タブラ完全ガイド:北インド音楽の起源・構造・奏法・ターラ・流派・代表奏者まで
タブラとは — 起源と概要
タブラ(タブラー、Tabla)は、北インド音楽(ヒンドゥスターニー音楽)で最も広く使われる打楽器の一つで、左右一対の小型太鼓から成ります。高音側の小さい太鼓を「ダヤン(dayan)」、低音側の大きい太鼓を「バヤン(bayan)」と呼びます。タブラは伴奏楽器としての役割に加え、ソロ楽器としても発達し、繊細な指の技術と複雑なリズム構造(ターラ、taal)を駆使する演奏法で知られます。
歴史と名称の由来
タブラの正確な起源には諸説がありますが、一般的には18世紀以降に北インドで成立したとされます。名前はペルシア語・アラビア語の「tabl(太鼓)」に由来すると言われ、イスラム文化圏の影響を受けて発展した可能性が指摘されています。また、古いインドの太鼓パカワージ(pakhawaj)から二分化・短型化して現在の形になったという説もありますが、学術的には複数の文化的要素が融合して生まれたと考えるのが妥当です。
構造と材質
ダヤン(Dayan):小さい側の太鼓。一般にシーシャム(shisham/北インド産ローズウッド、Dalbergia sissoo)や他の硬木で作られ、円筒形またはやや細い胴を持ちます。表皮は山羊皮(goatskin)が用いられます。
バヤン(Bayan):大きい側の太鼓。金属製(銅、真鍮、青銅など)や陶器、時には木製のものがあります。金属製が一般的で、低域の共鳴音を得るために胴は丸く膨らんだ形状をしています。
打面(Pudi)と中心の黒い斑(Syahi):両方の鼓面は複数層の動物皮で構成され、中央に「シヤヒ(syahi)」と呼ばれる黒い円形のパッチが貼られています。シヤヒは鉄粉やでんぷん質、接着剤などを混ぜた混合物を層状に塗り重ねて作られ、特有の倍音構造と明瞭な音高(特にダヤン)を生み出します。
テンションシステム:鼓皮は革紐(straps)で胴に取り付けられ、木製の楔(gatta/チューニング・ブロック)を用いて張力を微調整します。現代ではチューニングハンマーで金属製の打ち込みやリングを調整するタイプもあります。
音響的特徴とシヤヒの役割
シヤヒによって鼓面の質量分布が変わり、倍音構造が整えられるため、ダヤンは明確なピッチ(音高)を持つ「メロディック」な音が出ます。一方バヤンは手の位置や力、角度によって音色が大きく変わり、滑らかなベース的な低音や「グレイズ(音の伸び)」が得られます。これによりタブラはリズムだけでなく、旋律的・表現的な役割も担います。
奏法の基礎 — ボール(Bols)と基本打音
タブラ奏法は主に指や掌の特定部分を使い分けることで成り立ち、各打ち方には口唱(mnemonic syllable)としての「ボール(bol)」が対応します。代表的なボールには以下があります。
- Dha / Dhin:ダヤンとバヤンを同時に打つ複合音。
- Na / Ta / Tin:ダヤンの様々な位置を叩く音で、高く明瞭。
- Ge / Ga / Ke / Ka:バヤンで低音域を出す打ち方。掌の位置や力で音色を変化させる。
- Te / Tun / Re:ダヤンの縁や中心付近を用いる速い連打に適した音。
これらのボールを組み合わせてリズム・フレーズ(例:kaida、rela、tukda、peshkar、gat など)を構築します。
リズム体系 — ターラ(Taal)とティカ(Theka)
ヒンドゥスターニー音楽では拍子循環(ターラ)が基本で、タブラ奏者は曲に応じたターラの基礎パターン(テカ、theka)を演奏してリズムを提示します。代表的なターラには次のものがあります。
- ティーンタール(Teentaal):16拍。もっとも一般的なターラの一つ。
- ジャプタール(Jhaptaal):10拍。
- ルパク(Rupak):7拍。
- ダドラ(Dadra):6拍、軽音楽や歌謡で多用。
- ケフルワ(Keherwa/Kehrwa):8拍、民謡や映画音楽で頻繁に使われる。
形式とレパートリー — ソロと伴奏
タブラの演奏形態は主に伴奏とソロに分かれます。伴奏では歌手や器楽ソロイスト(シタール、サロードなど)をサポートするため、楽曲のターラを堅実に示しつつ、適度な装飾(róla)や応答を行います。ソロ演奏では次のような形式が一般的です。
