モーツァルトの『子守歌』K.350は誰の作品か? 真贋の歴史と音楽的考察
導入—「モーツァルトの子守歌」はなぜ有名になったか
「Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein」(日本では単に「子守歌」や「モーツァルトの子守歌」として知られる)は、長年モーツァルトの作品として親しまれてきた短い子守歌です。独特のやさしい旋律は、家庭の子守歌集やピアノ入門書、合唱のレパートリーに頻出し、「モーツァルト=美しい子守歌」のイメージを広く定着させました。しかし、20世紀以降の音楽学的研究により、作曲者はウルフガング・アマデウス・モーツァルトではなく、別人の可能性が高いと結論づけられています。本稿では、作品の来歴(来歴学)、作品の音楽的特徴、真贋論争の経緯、演奏や録音の実務的考察を詳述します。
来歴と目録上の扱い—K.350と「付録(Anhang)」の意味
この曲は長らくモーツァルトの作品として流布しましたが、モーツァルトの正式な作品番号であるケッヘル目録(Köchel Catalogue)では正典扱いから外され、付録(Anhang、略して"Anh.")に分類されています。ケッヘル目録の付録は、真作性が疑わしい作品、偽作、あるいは確証が得られない作品をまとめたカテゴリーです。したがって「K.350 (Anh. C 8.48)」のような表記は、当初はモーツァルト作品に付された番号が後に«付録»へ移されたことを示しています。
作曲者は誰か:ベルンハルト・フリース説(B. Flies / Fließ)の有力性
20世紀以降の研究で有力視されているのは、ベルンハルト・フリース(Bernhard Flies、表記はFliesまたはFließと揺れる)という名前です。複数の音楽資料や古い楽譜の比較に基づき、この曲がフリース名義で出版・伝承されていた痕跡が指摘されてきました。現在の学術目録や楽譜データベースは、モーツァルトの代表作群から本曲を分離し、疑作・偽作として扱うのが通例です。ただし、フリース説も完全な決着を見たわけではなく、文献的証拠の断片性や初出史料の限界から、読み替えや異論が残る点は注意が必要です。
なぜモーツァルト名義で広まったか—19世紀の出版・受容史
18世紀末から19世紀にかけての出版事情では、名声のある作曲家の名を付すことで曲が売れやすくなるため、誤った帰属や商業的な名義貸しが行われることがありました。特にモーツァルトというブランドは強力で、軽歌劇や室内楽、歌ものの短い作品が彼の名で出回る事例が見られます。本曲もそうした出版慣行のなかで「モーツァルト作」として流布し、定着してしまった経緯があります。ケッヘルや後続の編集者たちが検討を重ね、最終的に付録扱いとして分類したのはこうした背景があってのことです。
楽曲の音楽的特徴—シンプルさと普遍性
曲は子守歌に期待される要素をそなえています:穏やかなテンポ、親しみやすい歌詞(ドイツ語の子守歌詩)、短いフレーズの繰り返し、分かりやすい和声進行です。典型的にはト長調などの明るめの調で書かれ、旋律は半音階的な装飾よりも段階的な動き(階段状の進行)と終止感を重視します。和声進行はI–V–IやI–IV–V–Iのような単純な機能和声に依拠し、子守歌として求められる安心感・解決感が強調されています。
こうした単純性はモーツァルトの天才的な作風とは一見結びつきにくいと考える研究者も多く、作風的な観点からもモーツァルト作ではないとの判定を後押ししました。ただしモーツァルトが常に複雑であるわけではなく、子守歌や簡易な歌曲を残している点もあるため、作風の判断だけで決定づけることは禁物です。
楽譜の伝承と史料学的証拠
作曲者特定で重要なのは原典(オリジナルの筆写譜や初版)です。本曲の場合、初出の版や手稿に関する情報が不完全であり、近代の編集者は入手可能な版を比較して真贋を検討しました。フリース名義の版や、19世紀の版でモーツァルト名が付された経緯を示す資料などが断片的に存在するため、現在の総括的見解は「以前はモーツァルトの名で流布したが、史料学的根拠は薄く、別作者の可能性が高い」となっています。
演奏・編曲の実務的考察
- テンポと表現:子守歌としては安定した長い拍子感を保ち、過度な装飾や激しいテンポ変化は避けるのが一般的です。抑制されたルバートと柔らかい音色が適します。
- 鍵盤伴奏:ピアノ編曲では左手のシンプルなアルペッジョやオクターブを控えめに使い、旋律を際立たせます。オーケストレーションや弦楽四重奏への編曲も多く、編曲時は原曲の親密さを損なわないことが重要です。
- 歌唱:声楽で歌う際は語尾やフレーズの呼吸を丁寧に扱い、歌詞の語感を生かすアプローチが望ましいです。子守歌としての機能(子どもを寝かしつける)を最優先にした自然なフレージングが好まれます。
レコーディングと受容—偽作でも揺るがない人気
真贋をめぐる議論にもかかわらず、このメロディの普遍的な魅力は衰えていません。数多くの録音が存在し、クラシックの入門盤や子守歌集、テレビ・映画など多方面で引用され続けています。一般聴衆にとっては「作曲者の真偽」は必ずしも音楽の価値を左右しないことが多く、名義がモーツァルトであれ別人であれ、曲自身の美しさが評価されていると言えるでしょう。
真贋問題から学ぶこと—レパートリーとの向き合い方
この事例は、クラシック音楽における作曲者帰属の問題と受容のメカニズムを理解するうえでよい教材です。以下の点を意識するとよいでしょう。
- 目録・学術編集の見方:ケッヘル目録の付録扱いなど、専門目録は作曲者帰属に関する有益な手がかりを与えます。
- 史料批判の重要性:初出資料や版の経緯を検証することが、真贋判断の基本です。
- 音楽的価値と作者問題は別軸:作者が誰であれ、作品が持つ表現的価値は独立して評価され得ます。
結論
「モーツァルトの子守歌」K.350(Anh.C 8.48)は、今日ではモーツァルトの正作とは見なされず、ベルンハルト・フリースなど別の作曲家の可能性が高いとされています。しかしこの曲の持つ親しみやすい旋律と機能性は、長年にわたり多くの人々に愛され続けてきました。演奏や鑑賞においては、作曲者帰属の歴史を学ぶことは大切ですが、最終的には曲そのものの音楽的魅力をどう活かすかが問われます。
エバープレイの中古レコード通販ショップ
エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
是非一度ご覧ください。

また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery
参考文献
- "Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein" — Wikipedia(英語)
- IMSLP: Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein(楽譜と版の情報)
- Köchel catalogue — Wikipedia(付録扱いの説明)
- Neue Mozart-Ausgabe / Digital Mozart Edition(モーツァルト作品目録と学術情報)
投稿者プロフィール
最新の投稿
ビジネス2025.12.29版権料とは何か|種類・算定・契約の実務と税務リスクまで徹底解説
ビジネス2025.12.29使用料(ロイヤリティ)完全ガイド:種類・算定・契約・税務まで実務で使えるポイント
ビジネス2025.12.29事業者が知っておくべき「著作権利用料」の全体像と実務対応法
ビジネス2025.12.29ビジネスで押さえるべき「著作権使用料」の全知識――種類、算定、契約、税務、リスク対策まで

