UNIVAC Iの全貌:初期商用コンピュータの歴史と技術革新
はじめに — UNIVACとは何か
UNIVAC(Universal Automatic Computer)は、1940年代後半から1950年代にかけて登場した商用大型電子計算機の代表的存在です。J. Presper Eckert(イークァート)とJohn Mauchly(モークリー)によって設計され、Eckert-Mauchly Computer Corporation(EMCC)を通じて開発されました。その後、同社はRemington Randに買収され、UNIVACは米国の官庁や企業に導入されて「初期の商用コンピュータ」として広く知られるようになりました。
開発の背景と経緯
第二次世界大戦中と戦後にかけて、電子計算機の研究は急速に進みました。EckertとMauchlyはペンシルベニア大学のムーア校(Moore School)でENIACの開発に携わった後、1946年にEMCCを設立して商用コンピュータの事業化を目指しました。ENIACの技術的蓄積を元に、より実用的で商用利用に耐えるシステムを目標に設計されたのがUNIVACです。
資金や生産体制の問題からEMCCは1950年にRemington Randに買収され、同社によってUNIVAC I(通称:UNIVAC I、最初期モデル)の量産と販売が進められました。UNIVAC Iの最初の納入は1951年に行われ、アメリカ合衆国国勢調査局(U.S. Census Bureau)などに設置されました。
技術的特徴とイノベーション
真空管と回路構成:UNIVACは当時主流であった真空管技術を用いた完全電子式計算機です。真空管やリレーを用いる前世代機に比べ、高速処理が可能でした。
主記憶装置:UNIVAC Iは水銀遅延線(mercury delay-line)を用いた主記憶を採用しており、1000語程度のワード長を備えていました。各ワードは複数の文字(英数字)を格納できる構造で、当時としては実用的な容量を持っていました。
外部記憶とI/O:UNISERVOテープドライブ
UNIVACで特に画期的だったのは、UNISERVOと呼ばれる磁気テープドライブの商用導入です。幅1インチの金属テープを用いる高速シリアル記憶装置で、パンチカードに比べて大容量かつ連続処理に適していました。これが事実上、後の磁気テープ方式I/Oの標準化につながりました。文字・数値表現:UNIVACは当時の用途に合わせた英数字処理能力を重視しており、レコード処理や統計処理を行いやすい設計でした。浮動小数点演算や高度な数値処理は後続機や専用装置で補われることが多かった点に注意が必要です。
代表的な導入例と社会的インパクト
UNIVAC Iは政府機関や大手企業に導入され、商用コンピュータの実用性を市場に示しました。特に有名なのが1952年の米大統領選挙での出来事です。CBSが選挙報道でUNIVACを用いて初期開票データを分析したところ、UNIVACはアイゼンハワーの圧勝を予測しました。番組司会者らはその予測を当初信用せず、機械の「誤り」を疑いましたが、最終的にUNIVACの予測は概ね的中しました。このエピソードはコンピュータが統計解析や予測に有用であることを一般に認知させる転機となりました。
また、国勢調査のような大量データ処理分野においてUNIVACはパンチカード時代に比べて処理速度や手間の面で優位性を示し、官庁や商業会計、保険、電力会社など幅広い分野でのコンピュータ利用の促進に寄与しました。
生産・普及とその限界
UNIVAC Iは1951年以降、数十台(一般に45台前後、資料によっては46台と記載されることが多い)生産され、当時としては比較的多くの商用導入を達成しました。ただし、機器は大型で消費電力も大きく、運用や保守にも高度な専門知識が必要でした。加えて、コストが非常に高額であったため導入は大企業や政府機関に限られがちでした。
企業史と特許紛争
EMCCがRemington Randに買収された後、Remington Randはさらに1955年にSperry Corporationと合併してSperry Randとなり、その後の歴史の中でBurroughsとの合併を経てUnisysが誕生します。UNIVACシリーズのブランドはこうした企業再編を通じて存続しました。
また、初期の電子計算機に関する特許をめぐる争いも長く続きました。ENIACや関連技術の特許の有効性が業界に影響を及ぼし、1970年代には裁判で特許の有効性が争われることになります。代表的には1973年の裁判(Honeywell v. Sperry Rand)でENIAC特許が無効とされた判決があり、コンピュータ技術の自由な発展に影響を与えました。
UNIVACの系譜とその後の影響
UNIVAC Iの成功は、商用コンピュータ市場の成立を後押ししました。UNIVACの後継機(UNIVAC II、UNIVAC IIIなど)は性能改善や信頼性向上を図り、より多くの用途に対応しました。UNISERVOの普及は磁気テープによる大容量外部記憶というアーキテクチャを確立し、後の大型コンピュータやメインフレームのI/O方式に大きな影響を与えました。
また、人々のコンピュータ観にも影響を与え、単なる計算機から「データ処理装置」「情報処理のためのプラットフォーム」へと認識が変わっていったことも重要です。UNIVACは科学技術だけでなく、社会やビジネスの運用そのものを変えた初期の実例といえます。
まとめ — 歴史的な評価
UNIVACは「初期の商用コンピュータ」を代表する存在であり、技術的・商業的に多くの“初めて”をもたらしました。水銀遅延線を用いた主記憶、UNISERVO磁気テープ、真空管式の高速演算といった要素は、1950年代の情報処理基盤を形作りました。加えて、国勢調査や選挙予測といった実社会での応用事例は、コンピュータの有用性を広く示し、その後のコンピュータ産業と情報社会の発展につながりました。
参考文献
- Computer History Museum — UNIVAC I and the Commercial Computer
- Encyclopaedia Britannica — UNIVAC
- Smithsonian National Museum of American History — UNIVAC-related artifacts
- IEEE Spectrum / 技術記事(UNIVACに関する回顧・解説記事)
- Unisys — Company history (UNIVACの系譜)
- Wikipedia — UNIVAC(補助的な参照)


