、レガートやアゴーギクを活かしたより叙情的な解釈が可能です。ただし、現代的な過度のロマンティシズムはバロック的な呼吸感を損なうことがあるため注意が必要です。

版と原典校訂の重要性

BWV921を演奏・録音する際は、信頼できる校訂版を参照することが重要です。写本間の差異や指示の有無が演奏解釈に影響を与えるため、可能であれば複数の版(ニュー・バッハ・アウスガーベ、バッハ・デジタルの画像、IMSLPの原典スコアなど)を照合して疑義箇所を検討してください。現代の校訂版は記譜の不統一を整理し、史的な演奏慣習に関する注記を付すことが多いので有用です。

参考となる録音と解釈の比較

BWV921はコンサートのレパートリーやアルバムの小品集に取り上げられることがあり、録音ごとに解釈の幅が見られます。チェンバロによる歴史的演奏(テンポはやや速め、クリアなアーティキュレーション)と、ピアノによるロマンティック寄りの演奏(レガート重視、豊かなダイナミクス)とでは、同じ楽譜から異なる物語が聞かれます。複数の録音を比較することで、この作品の多層的な魅力が浮かび上がります。

作品の位置づけと聴きどころ

BWV921はバッハの大作群とは異なり短く控えめな規模ですが、音楽的集中度は非常に高いです。聴きどころは、短いフレーズの中に隠された和声の移り変わり、即興性と構築性が交錯する箇所、そして終結へ向けた緊張の解消の仕方にあります。入門者はまず主題の輪郭と和声の流れを追い、慣れたら細部の装飾や内声の動きを聴き取ると楽曲理解が深まります。

結び — 小さな作品に宿る深さ

BWV921は短い作品でありながら、バッハの音楽観―即興性と厳密な音楽構築の両立―を端的に示しています。演奏者にとっては技巧だけでなく、和声感覚と呼吸のコントロールが求められる作品であり、聴衆にとっては短時間で深い感銘を残す名品です。版の差異や楽器選択によって多様な表情を見せるため、繰り返し聴き・弾くことで新たな発見が得られるでしょう。

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参考文献