バッハ:BWV 985『協奏曲第14番 ト短調』深掘りコラム ― 作品の来歴・構造・演奏解釈と名盤紹介

はじめに — BWV 985とは何か

BWV 985は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作成した鍵盤用協奏曲(いわゆる鍵盤への協奏曲編曲群、BWV 972–987の一部)に属する作品で、一般に「協奏曲第14番 ト短調(Concerto in G minor)」と呼ばれることがあります。これらの作品群は、主にヴァイマル時代(1713–1714頃)ないしケーテン時代にかけての、イタリア・フランス系協奏曲を鍵盤独奏用に編曲したものと考えられており、BWV 985もその一つに数えられます。

本稿では、作品の来歴、楽曲構造、編曲上の特徴、演奏・解釈のポイント、楽譜・音源情報、さらには現代演奏での扱いについて、できるだけ史実に基づいて詳しく掘り下げます(注:BWV 985の原曲は確定しておらず、原典や比較資料は限られます)。

来歴と原典問題:原曲はあるのか

Bachが残した鍵盤協奏曲の編曲群の多くは、ヴァイオリン協奏曲やオーケストラ協奏曲をハープシコード(またはチェンバロ)用に改作したものです。しかしBWV 985については、はっきりと特定された原曲が現存していないため、原典は「失われた」か、あるいは現存する協奏曲のどれかとの対応が明確ではありません。音楽学上の調査は続いており、旋律・和声進行・合奏配置の痕跡からイタリア流(ヴァイヴァルディや同時代のイタリア弦楽器作曲家)に由来する可能性が指摘される一方、確固たる一致点が見つかっていないのが現状です。

したがってBWV 985は、バッハによる「鍵盤独奏版協奏曲」と考えるのが妥当で、原曲の同定が今後の研究課題となっています。バッハはこの種の編曲を通じて、他作曲家の協奏的アイデアを鍵盤の語法に移し、自己の対位法や和声感覚を融合させる鍛錬を行っていました。

楽曲の構造(概括)

BWV 985は、バロック協奏曲の典型に従い「3楽章(速―緩―速)」という大枠をもっていると理解されます。外楽章はリトルネッロ形式(合奏主題の反復と独奏的発展)、中間楽章は歌唱的で叙情的な性格を持つことが多く、鍵盤上での独奏的な装飾や内声線の独立性が顕著になります。

ト短調という調性は、バッハにとってしばしば深い情感や陰影を表す色彩です。旋律線は短い動機の反復と発展を通じて劇性を生み、和声進行では短調特有の副和音や転調を効果的に用いて緊張と解決を作ります。

編曲上の特徴と鍵盤への移植法

鍵盤編曲という作業において、バッハはオーケストラの多声的テクスチャを単一の鍵盤楽器に再構築する必要がありました。BWV 985でも次のような手法が見られます。

  • 主題の二重機能化:旋律線を右手に、伴奏または対旋律を左手/内声で提示することで、オーケストラのソロとリピエーノ(合奏部)を同時に表現する。
  • アーティキュレーションと装飾:弓によるフレーズを鍵盤で表すため、トリルや短い装飾句、アペジョ(分散和音)を多用して音色的な差異を補う。
  • ベースの充実:左手に低音ラインを明確に配置し、通奏低音(通奏低音の役割)を保持することで和声的基盤を支える。
  • リズムの明確化:オーケストラのリズムの掛け合いを鍵盤に取り込む際、左右手の分離を用いて対位的リズムを実現する。

これらはバッハの鍵盤写譜(編曲)に共通する技法であり、BWV 985にも同様の処方が認められます。結果として、この曲は鍵盤奏者に対して高度な独立した両手の運動、ポリフォニー処理、そして音楽的表現力を求めます。

調性と表現:ト短調の特色

ト短調という調は、バロック期においてしばしば厳粛さ、憂愁、あるいは躍動する内的葛藤を表す色調として用いられました。BWV 985の冒頭や終楽章のト短調らしい断片的なモチーフ、和声の転回、短調の終止感は、楽曲に緊張感とダイナミズムを与えます。

