モーツァルトと「死の行為」K. deest――散逸作品の真相と研究の現在

はじめに:『死の行為』という表記について

インターネットや一部の二次資料で「モーツァルト:『死の行為』K. deest(散逸)」といった表記を見かけることがあります。しかし重要な前提として、現行のモーツァルト作品目録や主たる学術資料(新モーツァルト全集=Neue Mozart-Ausgabe、各種ケッヘル目録の改訂版、モーツァイム文書館の所蔵目録など)において、標題として確立した「死の行為(あるいは英語・ドイツ語に相当する定まった原題)」という作品は確認されていません。

ここで「K. deest(ケッヘル番号・デエスト)」は、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが作成したモーツァルト作品目録(Köchel-Verzeichnis)に番号が付されていない、つまり伝統的なケッヘル番号が与えられていない作品を指す表記で、散逸(現存しない)、真筆不明、あるいは確証が得られていない作品群に用いられます。したがって「K. deest」と付された表記は『モーツァルトが関与した可能性があるが、現状で確証がない/資料が散逸している』という意味合いを含んでいます。

「散逸(deest)」作品とは何か — カテゴリと事例

モーツァルトの作品群には、以下のような事情で原曲や楽譜が現存しない/断片しか残っていないものが存在します。

  • 作曲は行われ記録に残るが自筆譜が現存しない(伝承のコピーや公演記録のみが残る)
  • 断片的にしか残らず未完成のまま(例:未完成オペラや挿入曲)
  • 伝聞や当時のプログラム等にタイトルだけ残るが楽譜が消失した
  • 当初モーツァルト作とされたが後に異作者と判明したり、真贋が不明瞭なもの

代表的なケースとしては、未完のオペラや断片(『ザイーデ』『ロ・スポーゾ・デルーゾ』など未完・断片的な作品群)、未完のレクイエム(K.626:これは散逸とは異なり自筆断簡が残り補筆が行われた)など、さまざまな形態があります。これらは新モーツァルト全集(NMA)や各種研究で扱われ、断章や異稿、異伝資料の比較によってその来歴が検証されています。

『死の行為』は本当にモーツァルトの作品か? — 検証の流れ

結論から言うと、現行の学界水準では「モーツァルトが確かに作曲した標題『死の行為』なる単独作品」は確認されていません。では、なぜそのような表記が出現するのか。主な原因として次のような可能性が考えられます。

  • 訳語や書誌の転写ミス:ドイツ語やイタリア語の原題が誤訳・短縮され、「死(Tod)」や「Act(Akt)」に由来する語句が組み合わされてしまった
  • 散逸作品に付された仮題:17〜19世紀の資料では、内容を示すために後世の写譜家や蔵書家が便宜的に題名を付けることがある(例:「Trauermusik(悲嘆の音楽)」等)
  • 異作者作品の誤伝播:他作曲家の作品が伝来過程でモーツァルト作とされることがある(当時は楽譜流通や出版で誤記が生じやすい)

したがって学術的な検証は、一次資料(自筆譜、当時の公演プログラム、出版目録、作曲者の手紙など)を基に行われます。現時点で「死の行為」に相当する一次資料が確実に特定されていないため、慎重に扱う必要があります。

研究手法:どうやって真偽を確かめるか

モーツァルト作品の真偽や来歴を検証するために、音楽学者は次のような手法を用います。

  • 原典学的検討:自筆譜や写譜の筆跡、用紙の透かし(ウォーターマーク)、インク、修正痕などを検査して作成時期や作成者を推定する
  • 史料学的照合:当時の演奏記録、新聞、劇場の台本や注文書、作曲者の手紙などを突き合わせる
  • 様式分析:旋律・和声・編成といった音楽的特徴を、確定したモーツァルト作品と比較して作風的一致性(あるいは不一致)を検討する
  • 出版・写本の系譜追跡:初演あるいは初版の流通経路から写譜の系譜を再構築する

これらの方法を組み合わせて、ある断片や伝承がモーツァルト作である可能性を評価します。完全な確証が得られない場合は「K. deest」や「散逸(lost)」として扱われ、注記付きで紹介されるのが通例です。

散逸作品の魅力と危うさ:演奏・復元の現場から

散逸・断片作品は学術的興味だけでなく、演奏界でも注目されます。失われた場面を補う復元や補筆は聴衆に新鮮な発見を与えますが、一方で以下のような問題もあります。

  • 補筆者の創作が混入しやすく、結果的に「モーツァルト風」の現代創作が出回る危険
  • 原資料が不明確な場合、誤った帰属が広まると史料の解釈を歪める可能性
  • 商業的流通の過程で簡略化・誇張された題名や情報が独り歩きする

したがって、演奏・録音で散逸作品を扱う場合には、版や復元者の説明、出典の明示が不可欠です。信頼できる版は通常、学術的注記が付されており、どの箇所が原典でどの箇所が補筆かが明示されています。

では『死の行為』について何を語れるか

現状で安全に言えることは次の点です。

  • 「モーツァルトの作品カタログに確定した『死の行為』という単独作品は存在しない」
  • 「K. deest」は『ケッヘル番号が付されていないか、目録上未確定の作品』を示す表示であり、散逸資料や疑義のある伝承を含む
  • もし『死の行為』なる記述が見つかる場合は、原典(どの写譜/台本/手紙か)を特定し、上記の原典学的・様式的検証を行う必要がある

従って、ネット上の短い記述だけで即断するのではなく、一次資料(図書館・文書館の所蔵カタログ、NMA、モーツァイム財団文書など)に当たることが求められます。

どう調べればよいか:実務的なガイド

個人で検証を開始する際の現実的なステップを示します。

  • Neue Mozart-Ausgabe(NMA)のオンラインカタログを参照する。NMAは作品目録と批判校訂の主要な拠り所です。
  • International Mozarteum Foundation(モーツァイム財団)の所蔵データベースを確認する。自筆譜や写譜の所在が分かる場合がある。
  • ケッヘル目録の改訂譜注や学術書(Neal Zaslaw『Mozart: The Early Years』等)で該当する記述を探す。
  • IMSLP(国際楽譜ライブラリ・プロジェクト)などのデジタル写本集積サイトで『K. deest』表記を検索し、出典注記を確認する。ただしIMSLPは利用者投稿もあるため出典確認が必須。
  • 学術記事やGrove Music Online等の専門辞典で二次文献を参照し、疑義があれば図書館経由で一次資料を閲覧する。

おわりに:散逸情報と向き合う慎重さ

モーツァルトという巨星に関する断片的な情報や魅力的なタイトルは、ネット上で容易に拡散します。しかし学術的精度と歴史的誠実さを重視するならば、「K. deest」表記や『死の行為』のような曖昧な題名に出会ったときは、一次資料の所在確認と既存の批判校訂を照合することが不可欠です。復元や再演の試みは学術と芸術の双方にとって大きな意義がありますが、その際にも出典の明示と補筆箇所の区別は厳格に行われるべきです。

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参考文献