- パシュカル(Peshkar):ソロの導入部で、自由なフレージングからテーマへ入る。
- カイダ(Kaida):規則性のある主題を変奏していく練習的・表現的な形式。
- レラ(Rela):速い連打で技巧を見せる部分。
- トゥクラ(Tukda/Tukra):決まり文句の短い終結型フレーズ。
- パラン(Paran):パカワージ由来の力強い句で、打楽器的な節。
ガラーナ(流派)と技術の系譜
タブラにはいくつかの主要なガラーナ(流派)があり、それぞれに特徴的な奏法、音色、レパートリーがあります。代表的な流派は次の通りです。
- デリー(Delhi)ガラーナ:古典的で堅実な基礎を重視。
- アジュラ(Ajrara)ガラーナ:繊細なフィンガリングとインターレイヴされたフィギュアが特徴。
- ファルクハーバード(Farrukhabad)ガラーナ:技巧的なカイダや独自のフレーズを持つ。
- ベナレス(Banaras/Benares)ガラーナ:力強い表現とパーカッシブな音色を重視。
- パンジャーブ(Punjab)ガラーナ:リズミカルでタフなスタイルが特徴。
奏者は師匠(グル)から弟子(シシャ)へ口伝と実演で技術を受け継ぎます(グル・シシャ制度)。
代表的な奏者
20世紀以降、タブラは国際的にも注目され、多くの名手が登場しました。代表的な奏者を挙げると:
- アラ・ラファ(Ustad Alla Rakha, 1919–2000):シタール奏者ラヴィ・シャンカールとの共演で西洋にタブラを広めた。
- ザキール・フセイン(Zakir Hussain, b.1951):アラ・ラファの息子で、ソロやクロスオーバー作品で世界的に有名。
- キシャン・マハラージ(Pandit Kishan Maharaj, 1923–2008):ベナレス流派の大成者。
- アニンド・チャタジー(Anindo Chatterjee)やスワパン・チャウドゥリー(Swapan Chaudhuri):現代の技巧派代表。
教育・練習法
タブラ学習は基礎の反復(ボールの確実な発音)とメトロノーム代わりの「タンプー(tanpura)」やメトロノームを用いた練習、ターラに合わせた長時間の練習が重要です。弟子はカイダやレラを継続的に練習し、即興力や応答力を養います。
調律・保守管理
タブラは気候(湿度や温度)に敏感で、鼓皮の張力が変化しやすく、頻繁にチューニングが必要です。一般的な調律方法は木製のブロック(gatta)を回転・移動させるか、チューニングハンマーでリム近辺を叩いて張りを調整します。保管時は湿気を避け、直射日光や極端な乾燥も避けることが推奨されます。シヤヒ部は水分に弱いため、雨や汗がかかる場面では注意が必要です。
現代の展開と融合
近年タブラはインド古典音楽の枠を越え、ジャズ、ワールドミュージック、ロック、エレクトロニカなど多様なジャンルと融合しています。エレクトリックな加工を施したタブラや、合成皮を用いた耐候性の高いモデル、さらには電子的にサンプリングした「電子タブラ」も登場しています。これにより、従来の技法を維持しつつ新しい表現領域が拡がっています。
まとめ — 文化的意義と未来
タブラは単なる伴奏楽器を超えて、北インドのリズム理論と美学を体現する重要な存在です。伝統的な師弟関係による継承と同時に、グローバル化や技術革新によって多様化が進み、ますます幅広い音楽的文脈でその可能性が探求されています。正しい製作・保守と基礎訓練を通じて、タブラはこれからも世界の音楽文化において重要な役割を果たし続けるでしょう。
参考文献
- Encyclopaedia Britannica — Tabla
- Wikipedia — Tabla(英語)
- ITC Sangeet Research Academy(インド音楽研究機関)
- Sangeet Natak Akademi(インド国立音楽舞踊演劇アカデミー)
- Zakir Hussain Official Site(代表的奏者の情報)
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