モーツァルト:「妹よ、愛の女神を信ずるな」K. Anh. C 10.02(偽作)の真相と音楽的考察 — 出典・鑑定・演奏の視点から

はじめに — なぜこの作品が注目されるのか

「妹よ、愛の女神を信ずるな」(原題の独語例は記録によって異なる)は、ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトの作品目録の付録(Anhang)にK. Anh. C 10.02として収められている小品です。現在の目録上は「偽作(spurious/疑わしい)」に分類されており、なぜモーツァルト作ではないと判断されたのか、また音楽的にはどのような位置づけになるのか──こうした疑問が本コラムのテーマです。

目録上の表記と「偽作」とは何か

モーツァルト研究における作品番号(K.=ケッヘル番号)は最初の総目録をもとに発展してきました。原典に遺る自筆譜(自筆譜=autograph)が存在する場合は信頼度が高い一方、後世の写譜や印刷譜のみに基づく作品は出典が不明確になります。こうした出典に疑義がある作品は「Anhang(付録)」に移され、さらに検討の結果「偽作」と判断されれば疑作・偽作として注記されます。K. Anh. C という表記は、こうした付録カテゴリの一部を指します(注:編纂史により表記や分類は版によって差異がある)。

出典・伝承の現状

この作品がモーツァルトの自筆譜に基づくものではない点は、多くの研究者が一致するところです。一次史料(自筆譜や確実な写本)が欠け、作品が伝わる形跡が比較的後代の写本や19世紀の版で確認されること、そして作風や対位法・和声の語法がモーツァルトのほかの確実な遺作と一致しない点が、偽作と判断される主な根拠です。

鑑定の観点:何をもって「偽作」と判断するか

音楽学における作曲者鑑定は、次のような複合的な観点で行われます。

  • 一次史料の有無(自筆譜、当時の写譜、楽譜の水印、筆跡など)
  • 他の確実な作品との様式的比較(和声進行、対位法、旋律の語法、器楽法など)
  • テキストの出典(歌詞が既知の詩人によるものか、あるいは後代の付加か)
  • 出版・伝承史(最初に現れる年代、版元、写譜の系譜)
  • 歴史的文献の記載(コンサート目録や手紙に言及があるか)

K. Anh. C 10.02の場合、これらのいくつかが満たされないため、モーツァルト作ではないという判断につながっています。

テキスト(歌詞)とその意味

邦題の「妹よ、愛の女神を信ずるな」は直訳調の日本語表現ですが、内容は18世紀に流行した恋愛観や警句的な短詩に近いものです。こうした主題は当時の家庭やサロンで歌われた小品によく見られ、必ずしも特定の著名作曲家に結びつくものではありません。したがって、歌詞の主題自体はモーツァルト時代の風俗を反映していますが、それだけで作曲者を確定する根拠にはなりません。

音楽的特徴の検討(一般論としての分析)

ここでは具体的な小節ごとの詳細な譜例を示す代わりに、切り口として注目される点を挙げます。モーツァルトの確実作に見られる特徴(緻密な対位法、典型的な和声連鎖、旋律の動的な発展、リズム・句構造の妙)と比較したとき、K. Anh. C 10.02は単純な伴奏進行や類型的な旋律素材に留まり、モーツァルト本人の筆致にしばしば見られる洗練や奇抜な転調・ユーモアが乏しいと指摘されることが多いです。

ただし、短小なサロン小品やカノンに関してはモーツァルトも簡潔さを選ぶことがあるため、短さや単純さだけで即座に偽作と断定することはできません。大切なのは全体の語法と細部の処理が他の確実作と整合するかどうかです。

伝統的な誤認と偽作の背景

18〜19世紀には作曲家の名を借りて作品を市場に出すことがしばしば行われ、人気作曲家の作品として流布することで販売が容易になるという商業的動機がありました。また、当時の写譜慣行や口伝の過程で作者表示が消失・混乱することも多く、誤認が生じやすかったのです。モーツァルトのような人気作曲家の場合、その傾向は特に強く、真作と断定されない小品が多く「偽作」として残っています。

編集学・演奏への示唆

音楽学の編集では、こうした疑作は注記を付けたうえで現代版に含められることが一般的です。演奏会や録音で取り上げる際には、作曲者不明あるいは偽作の可能性があることをプログラムノートで明記するのが望ましいでしょう。作品自体が持つ魅力(旋律の素朴さや語感の良さ)を評価しつつ、歴史的・学術的文脈を伝えることが聴衆への誠実な姿勢です。

学術的な位置づけと今後の課題

現時点でK. Anh. C 10.02をモーツァルトの自筆とする確固たる証拠は提示されていません。とはいえ、音楽学は常に新資料の発見や再分析によって前提が変わり得ます。例えば未発見の写譜が発見されれば、筆跡分析や水印研究、放射性年代測定等の手法で再評価が可能です。重要なのは個々の小品が音楽史的にどのような機能を果たしたかを忘れず、過度に断定的な結論を避ける慎重な姿勢です。

まとめ — 偽作であっても価値はある

「妹よ、愛の女神を信ずるな」K. Anh. C 10.02は、現行の学術的判断ではモーツァルトの自作ではないと扱われます。しかし、そのことは作品が音楽的・文化的に無意味であることを意味しません。むしろ、なぜ誤認が起きたのか、当時のサロン音楽の流通や嗜好はどうであったかを考察することで、18世紀後期の音楽社会を理解する手がかりになります。演奏者・聴衆・研究者は、それぞれの立場で作品の魅力と史的背景を併せて伝えていくことが求められます。

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参考文献