モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』K.527(1787)──歴史・音楽・演出の深層ガイド

はじめに

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』K.527(1787)は、18世紀後半のオペラの頂点と評価される作品です。イタリア語台本(リブレット)はロレンツォ・ダ・ポンテによるもので、『フィガロの結婚』(1786)に続く二作目の協働作となりました。本作は「dramma giocoso(喜劇的な劇)」という体裁を取りながら、喜劇と深刻な道徳的主題を複雑に織り交ぜ、終幕の超自然的な結末へと収束していきます。本コラムでは、創作背景、登場人物、楽曲と構成、主題解釈、上演と録音の観点から『ドン・ジョヴァンニ』を詳細に掘り下げます。

創作と初演の背景

『ドン・ジョヴァンニ』は1787年にウィーンで準備・作曲され、同年10月29日に当時「王立劇場」(Estates Theatre、現在の国立劇場)を擁していたプラハで初演されました。プラハの聴衆はモーツァルトに熱狂的な支持を示し、『フィガロの結婚』がウィーンで必ずしも好評を博さなかったのとは対照的に、プラハでの初演は成功を収めました。作曲は1787年の比較的短期間に進められ、モーツァルトの成熟した劇的センスと卓越したオーケストレーションが随所に見られます。作品番号はK.527で、モーツァルトの晩年の傑作群に位置づけられます。

ジャンルと台本(リブレット)

作品は「dramma giocoso」という分類で、これは従来のオペラ・セリア(深刻なオペラ)とオペラ・ブッファ(喜劇)両者の要素を併せ持つことを意味します。台本家ロレンツォ・ダ・ポンテは登場人物の心理や劇的対立を巧みに配し、道徳的教訓を単純化せずに提示します。主人公ドン・ジョヴァンニ(ドン・ジュアン伝説に由来)は放蕩の極致を体現し、周囲の人物たちは彼に哀愁や怒り、復讐、皮肉など複雑な反応を示します。ダ・ポンテの構成は群像劇としてのバランスがよく、モーツァルトの音楽が各人物の性格や動機を鋭く照射します。

主な登場人物

  • ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)――主人公。貴族的だが道徳的アンビバレンスを持つ放蕩者(通常はバス・バリトンまたはバリトン)
  • レポレッロ(Leporello)――ドンの召使。カタログのアリアなどでコミカルかつ皮肉の語り手となる(バス)
  • ドンナ・アンナ(Donna Anna)――貴族女性。父(騎士長=Il Commendatore)を殺されたことで復讐を誓う(ソプラノ)
  • ドン・オッターヴィオ(Don Ottavio)――ドンナ・アンナの婚約者。理性的で穏当だが劇的な行動力には乏しい(テノール)
  • ドンナ・エルヴィーラ(Donna Elvira)――かつてドンに裏切られた女。復讐と未練が混在する複雑な人物(ソプラノ)
  • ツェルリーナ(Zerlina)とマゼット(Masetto)――農民の恋人同士。ツェルリーナは誘惑される若い女性(ソプラノ/バス)
  • 騎士長(Il Commendatore)――ドンナ・アンナの父。ドンに殺されるが、死後に復讐する超自然的存在(バス)

楽曲構成と注目すべき場面

『ドン・ジョヴァンニ』は2幕構成で、喜劇的場面と深刻な場面が巧みに交互に現れます。以下に主要な音楽的ハイライトを挙げます。

  • 序曲(Overture)――序曲は劇の暗転と緊張感を象徴しつつ、すばやいテンポで観客を引き込みます。後の場面の動機をほのめかす点で劇的効果が高い。
  • レポレッロの「カタログの歌」("Madamina, il catalogo è questo")――世界的に有名なアリア。ドンの“獲物”のリストをコミカルに説明する場面だが、作品全体の道徳的緊張を示す役割も担う。
  • ツェルリーナとドンの二重唱("Là ci darem la mano")――誘惑の駆け引きを音楽的に描いた美しい二重唱。繊細な心理描写が光る。
  • 騎士長の像の登場と最終場面――死者が生者を裁く超自然的な場面は、オーケストレーションとレチタティーヴォ(伴奏付きレチタ)を用いた劇的表現が際立つ。結末の道徳的審判は解釈に幅を与え、舞台ごとに異なる演出が行われる。

音楽的特徴とモーツァルトの表現技法

モーツァルトはこの作品で、登場人物の心理をオーケストレーションとハーモニーで巧みに描き分けます。管楽器を含めた色彩豊かな配器、突然の半音進行や和声の不協和を用いて不穏さや誘惑の緊張を表現する箇所が多く見られます。また、モーツァルトは重要場面に伴奏付きレチタティーヴォ(recitativo accompagnato)を用いることで、単なる語り以上の劇的効果を生み出しています。二重唱や三重唱・四重唱といったアンサンブルの組み立ても卓越しており、登場人物同士の心理的せめぎ合いを音楽そのもので提示します。

主題と解釈の多様性

『ドン・ジョヴァンニ』は単純な善悪二元論には収まらない作品です。ドン・ジョヴァンニは明確な悪役でありながら、稀に魅力的でカリスマ的に描かれ、観客の感情を揺さぶります。ダ・ポンテとモーツァルトは、誘惑・復讐・社会的身分差・個人の責任といったテーマを曲中で織り込み、特定の教訓に回収しないことで物語を強度のある芸術体験へと高めています。終幕の罰は劇的なカタルシスをもたらす一方、道徳的な確証を必ずしも与えない(例えばドンの内面の反省が描かれない)点が、作品に現代的な解釈可能性を与えています。

上演と演出の課題

本作を演出する際の大きな課題には、ドン・ジョヴァンニをどのように描くか、そして終幕の超自然的な罰をどの程度文字通りに扱うか、の二点があります。伝統的な演出は騎士長の像が文字通り化身してドンを地獄へ引きずり込む像的な舞台装置を用いますが、現代演出では象徴的・心理的な読み替えが多数見られます。また、作品全体のテンポ感やコミック要素と悲劇要素のバランスをどう取るかも演出家と指揮者の判断に委ねられます。

演奏史とおすすめ録音

『ドン・ジョヴァンニ』は20世紀以降、多くの名盤を生み出しました。指揮者や歌手、演出の違いによって劇の色合いが大きく変わる作品のため、複数の録音や映像で比較する価値があります。特にクラシック・ファンにしばしば推薦される録音には、カラヤンやベーム、カイルベルト、レオンハルト/古楽アプローチのものなどがあります。近年は歴史的演奏法を取り入れた公演や、演劇的解釈を強めた上演も増え、現代の視点から新たな発見を与え続けています。

学術的・文化的影響

『ドン・ジョヴァンニ』は単なる音楽作品にとどまらず、文学・演劇・哲学におけるドン・ファン像の重要な参照点ともなりました。啓蒙時代の倫理観や社会構造への問いかけ、個人の欲望と責任の問題は、時代を超えて議論を呼びます。音楽学的には、モーツァルトの和声感覚、劇的構築、そして声楽とオーケストラの統合的扱いが高く評価されています。

結び:現代に生きる『ドン・ジョヴァンニ』

『ドン・ジョヴァンニ』は、聞くたび、観るたびに新しい問いと発見をもたらす作品です。人間の欲望とその帰結を描く物語は、現在の価値観で再解釈され続けています。音楽的完成度の高さ、複層的な人物造形、そして舞台上での多様な演出可能性により、本作は今後もオペラ・レパートリーの中心であり続けるでしょう。

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参考文献