モーツァルト:交響曲第36番 ニ長調 K.425『リンツ』を深掘りする — 作曲背景・楽曲分析・演奏の聴きどころ
はじめに
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲第36番ハ長調 K.425、通称『リンツ』は、1783年に作曲され、短期間で仕上げられたことでも知られる傑作です。本稿では作曲の歴史的背景、編成と形式、各楽章の音楽的特徴、演奏史や受容、さらに現代の聴きどころまでを詳しく掘り下げます。楽曲の細部に触れながら、初めて聴く人から研究者・演奏家まで役立つ情報を提供します。
作曲の背景と成立事情
交響曲第36番は1783年11月のリンツ滞在中に作曲されたと伝えられます。モーツァルト夫妻はウィーンへ向かう途上でリンツに立ち寄り、当地のために新作を用意する必要に迫られました。伝承によれば、彼は非常に短い期間(およそ4日間ほど)で全曲を書き上げ、1783年11月4日頃のリンツでの演奏会で初演されたとされています。あらかじめ用意した素材や彼の卓越した即興的作曲力が合わさって、短期間で完成できたと考えられています。
『リンツ』の呼称はモーツァルト自身が付けたものではなく、後世の便宜上の通称です。作曲当時の事情――急遽必要とされた新作、地方都市の音楽環境、演奏目的(市民向けの祝祭的演奏会)――が作品の明快さと即時性に影響を与えています。
編成と楽器法の特色
標準的な版における編成は、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部(第一・第二ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス)となります。フルートは通常含まれておらず、祝祭的なC長調という調性に合わせてトランペットとティンパニが効果的に用いられている点が特徴です。
モーツァルトはこの曲で、華やかな管楽器群と柔らかな弦楽器の対比を巧みに操ります。特に第1楽章の冒頭のアダージョ導入部では管楽器と弦の色彩的な組み合わせが光り、その後のアレグロでは弦主体の精緻な動機展開が展開されます。トランペットとティンパニは祝祭感を強調する一方で、必ずしも常に鳴り続けるわけではなく、場面ごとに効果的に登場します。
楽章ごとの分析
第1楽章:Adagio — Allegro spiritoso
この交響曲はゆったりしたアダージョの導入から始まります。導入部は様式的にはコラール的で、曲全体に落ち着きと格調を与えます。続くアレグロはソナタ形式で、主題はリズミックかつ活力に満ち、対比豊かな副主題が続きます。モーツァルト特有の簡潔な動機処理と、展開部での効果的な転調・シーケンスが聴きどころです。再現部は調的安定を回復し、終結に向けた勢いを持って進みます。
第2楽章:Andante(ヘ長調)
第2楽章はヘ長調で、温かみのある歌に満ちた緩徐楽章です。木管の扱いが繊細で、弦の伴奏との対話が魅力的です。しばしば歌謡的な主題が提示され、短いエピソードや装飾が挿入されることで変化が与えられています。モーツァルトの室内楽的な感覚が表れる楽章で、演奏ではテンポ感と呼吸の取り方が重要です。
第3楽章:Menuetto — Trio
メヌエットは堂々としてやや田園風の骨格をもつ伝統的な舞曲で、トリオは軽やかな木管の響きが特色です。ここでも対比が効果的に用いられ、メヌエット部の充実した和声進行と、トリオの明るい音色の差が聴きどころとなります。舞曲のリズム感を保ちつつも、モーツァルトは細部で装飾や弱起を巧みに使って変化をつけます。
第4楽章:Finale — Presto
終楽章は速いテンポで始まり、華やかに曲を締めくくります。形式的にはソナタ形式やロンド的要素を併せ持ち、短い動機の連鎖と対位法的な処理が目立ちます。技巧的でありながら常に明快さが保たれ、聴衆に爽快な余韻を残して終わります。全体を通じて、短期間で書かれたとは思えない完成度を示しています。
作曲手法と音楽的特徴
『リンツ』の魅力は、簡潔さと精緻さの同居にあります。モーツァルトは明快な主題提示と無駄のない展開で、即座に聴衆の注意を引きつける一方、細部の和声処理や対位法的展開で音楽的深まりをつくります。特に以下の点に注目してください。
- 導入部と主要部の対比:第1楽章のアダージョ導入が楽曲全体に格調と緊張感を与える。
- 管楽器の色彩的利用:トランペットとティンパニは祝祭的効果を与えるが、曲の流れを阻害しないよう節度を保って用いられる。
- 歌とリズムのバランス:緩徐楽章の歌謡性と舞曲・終楽章のリズミックな推進力が巧みに配分される。
演奏史と受容
初演直後から『リンツ』は高く評価され、地方都市の祝祭的プログラムにふさわしい曲として定着しました。モーツァルトの他の交響曲(例えば『ハフナー』K.385や後のプラハ交響曲K.504)と並び、古典派交響曲の中でも演奏頻度が高い作品の一つです。20世紀以降はモダンオーケストラによる録音のみならず、古楽系の演奏でも取り上げられ、解釈の幅が広がっています。
演奏上の注意点と現代的解釈のヒント
演奏する際には、いくつかのポイントに注意することでより本質に近づけます。
- テンポ設定:各楽章の対比を明確にし、特に第1楽章の導入とアレグロのテンポ差を丁寧に作る。
- アーティキュレーション:古典派の明晰さを保ちつつ、歌わせる箇所ではレガートを十分に取る。
- ダイナミクスの扱い:トランペットやティンパニの使用は効果的だが、常に音量を求めるのではなく、色彩的に用いる。
- ピリオド・アプローチ:原典に基づくピッチや弦の構成を採用すると、より当時の響きに近づくが、モダン楽器による豊かな音色も一長一短がある。
聴きどころガイド
初めて聴く人には以下の点に注目して聴くことを勧めます。
- 第1楽章のアダージョ導入が示す主題素材が、アレグロでどう変容するか。
- 第2楽章の木管と弦の対話。歌心と伴奏の呼吸感。
- メヌエットとトリオの対比的色彩。
- 終楽章の推進力と短い動機が連鎖していく構成美。
影響と位置づけ
『リンツ』はモーツァルトの交響曲群の中で、実用的かつ洗練された典型的な例と見なされます。短期間での作曲という特異な成立事情にもかかわらず、構成の堅牢さと音楽的な魅力は高く評価されており、古典派交響曲の模範とも言える作品です。また、この曲を通してモーツァルトの即興的創造力や市民的音楽文化への対応力がうかがえます。
結び:現代における『リンツ』の楽しみ方
現代の聴衆には、歴史的背景を踏まえつつ音楽そのものの明快さと細部の巧みさを味わってほしいと思います。原典に忠実な版とモダンな解釈を聴き比べることで、編成やテンポ、響きの違いが曲の表情にどのように影響するかが理解できます。短時間で書かれたという逸話的側面に惑わされず、楽曲が持つ構造と音楽的対話を丁寧に追うと、新たな発見が得られるでしょう。
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参考文献
- Britannica: Symphony No. 36 in C major (Linz), K. 425
- IMSLP: Symphony No.36 in C major, K.425 (autograph/スコア)
- AllMusic: Symphony No. 36 in C, K.425 "Linz" (概要・録音案内)


