モーツァルト:自動オルガンのためのアダージョとアレグロ ヘ短調 K.594(1790)─楽器と様式が生む濃密さを読む
はじめに — 小品に宿る深い陰影
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)が1790年に残した「自動オルガンのためのアダージョとアレグロ ヘ短調 K.594」は、短い作品でありながら、その陰影と技巧的要請から、モーツァルトの晩年における表現の成熟と楽器技術の影響を読み取ることのできる興味深い一作です。世間の注目はピアノ協奏曲やオペラに集まりがちですが、このような小品は、当時のサロン文化や楽器技術が作曲にどう影響したかを具体的に示す証左となります。本稿では楽曲の成立背景、使用楽器としての『自動オルガン(機械式オルガン/オルゴール/オルゴル)』の特性、そして楽曲の構造と演奏上の注意点を中心に、できる限り史実に基づいて深掘りします。
成立と時代的背景(1790年という時代)
K.594は1790年に作曲された作品としてケッヘル目録に登録されています。1790年前後はモーツァルトがウィーンで活動していた時期であり、経済的困窮や健康問題、そして演奏・出版をめぐる複雑な状況が重なった時期です。同時に欧州の上流階級では自動演奏楽器(機械式オルガンや自動チェンバロ、オルゴールボックスなど)が趣味の対象となり、小規模なサロンや屋敷の一室で自動楽器を用いた音楽鑑賞が行われていました。
こうした事情から、当時の作曲家たちは自動演奏楽器向けの小品を作ることがあり、モーツァルトも例外ではありません。自動オルガンのために作曲・改作された曲は、楽器の自動再生特性(音量調整やニュアンスの限定、連続したアーティキュレーションの制約など)を念頭に置いて書かれる必要があり、作曲家の表現選択に直接的な影響を及ぼしました。
自動オルガンとは何か — 楽器の技術的制約が音楽を形作る
『自動オルガン』という呼称は広義で、ここではピンやパンチカード、あるいは回転式のバレル(柱)によりあらかじめ打刻された演奏情報で音を出す自動演奏式の鍵盤楽器を指します。18世紀末には機械式オルガンやオルゴール盤を備えた『オルゴールクロック(organ clock)』や、『自動チェンバロ』のような装置が存在しました。
- 音色と発音:管やフリーリード、あるいは金属歯(オルゴール)を振動させる方式により固定された音色が与えられ、演奏者の手による細かなニュアンス(呼吸感や微小なテンポ変化)は制限される。
- ダイナミクス:当時の自動楽器はダイナミクスの幅が狭く、継続的な強弱変化は困難であることが多い。
- アーティキュレーションと連続性:機械的に打鍵されるため、連続音形やオスティナート的な効果は得意だが、極端なレガートや極微細な音のつながりは演奏者の手で行う鍵盤演奏と比べると異なる表現になる。
これらの制約は作曲上の選択肢に直結します。例えば、明瞭な対位法や和声の輪郭をはっきりさせること、装飾を制限して主題の輪郭を際立たせること、リズム的に切れの良い動機を用いることなどが有利になります。K.594に見られる構成や書法は、こうした楽器特性を念頭に置いていることが感じられます。
楽曲構成と音楽的分析
K.594は「アダージョ」と「アレグロ」の二つの部分で構成され、ヘ短調というモーツァルトにとって比較的稀な暗めの調性を選んでいます。ヘ短調は同時期の彼の他の重要作(ピアノ協奏曲や交響曲などの短調作品)と同様に、深い感情表現や劇的な対比を引き出すための鍵となっています。
アダージョ(導入部としての機能)
冒頭のアダージョは短いながらも陰鬱で叙情的な性格を持ち、しばしばモーツァルトの短調作品特有の哀愁を濃縮したような旋律線が現れます。自動オルガンの限られたダイナミクスを考慮し、和声の進行やモチーフの間の緊張感で表情を作る設計になっていると読めます。モーツァルトは短調での照応関係(第II主題の半音階的導入や減七の使用、属和音への巧みな導入)を使って、短い間に聴き手の注意を引き込む術を見せます。
アレグロ(躍動と対比)
続くアレグロは、より機械的な反復や明瞭なリズムが前面に出ます。自動楽器に適したはっきりした打鍵感が活かされる場面で、対位法的な展開や短い動機の反復が作品の推進力を担います。楽想は短調の緊張感を保ちながらも、時折長調に向かうような一瞬の安堵を差し挟み、対比によって作品全体のドラマを形成します。形式的には小規模なソナタ形式的輪郭または二部形式の変形と見ることができますが、楽曲の短さゆえに簡潔な動機展開が特徴です。
