バッハ BWV1075――2声の「無限カノン」をめぐる深掘り解説
序章:BWV1075とは何か
BWV1075 は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685–1750)が残したカノンの一つで、通称「無限カノン(canon per tonos/終わりなく上行する転調を伴うカノン)」として紹介されることがある2声のカノンです。一般的には1747年にフリードリヒ大王へ捧げた『音楽の捧げ物(Musikalisches Opfer, BWV 1079)』に付随する一連のカノン群と関連づけて語られることが多く、バッハの対位法的技巧と形式遊戯の典型を示す作品として注目されます。
歴史的・文化的背景
1747年、バッハはプロイセン王フリードリヒ2世(大王)の宮廷を訪れ、王が提示した主題(thema regium=王の主題)を素材に多くの変奏・リチェルカーレ・カノンなどを即興的・作曲的に展開して『音楽の捧げ物』を構成しました。そこに含まれるカノン類は、単なる技巧の見せ場を超え、形式のパズル、論理的・数学的な構築、美的ユーモアを兼ね備えています。BWV1075 はそうした伝統の中で「移調(per tonos)を伴い、繰り返すたびに音高が移動することで無限に続くかのように聞こえる」タイプのカノンの代表例として取り上げられます。
「無限カノン(per tonos)」の概念
基本原理:同じ動機(あるいは主題)を一定の時間差で他声が追いかけるというカノンの基本に、次第に移調を加える仕掛けを組み合わせることで、演奏を繰り返すごとに調が上昇(あるいは下降)していき、理論的には元の調に戻らず連続する(「終わりが見えない」)ように聴こえる。これが「per tonos(トーナスごと)」の発想です。
聴覚上の効果:同じ主題が転調しながら循環するため、聴き手には螺旋的な上昇感や無限ループの印象を与えます。バロック期にはこうした形式の緻密さが知的な愉しみとされました。
BWV1075 の構造と対位法的特徴
BWV1075 は二声のみで書かれており、限られた素材から最大限の対位法的効果を引き出す点に特徴があります。以下は一般的な分析の切り口です。
主題(素材)の性格:短く明確な輪郭を持つ動機が用いられ、リズムと音程の特徴がはっきりしているため、追従声(追いかける声)との重なりで対位効果を生みやすい構成です。主題の開始音や終止形が移調の目印になります。
模倣の間隔と声部関係:二声のカノンであるため、模倣のエントリー間隔(旋律的な遅れ)とその音程関係(同度、完全5度、長3度など)が作品の論理を決定づけます。BWV1075 ではエントリーの間隔が短く、重なり合う箇所で不協和音が即座に解決されることで、対位法の緊張と解放が強調されます。
転調の仕掛け:繰り返しごとに主題全体もしくは一部が一定の音程で移調されることで、調性の漸進的変化が生じます。バッハはその際に「和声的整合性(=次の調でも合理的に進行する和声)」を保つ巧妙な処理を行い、単なる連続転調に留めません。
和声的帰結:per tonos の作品は理論上無限に上昇し得るものの、実演や写譜版では最終節にまとめや帰結を示して終えられることが多いです。バッハの場合も、聴衆に知的満足を与えるための“閉じ方”を用意していた可能性が高いと考えられます。
楽譜上の注意点と演奏実践
二声のみのため、一音一音の扱いが明瞭でなければ対位法の妙味が損なわれます。演奏上のポイントを挙げます。
輪郭の明確化:主題と追従声を明確に区別して歌わせること。スタッカートやレガートの取り扱い、アーティキュレーションの差を明瞭にすることで対位線が浮かび上がります。
テンポの選定:過度に速いと模倣の間隔が聞き取りづらくなり、ゆっくり過ぎると螺旋感が失われるため、中庸のテンポを選び、フレージングで緊張の推移を表現することが望ましいです。
ペダリング(鍵盤楽器の場合):チェンバロやフォルテピアノで演奏される場合は装飾音と和音の連続性に注意を払い、近代ピアノで弾く際は持続音の処理(ペダルの使用)を控えめにして、二声の輪郭を失わないようにします。
音色の対比:声部間で明確に音色やタッチを変えることで、聴覚的に模倣が追えるようにする工夫が有効です。
分析的な聴きどころ(例としての小節解説)
(具体的な小節番号は版により差があるため、ここでは一般的な聴きどころを列挙します)
冒頭主題の提示:まず主題が提示された直後、追従声の入り方とその音程関係を注意深く聴いてください。短い動機がどのように複雑な和声を生むかがわかります。
重なりの瞬間:二声が重なって一時的に不協和を生む箇所では、その解決の仕方(どの声が動いて解決するのか)を確認すると、バッハの和声処理の巧みさが見えてきます。
転調の感覚:繰り返しのたびに現れる高まりや色彩の変化を聴き分け、どの程度まで「上昇感」が持続するのかを追いかけると、作品の遊び心が実感できます。
楽譜・版について
Bach のカノン類は多くの写本・初版・校訂版があり、アーティキュレーションや小さな読み替えが版によって異なることがあります。研究・演奏の際は以下を参考にするとよいでしょう。
原典版に近い版:歴史的写本や信頼できる原典版(Bach-Gesellschaft/Neue Bach-Ausgabe など)を参照すること。近代の校訂版は演奏しやすくするための解釈が加えられている場合があります。
手稿の比較:もし写譜が複数残っている場合は、音の長さ・臨時記号・装飾が写本間で異なることがあるため注意深く比較してください。
現代における受容と録音
BWV1075 のような短い二声カノンは、専門家や古楽アンサンブルのレパートリーだけでなく、教育的な教材としても頻繁に取り上げられます。チェンバロやフォルテピアノでの演奏も多く、演奏解釈の幅が大きいことが魅力です。録音を聴く際は、使用楽器(モダンピアノ/フォルテピアノ/チェンバロ)、テンポ、アーティキュレーションの違いに注目すると、同一楽曲でも異なる表情が楽しめます。
学術的な意義と教育的価値
BWV1075 のようなカノン作品は、対位法の学習に最適です。短い素材でありながら模倣・転調・和声処理・構成のすべてが凝縮されているため、作曲法や分析の教材として長年用いられてきました。また、演奏者にとっては線の独立性を磨く良い訓練になります。
まとめ:なぜBWV1075は面白いのか
BWV1075 は形式的遊戯(per tonos=転調を伴う連続模倣)と厳密な対位法が結びついた、小さいが含蓄の深い作品です。短い二声の枠組みで聴覚的に“無限”を想起させるというパラドックスを実現しており、バッハが享受した知的なユーモアと音楽的必然性が同居しています。演奏・分析・教育のいずれの観点からも学びが多く、現代においても新たな解釈や発見が可能な作品です。
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参考文献
- Wikipedia「音楽の捧げ物」
- Wikipedia(英語)"Canon per tonos"
- IMSLP: Canon per tonos, BWV 1075(楽譜)
- Bach Digital(データベース)


