バッハ:BWV944 フーガ イ短調 — 構造・和声・演奏解釈を深掘り
バッハ:BWV 944 フーガ イ短調 — 概要と位置づけ
BWV 944 はしばしば〈前奏曲とフーガ イ短調〉の一部として扱われる鍵盤曲で、バッハの鍵盤レパートリーにおける小品のひとつとして知られています。作品は簡潔ながら対位法的技巧と表現性を兼ね備え、演奏者にとっては構造理解と声部分離の練習素材としても有益です。楽譜は複数の写本に見られ、現在では J.S. バッハの鍵盤曲群の周辺に位置づけられることが多いですが、写本伝来や成立時期に関しては諸説があります(詳細は下の参考文献参照)。
主題(Subject)の特徴
イ短調のフーガ主題は、短い動機を繰り返すことで明確な輪郭を持ちます。全体としては歌謡的な性格を帯びつつも、冒頭の跳躍とその後の階段的下降が印象的で、短い休符や切迫したリズムが緊張感を作り出します。音形的には以下の要素が見られます。
- 冒頭の明瞭な輪郭(上昇/下降の方向性)による強い主題的同一性。
- 短いリズム断片の反復により、モチーフ感覚が強化される点。
- 終結部での軽い伸展やフェイクのような補助和音により次の応答へと滑らかに移行する工夫。
対位法的構成と応答(Answer / Countersubject)
このフーガでは主題に対する応答(answer)が明確に提示され、しばしば完全応答と変形応答が交互に現れて変化を作ります。対位的に用いられるカウンターサブジェクト(countersubject)は、主題の規則的な動きに対して対照的な動きを与え、テクスチャに厚みを与えます。具体的には:
- 応答は調性的に主調外へ瞬間移動することで転調感を生み出し、各声部の入口が和声進行を誘導する役割を果たす。
- カウンターサブジェクトはしばしばシンクレティック(反行/並進)で、声部間の均衡を保ちながら対位的緊張を作る。
エピソードと調性の展開
フーガを動的にするのは、主題と応答の間に挿入されるエピソード(小節的つなぎ部分)です。これらのエピソードでは、バッハ特有の順次進行(シーケンス)や5度圏的な動きが用いられ、短い時間で複数の調へと経過します。典型的にはイ短調(i)から相対長調のハ長調(III)や属調のホ短調/ホ長調を経て、再びイ短調へと回帰します。エピソードの機能は次の通りです:
- 調的な広がりを与え、続く再現のための準備を行う。
- 主題の断片をモティーフとして変形し、素材の多角的な提示を行う。
- しばしば和声的に一時的な緊張を作り、最終帰結を強調する。
技巧的手法:ストレッタ、逆行、伸縮
短い曲ながら、バッハは対位法の典型的手法を効果的に配しています。ストレッタ(主題の重複的重ね)は曲の盛り上がりで用いられ、短時間で密度を高めます。また、主題を反転(逆行)させたり、増大・縮小(augmentation/diminution)して配置することで、時間的なスケール感や緊張の変化を作り出します。これらは技術的な見せ場となると同時に、全体の構成論的な統一性を強めます。
和声的特色と表現
イ短調という調性は、バッハにとって内省や哀感を表現する代表的な色調です。フーガ内では短調の特色である和声機能の対比(短調の副和音、♭VIや♭III の用法、あるいはドミナントからの強い帰結)が巧みに用いられ、局所的なモーダルな色合いが顔を出します。バッハはまた借用和音や副次的な属和音を用いて、短いフーガの中でも深い表情変化を実現しています。
演奏上のポイント
このフーガを演奏する際の重要点をいくつか挙げます。
- 声部の独立性:フーガは複数声部の会話なので、各声部が自立して聞こえるようにダイナミクスとタッチを調整すること。
- 主題の明瞭さ:どの声で主題が出てくるかを常に明確に示す。主題の最初の音に軽いアクセントを付けるなど音楽的なマーキングが有効。
- テンポ感:過度に速くすると対位法の輪郭が失われる。テンポはしっかりした拍子感を保ちつつ、各エピソードでの呼吸を感じさせること。
- 装飾と実音のバランス:チェンバロやフォルテピアノ、現代ピアノでの演奏それぞれに適した装飾・装置を選ぶ。過度なルバートは避ける。
- 音色とレジストレーション(チェンバロ/オルガン):チェンバロでは明瞭さを、オルガンでは持続感と色合いを活かす登録選びが重要。
練習法(実践的アドバイス)
具体的な練習法としては次が有効です。
- 声部ごとの分離練習:まず各声部を単独で歌うように弾き、フレージングと線の方向をつかむ。
- ハーモニック・リダクション:和声の骨格だけを書き出して、和声進行の流れを把握する。これによりエピソードの機能が見えやすくなる。
- テンポの段階的設定:遅いテンポで正確に声部を合わせ、徐々に実演テンポへ戻す。
- 録音して客観的にチェック:主題の出現箇所やカウンターの動きを耳で確認する。
音楽史的・教育的意義
BWV 944 のような短いフーガは、バッハの対位法教育的側面を学ぶ上で非常に有用です。短時間で主題の提示→展開→回帰というフーガの基本構造を学べるだけでなく、作曲技法や声部の重なり方、和声進行の典型例を実践的に体得できます。教育的には中級レベルの鍵盤奏者にとって格好の教材となります。
レパートリーとしての魅力
演奏会の場においても、この曲は短時間で聴衆にバッハらしい対位法の精髄を伝えることができます。アンコールや組曲の一部として組み込むと、前後の曲とのコントラストを作るのに適しています。また、録音や研究においても解釈の幅が広く、奏者の音楽性が反映されやすい作品です。
楽曲の版・写本・校訂の注意点
BWV 944 は複数の写本や版が存在するため、演奏時には校訂版や原典版(Urtext)を参照することを推奨します。小さな音符の省略や装飾の差異、実音・装飾の扱いの違いがあるため、信頼できる版を基準にすることが重要です。校訂者による解釈(指示の追加や節回しの示唆)もあるので、版の注記をよく読むことが望まれます。
まとめ:BWV 944 の魅力と学びどころ
BWV 944 のフーガは短く凝縮された対位法の小品でありながら、主題形成・応答・エピソード・ストレッタといったフーガの要素を効果的に含んでいます。演奏技術の研鑽のみならず、作曲技法や和声感覚を養ううえでも優れた教材です。演奏する際は声部の独立性と主題の明瞭さを最優先に、音色やテンポで表情を作ると良いでしょう。
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参考文献
- Bach Digital(バッハデジタルアーカイブ) — BWV カタログや写本情報の参照に便利です。
- IMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト) — BWV 944 の写本・版のスキャン資料が閲覧可能な場合があります。
- Wikipedia: BWV 944(日本語) — 作品の概要と外部リンク集として参考になります。
- Grove Music Online / Oxford Music Online — バッハの鍵盤曲やフーガ技法に関する学術的記事(閲覧には契約が必要な場合があります)。
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