作曲上の工夫と表現技法
自動オルガンの特性に応えるため、モーツァルトは次のような工夫を施したと考えられます。
- 主題の明瞭化:装飾を過度に用いず、音形を明確にすることで、機械的再生でも主題が損なわれないようにしている。
- 和声的緊張の積み重ね:ダイナミクスでの変化が難しいぶん、和声や不協和音の導入・解決で表情を作る戦略が取られている。
- リズムの切れ味:機械的打鍵の性格を利用して短い断片的動機を連ね、推進力をもたらす。
こうしたテクニックは、楽器の制約を単なる制約として扱わず、むしろ創作的条件として生かす点でモーツァルトの柔軟な作曲性を示しています。
演奏と現代での受容 — 自動楽器と生演奏の間
現代の演奏実践では、K.594は自動オルガンでそのまま再生されることもあれば、ピアノやチェンバロ、パイプオルガン、あるいは室内オーケストラによる編曲で演奏されることもあります。生演奏に移す際のポイントは以下の通りです。
- ダイナミクスの取り扱い:原曲の楽器では表現しきれなかった細かな強弱を、現代楽器では過度にならないよう配慮して用いる。
- テンポ設定:アダージョ部の遅すぎるテンポはメリハリを失わせるため、楽想の緊張感を保つ速度を選ぶ。アレグロは機械的なリズムの明晰さを保ちながらも、やや歌わせる余裕を残すとよい。
- 装飾とフレージング:自動楽器由来の簡潔さを尊重して、過剰なロマンティック装飾は避け、モーツァルトの古典的均衡を重視する。
録音史の中ではK.594は主流レパートリーというほど頻繁には取り上げられないものの、モーツァルトの短調作品に興味を持つ演奏家や、機械式オルガンや自動楽器に焦点を当てたコレクションの中では重要視されています。原典版・校訂版はデジタル・モーツァルト版(Neue Mozart-Ausgabe)や複数の楽譜コレクションで入手可能です。
K.594の音楽史的意義とモーツァルトの作風
短い小品ではありますが、K.594はモーツァルトが小規模な媒体を通じてさえも深い感情表現や構造的締まりを実現できることを示しています。ヘ短調という選択は単なる色替えではなく、当時の美学(短調=重厚で劇的な感情)に連なるものであり、モーツァルトが交響曲や協奏曲で示した短調表現の縮小版、と言い換えることもできます。
さらに、自動楽器への作曲という実用的な依頼・需要が、作曲家に異なる表現技法の採用を促した点は、18世紀後半の音楽文化を理解するうえで重要です。楽器技術と社会的需要が作曲スタイルに直接影響を与える例として、K.594は興味深いケーススタディを提供します。
楽譜と参考版、初版の扱い
K.594のスコアは、現在ではデジタル・モーツァルト版(Neue Mozart-Ausgabe のデジタル・エディション)やパブリックドメインの楽譜サイトで閲覧できます。原典版にアクセスすることで、モーツァルトがどのように推敲したか、あるいはどのような記譜上の省略があるかを確認できます。演奏や編曲を考える場合は、まず原典版を参照することをおすすめします。
結び — 聞き手に促すこと
K.594は短いながらも、聴取者に対して注意深い聴き方を要求します。ダイナミクスのレンジが狭い自動楽器という条件下で生まれた音楽は、和声進行やモチーフの相互作用、そしてリズムの明晰さによりドラマを作り出しています。モーツァルトの他の短調作品と合わせて聴くことで、彼の短調表現の多様性と統一感がより鮮明に見えてくるでしょう。
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参考文献
- IMSLP: Adagio and Allegro, K.594(楽譜・原典資料)
- Digital Mozart Edition (Neue Mozart-Ausgabe) — Mozarteum Foundation
- Encyclopaedia Britannica: Mechanical music(自動演奏楽器の歴史と技術)
- Wikipedia: List of compositions by Wolfgang Amadeus Mozart(作品一覧、K.番号参照)
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