上部発酵とは?エール酵母の仕組み・風味特性と醸造管理完全ガイド
上部発酵(トップフェルメンテーション)とは
上部発酵は、主にエール(ale)を造る際に用いられる発酵方式で、発酵中に酵母が発酵液の表面近くに集まり泡(クラウゼン、krausen)を形成することが特徴です。一般に上部発酵酵母はSaccharomyces cerevisiae(出芽酵母)系統で、温暖な温度帯(概ね15〜24℃程度、酵母やスタイルによってはそれ以上)で活発に働きます。低温で長時間行う下面発酵(ラガー)と対比され、発酵速度、副生成物、風味の傾向が異なるため多様なビアスタイルの基礎となります。
歴史的背景と文化的意義
上部発酵は古代から行われてきた伝統的な発酵法で、寒冷地域でラガーが普及する以前はヨーロッパ各地で主流でした。中世以降、特にイングランドやベルギー、ドイツ南部の一部では、暖かい環境での上部発酵によるエール文化が発展しました。開放式の発酵槽を用い、上澄みの酵母をすくって次バッチに用いるなど、地域ごとの酵母管理が伝承されてきた点も特徴です。
上部発酵酵母の生物学的特徴
上部発酵に使われる酵母は一般にSaccharomyces cerevisiae属で、増殖が速く発酵初期に活発な発泡を伴います。これらの酵母は発酵が進むにつれて細胞が凝集・浮上し、クラウゼンを形成します(ただし全ての上部発酵酵母が同様の浮上挙動を示すわけではありません)。また、酵母株ごとに発生する副生成物(エステル、フェノール、高級アルコールなど)のプロファイルが大きく異なり、ビールの香味を決定づけます。
発酵の仕組み:クラウゼンと一次発酵
上部発酵では、糖が消費されアルコールと二酸化炭素が生成されます。発酵初期の活発なCO2放出により表面に泡が立ち、酵母やタンパク質、ホップ由来の成分などが混ざってクラウゼンを作ります。一次発酵は通常数日(軽いエールで3〜7日、強力なエールではそれ以上)で主発酵が終わり、その後に二次発酵や熟成へ移行します。発酵温度、ピッチング率(投入する酵母量)、酸素供給量、麦汁の組成が発酵挙動や副生成物の量に直接影響します。
風味への影響:エステル、フェノール、高級アルコール
上部発酵酵母は下面発酵酵母に比べて高い割合でエステル(果実様の香り)や特定のフェノール(クローブ様など)を生成する傾向があります。代表例としてイースト代謝で生じるエステルにはイソアミル酸エチル(バナナ様)、エチルアセテート(フルーティー)があり、これらは温度やピッチング、発酵ストレスによって増減します。ベルジャンスタイルやヴァイツェンで見られる4-ビニルグアイアコール等のフェノールは、特定の酵母株(フェノール生成能=Pof+)によって生産され、スタイルの個性を形作ります。
代表的なビアスタイルと上部発酵の関係
上部発酵は多くの主要エールスタイルの基盤です。代表的なものには次のようなスタイルがあります。
- ペールエール/IPA:フルーティーかつホッピーな香り。酵母は比較的クリーンでエステルは控えめ〜中程度。
- 英国スタイルエール(ビター、ブラウンエールなど):マイルドで麦芽の風味重視。伝統的なエール酵母はややフルーティー。
- ベルギャンエール(トラピスト、セゾン等):酵母由来の強いフルーティーさとフェノール的スパイス香が特徴。
- ヴァイツェン(小麦ビール):専用のヴァイツェン酵母がバナナ様のイソアミル酸エチルとクローブ様のフェノールを生む。
醸造管理:温度・ピッチング・酸素・栄養の制御
上部発酵で狙った香味を得るためには以下の管理項目が重要です。
- 温度管理:一般に15〜24℃が多いが、酵母株やスタイルにより最適温度は異なる。高温はエステルや高級アルコールを増やす。
- ピッチング率:適切な細胞量を投入することで発酵の遅延やストレスを減らし、不要な副生成物の発生を抑える。
- 酸素供給:初期の酸素は酵母の増殖と細胞膜合成に必要。過度の酸素は酸化リスクを高める。
- 麦汁の栄養(窒素源、ビタミン、ミネラル):酵母栄養が不足するとジアセチルや硫黄化合物などのオフフレーバーが発生しやすい。
- 発酵容器と衛生:上部発酵は伝統的に開放発酵槽を使うことが多いが、衛生管理が重要。現代の醸造所では密閉タンクで上部発酵酵母を用いることも一般的です。
開放発酵と密閉発酵の違い
伝統的な上部発酵は開放タンクで行われ、クラウゼンの観察や地元酵母の管理がしやすい反面、外部微生物の侵入リスクがあります。一方でステンレスタンクなどの密閉タンクを使えば温度管理や炭酸回収、衛生管理が容易になり一貫した品質を得やすくなります。スタイルや醸造哲学によって使い分けられます。
よくあるトラブルと対処法
- 過剰なエステル香:原因は高温・低ピッチング率・栄養不足。対策は温度を下げる、適切な酵母量を投入、栄養添加。
- ジアセチル(バタリー香):通常は発酵終盤や後熟で酵母が還元して低減される。残る場合は温度を短期間上げて酵母に再活性化させる(ディアセチリネーション)。
- 酸敗や異物混入:開放発酵で起きやすい。衛生管理の徹底、酸検査、必要に応じて密閉発酵へ切替え。
- 発酵の遅延や停止:温度不足、酸素不足、ピッチング低下が疑われる。条件改善や栄養供給、追い酵母投与を検討。
酵母の収集・再利用(リーパリング)
伝統的な醸造所では上部に浮いた酵母を回収して次バッチに用いる方法があり、これにより同一系統のフレーバーが維持されます。ただし、連続的な再利用は突然変異や汚染により品質変動を招く可能性があるため、定期的な純粋培養チェックや浅い継代、必要時のスターター作成が重要です。
醸造家への実践的アドバイス
上部発酵で狙った結果を得るには、まず使用する酵母株の特性を理解することが最優先です。次に、温度プロファイル(発酵初期中期後期の管理)、適切なピッチング、酸素化と栄養管理、清潔な製造環境を確保してください。小規模な試験ロットで条件を変えて比較するブラインドテイスティングは有効です。
結び:多様な風味を生む上部発酵の魅力
上部発酵はビールに多様な香味を与える重要な技術であり、酵母選択と発酵管理によって幅広い表現が可能です。伝統と革新が交差する領域でもあり、クラフトビールの発展とともに世界中で注目されています。適切な管理を行えば、個性的で高品質なエールを安定的に生産できます。
参考文献
- Ale - Wikipedia
- Saccharomyces cerevisiae - Wikipedia
- John Palmer, How to Brew — Chapter 6: Yeast
- Siebel Institute — Ale or Lager?
- Brewers Association — Yeast & Fermentation (教育資料)


