エル・バロン・デル・タンゴ:フリオ・ソーサの名演5選
フリオ・ソーサは1926年2月2日、ウルグアイのラスピエドラスに生まれ、1949年にタンゴの本場アルゼンチンへ渡りました。現地ではフランシーニ=ポンティエル楽団やアマンディ・ポンティエル楽団と共演し、その豊かなバリトン唱法と力強い表現で“エル・バロン・デル・タンゴ”の異名を獲得しました。短い生涯の中で数多くの録音を残し、今なお世界中のタンゴ愛好家から愛されています。
フリオ・ソーサの歩み
ジュリオ・マリア・ソーサ・ベントゥリーニとして生まれたソーサは、幼い頃から音楽に親しみ、1949年にティーンエイジャーとしてアルゼンチンへ移住しました。ブエノスアイレスを拠点に活動を開始し、1950年代後半から1960年代初頭にかけてレオポルド・フェデリコ楽団やフランシーニ=ポンティエル楽団との録音を精力的に行いました。特に1955年から1960年にかけては33枚のシングルを発表し、その卓越した歌唱力でタンゴ界に不朽の名唱を刻みました。1960年には詩集『Dos horas antes del alba』を自ら出版するなど、音楽以外の表現活動にも意欲を示しました。晩年はスポーツカーを愛しながらも、1964年11月26日に不慮の自動車事故で38歳の若さで亡くなりました。
代表曲徹底解説
1. カンバラチェ(Cambalache)
1934年にエンリケ・サントス・ディスセポロが作詞・作曲した社会風刺的タンゴです。ソーサは1955年にフランシーニ=ポンティエル楽団と共に録音し、原曲のメッセージ性を活かしつつ、歌詞の一部を現代風にアレンジしました。冒頭の「Que el mundo fue y será una porquería…」という力強いフレーズを圧倒的なバリトンで歌い上げ、当時の聴衆に衝撃を与えました。
2. ウノ(Uno)
エンリケ・サントス・ディスセポロの詞とマリアーノ・モレスの曲による1943年の名作タンゴです。ソーサは1965年にアルバム『El Varón del Tango Vol.3』でこの曲を録音し、深い哀愁と情感を帯びた歌唱でリスナーの心をつかみました。冒頭の「Uno busca lleno de esperanzas el camino…」は、多くのタンゴ歌手がカバーするほど普遍的な魅力を放っています。
3. ラ・クンパルシータ(Porque canto así)
1916年に発表された世界的名曲です。ソーサは1961年と1964年の2度、レオポルド・フェデリコ楽団と共に、詩人セレドニオ・フローレスの詩朗読(レチタート)を取り入れた革新的なバージョンを録音しました。特に1964年版では朗読とオーケストラ演奏の融合が高く評価され、従来のタンゴに俳優的な要素を加えた先駆的な試みとされています。
4. エル・フィルレテ(El Firulete)
1953年にマリアーノ・モレス作曲、ロドルフォ・タボアダ作詞のミロンガとして誕生し、1964年にソーサがレオポルド・フェデリコ楽団と共演して録音しました。リズミカルで軽快なメロディと、ソーサの伸びやかなバリトンが見事に融合し、アルバム『Yo soy aquel muchacho』収録後は彼の最終期を代表するヒット曲となりました。
5. マノ・ア・マノ(Mano a Mano)
1962年にレオポルド・フェデリコ楽団と共に録音された一曲です。切ないメロディとクレシェンドによる盛り上がりが特徴で、ソーサは“男同士の勝負”を歌い上げるかのような堂々たる歌唱を披露しました。多くのファンから高い評価を受け、彼の情熱的な表現力を象徴する名演として知られています。
終わりに
フリオ・ソーサは多彩なオーケストラとの共演を通じ、タンゴに新たな表現をもたらしました。今回ご紹介した5曲はいずれも彼のキャリアを象徴する録音であり、今日も世界中のタンゴ愛好家を魅了し続けています。まだ聴いたことがない方は、ぜひこれらの名演を通じて“エル・バロン・デル・タンゴ”の真髄をご堪能ください。
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