特に中間楽章では、ト短調の内に秘めた暖かさや抒情が現れ、短調でありながらも歌うような旋律線によって静謐さが生まれます。鍵盤上の「歌わせ方」— レガート、適切な装飾、フレージングの区切り — が、奏者には重要な解釈ポイントとなります。

演奏・解釈の実践的ポイント

現代ピアノと歴史的チェンバロでは表現手段が異なります。一般的な演奏上の留意点は以下の通りです。

  • 楽器選択:チェンバロやクラヴィコードはバロック的な均質な音色を持ち、通奏低音の感覚を出しやすい。一方モダンピアノはダイナミクスの幅が広く、旋律の歌わせ方やアゴーギクで異なる色合いを示せる。
  • 装飾の扱い:バロックの演奏慣習に従って装飾(トリル、モルデント等)を適切に配置する。中間楽章では装飾は抒情性を補強する方向で用いる。
  • テンポ感:リトルネッロ形式の外楽章は多少テンポの揺れ(アゴーギク)を用いてソロと合奏の緊張感を強調できる。速すぎる設定は対位法的な明瞭さを損なう危険がある。
  • フレージングと句読点:鍵盤でのフレージングはフレーズの始点と終点を明確に示し、音の消え方(デクレッシェンド)や間(呼吸)を効果的に用いる。

版・校訂・楽譜について

BWV 985は新バッハ全集(Neue Bach-Ausgabe, NBA)や主要なウルテクスト版(Urtext)に収められており、演奏者はこれらの校訂版を参照するのが基本です。19世紀以降の版には、ロマン派以来の指示や発想が混入している場合がありますので、原典に近い校訂(NBA・Urtext)で源泉の記譜を確認することを勧めます。

また、BWV 972–987をまとめた出版物や各種音楽学的注記を参照すると、編曲時期や筆写者、書法上の特徴などが詳述されており、史的演奏法の手がかりになります。

おすすめの聴きどころと名盤(入門〜深聴向け)

BWV 985は単独で録音されることもありますが、多くはBWV 972–987をまとめたアルバムや、バッハの鍵盤協奏曲全集の一部として収録されています。録音を聴く際のポイントは以下の通りです。

  • チェンバロ録音:歴史的奏法によるテクスチャの明快さ、対位法の線の独立性、装飾の自然さを比較する。
  • ピアノ録音:音色・ダイナミクスを利用した表現の違い、レガート感とクレッシェンドの使い方に注目する。
  • テンポ設定とアーティキュレーションが作曲時の実際の合奏感にどの程度近づいているかを考える。

具体的な推薦盤は時代や好みによりますが、歴史的楽器による全集録音や著名チェンバリスト(例:マレンツィ、ランパルや現代復元派の演奏)と、ピアノでの解釈を示すリリースの双方を比較することを勧めます。

学術的観点からの意義

BWV 985のような鍵盤編曲は、バッハが他者の素材を取り込みつつ自己のスタイルを形成していった過程を示す重要な証拠です。編曲の手法を詳細に分析することで、バッハの声部処理、和声的好み、そして鍵盤奏法の発展に関する洞察が深まります。また、原曲不明の作品を研究することは、当時の音楽流通や譜面の複写習慣、レパートリーの伝播に関する史料学的研究と結びつきます。

演奏家への実践アドバイス

学習・演奏にあたっての具体的な練習ポイント:

  • 声部を分離して練習する:右手主旋律、左手ベース、内声という3層に分け、各々が独立して歌えるようにする。
  • 対位法の明瞭化:短いフレーズでも内声の動きを明示することで、編曲由来の「合奏感」を再現できる。
  • 装飾の選択と均衡:楽章ごとに装飾の濃淡を決め、中間楽章では簡潔かつ効果的に使う。
  • 曲全体の弧(アーチ)を意識する:各楽章のクライマックスと緩和を設計し、聴き手に自然な流れを与える。

まとめ

BWV 985は、バッハの鍵盤編曲という文脈において興味深い位置を占める作品です。原曲が不明であるという問題はあるものの、鍵盤上での対位法的処理、和声の深さ、ト短調がもたらす陰影といった音楽の核心は、現在伝わる版で十分に味わえます。演奏・解釈の幅も広く、チェンバロとピアノでまったく異なる魅力を提示できる点もこの曲の魅力の一つです。

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参考文献