モーツァルトの偽作カノン「飲んで食って身が保つ」K.234(K6.382e):真偽と史的背景

はじめに — タイトルと問題提起

「飲んで食って身が保つ」という日本語タイトルで知られるカノンが、モーツァルトの作品目録でK.234(K6.382e)と記載され、長年にわたり話題になってきました。本稿では、この作品がなぜ「偽作」とされるのか、どのようにしてモーツァルト作品目録に入り込んだのか、そして音楽史・演奏実践の観点からどのように扱うべきかを、可能な限り一次資料と主要な研究成果を参照して検証します。

モーツァルトとカノン――ユーモアと猥雑さ

モーツァルトは器楽・声楽を問わず多彩な小品を残しており、なかでもカノン(輪唱)は友人同士で楽しむために作った短い作品が多く含まれます。これらのカノンの中には、ユーモラスで時に下品ともいえる歌詞を伴うものがあり、当時の親しい社交場や家庭内での《おふざけ》として歌われていました。こうした性格が、後世における伝承や出版の過程で真偽判定を難しくしています。

作品目録と「偽作」表記の意味

モーツァルト作品の番号付け(Köchel番号)は初版以来改訂が繰り返され、さらに新資料の発見や筆跡・出典の再検討によって、ある作品が真正(authentic)から疑わしい(doubtful)あるいは偽作(spurious)に分類されることがあります。「K.234(K6.382e)」のように複数の番号や付番・補助番号が併記されるのは、こうした分類の変遷や別系統の目録参照を示すものです。

「飲んで食って身が保つ」――出典と伝承の経路

問題のカノンについて、次の点が指摘されています。

  • 原典(自筆譜)が確認されていない、あるいは信頼できる自筆譜が存在しない。
  • 伝承譜や写本が断片的であり、後世の写譜家や出版者が曲の出処を「モーツァルト」として流布した可能性がある。
  • 歌詞や語法が他の確実なモーツァルト作品のスタイルと乖離しているため、作風分析からも疑問が呈される。

これらの要素が重なり、現在では主要な学術的カタログや現代版楽譜(新モーツァルト全集:Neue Mozart-Ausgabe等)で真正性に疑問が付されるケースが増えています。

具体的な検討項目:筆跡・写本・出版史

作品の真偽を検討する際、音楽学者が重視する項目は次の通りです。

  • 自筆譜の有無と筆跡鑑定:モーツァルトの自筆譜が存在すれば最も有力な証拠となる。しかし多くの小品は自筆が残らず、写譜に頼らざるを得ない。
  • 写本の出所と伝来経路:写本が誰によって、いつ作られ、どのように伝わったか。Constanze(コンスタンツェ)や楽友の写しなのか、それとも後代の編集者が付けたものか。
  • 版面や出版目録:初出の楽譜がどの出版社から出たか。18–19世紀の出版事情が誤認を生むことがある。
  • 楽曲の様式分析:旋律進行、対位法の扱い、和声進行、テクスチュアなどがモーツァルトの他作品と整合するか。

「飲んで食って身が保つ」については、自筆譜の欠如、写本の不確定性、歌詞の語彙・語調の差異などから、上記基準の多くが満たされず、偽作の判断になった経緯があります。

なぜこのような《偽作》が生まれるのか――社会史的背景

18世紀末から19世紀にかけてのモーツァルト受容史を考えると、いくつかの要因が偽作や誤伝の発生に寄与しています。

  • モーツァルトの名声:死後に増幅された「天才神話」により、作者不明の優れた小品が「モーツァルト作品」として流通しやすかった。
  • 出版市場の需要:モーツァルトの名を冠することで楽譜が売れやすく、出版社や編者にとっての誘因が存在した。
  • 家庭音楽文化:家庭で楽しむカノン類は口承で広がり、作者の同定が曖昧になりやすい。

こうした背景により、真偽不明の作品が長期間「モーツァルト作品」として扱われることになりました。

音楽的特徴と演奏上の扱い

カノンという形式は単純であるため、作風分析だけで決定的に作者を断定するのは難しい面があります。それでも、和声処理や対位法の精緻さ、声部の仕掛け方などから作曲家固有の指紋が現れることがあります。

実務上、多くの現代の演奏家や録音では、スコアに「偽作」または「疑作」と注記して演奏するか、その経緯を解説に付記してリスナーに注意を促します。史料が新たに発見されれば評価は変わり得るため、楽曲の扱いには柔軟性が求められます。

学術的評価とカタログ表記

現在の学術的な流れでは、確固たる自筆証拠や確実な伝来経路が欠ける作品は「疑作/偽作」として付記されることが多いです。Köchel目録やNeue Mozart-Ausgabe(NMA)では、付録や別項で疑わしい作品群をまとめて示しています。K.234(K6.382e)という表記も、こうした目録改訂の過程で付けられたものと理解できます。

現代のリスナーと演奏者への示唆

偽作であることが判明したからといって、その芸術的価値が即座に失われるわけではありません。むしろ「モーツァルト風の匿名作品」として、18世紀の社交文化やユーモアの一端を今に伝える資料として興味深いものです。演奏・録音にあたっては出典と真偽について注記することが、歴史的誠実さの観点から重要です。

まとめ:真偽の問題は「歴史的対話」のきっかけ

「飲んで食って身が保つ」K.234(K6.382e)をめぐる議論は、単に誰が作曲したかという問いを超え、音楽史研究の方法論、作品目録の役割、そしてモーツァルト受容史のあり方を照らし出します。真偽の判定は重要ですが、それ以上に重要なのは出典を正確に提示し、作品を史的コンテクストに位置づけて理解することです。

研究のための実用的ガイド

この作品や類似の疑作を調べる際の実務的ステップを挙げます。

  • まずデジタルモーツァルト資料(Neue Mozart-Ausgabe/Digital Mozart Edition)で該当作品の扱いを確認する。
  • IMSLPや主要図書館の写本カタログで写本の存在・写本番号を確認する。
  • 主要な一次文献(当時の出版目録、演奏記録、手紙類)をあたる。コンスタンツェやフレンドリーな音楽家の本文献がヒントになることがある。
  • スタイル分析を行い、旋律・和声・対位法の特徴を既知のモーツァルト作品と比較する。
  • 最新の二次文献(新稿、音楽学論文、学術全集の注解)を参照し、現在の学術的合意を確認する。

おわりに

モーツァルトに関わる「偽作」は数多く、それらは時に学術的な議論を喚起し、時に聴取者に新たな視点を与えます。「飲んで食って身が保つ」K.234(K6.382e)は、作者特定の困難さと受容史の興味深さを示す一例です。本稿が、作品の出所をめぐる検討の出発点となり、さらに深い史料調査や演奏解釈へとつながることを願います。

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参考文献