月光のハーモニー ― マヒナスターズが描く夜の風景

和田弘とマヒナスターズは、リーダー和田弘(1931年2月15日生–2004年1月5日没)が率いたハワイアンとムード歌謡を融合したコーラス・グループです。
1953年にバッキー白片とアロハ・ハワイアンズのメンバーだった和田弘と山口銀次らが独立し、翌1954年に「和田弘とマヒナスターズ」と改名して本格始動しました。1957年のビクターレコードでのデビュー以降、『泣かないで』や『夜霧の空の終着港』などのヒットを連発。1964年発表の『お座敷小唄』は300万枚を超えるセールスを記録し、コーラスグループ史上に金字塔を打ち立てました。1989年には全盛期メンバーが再集結し、第40回NHK紅白歌合戦に10回目の出場を果たすなど、長きにわたり日本のムード歌謡界をリードしました。2004年の和田弘急逝後も松平直樹を中心に活動が継続され、その甘美なコーラスサウンドはいまなお多くのリスナーに愛されています。
結成と背景
和田弘は東京本郷出身。専修大学在学中からリリー・アイランダースを結成し、卒業後はバッキー白片率いるアロハ・ハワイアンズに参加。1953年に山口銀次、鈴木揚介とともに独立し「山口銀次とマヒナスターズ」を結成。1954年に山口の脱退を受け、和田がリーダーとなってグループ名を「和田弘とマヒナスターズ」に改め、ハワイアン・コーラスを主体としたレパートリーで新たなムード歌謡を打ち出しました。
全盛期の躍進
1957年8月、「東京の人/哀愁の町に霧が降る」でビクターデビュー。1958年にはオリジナル曲「泣かないで」を発表して人気を博し、1959年の「夜霧の空の終着港」は当時のビクター歌謡部門年間売上2位を記録。1960年末には松尾和子との共演シングル「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞を受賞し、1964年には「お座敷小唄」が300万枚を超えるミリオンヒットを達成しました。その後も「寒い朝」「島のブルース」「北上夜曲」「愛して愛して愛しちゃったのよ」など、多彩なヒット曲を送り出しました。
メンバーの変遷
結成当初は和田弘(スティールギター)、三島敏夫(ボーカル)、松平直樹(ボーカル)、日高利昭(ギター)の4名。1955年に佐々木敢一(ウクレレ・コーラス)が、1958年に山田競生(ベース)と三原さと志(ボーカル)が加わり6人編成となりました。1967年の東芝レコード移籍以降、1970年と1983年には脱退・復帰を経て、1989年には全盛期メンバー6名が紅白に再集結。2001年末の内紛で旧メンバー4名が離脱し、事実上の解散状態となりましたが、以後も和田側と旧メンバー側でそれぞれ「マヒナスターズ」の名義で活動が続きました。
代表曲と逸話
「お座敷小唄」はもともと広島巡業中にキャバレーのホステスが口ずさんでいた歌を和田が採譜したもので、戦前から歌い継がれてきたメロディをモダンにアレンジして大ヒットに。続編「続お座敷小唄」は松尾和子とのデュエットとしてリリースされ、映画化もされました。また1964年には「ウナ・セラ・ディ東京」の競合作品にも参加するなど、歌謡界全体に大きな影響を与えました。
商標訴訟と再編
2001年に和田弘が「マヒナスターズ」を商標登録出願、2003年に権利者として登録が認められましたが、旧メンバー側の異議申し立てが却下。その後2008年に不使用取消が確定し商標は失効。再編をめぐる訴訟劇は当時の著作権意識の高まりとも相まって音楽界の逸話として語り継がれています。
遺産と影響
2004年1月5日に和田弘が急逝。以降、三原さと志(2006年没)、松平直樹(2022年没)といった主要メンバーが相次いで逝去したものの、甘美なハワイアン・コーラスとムード歌謡を融合させたサウンドは、現在も多くのアーティストやリスナーに愛され、カラオケやレトロ歌謡プレイリストの定番として歌い継がれています。
参考文献URL
エバープレイの中古レコード通販ショップ
エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
和田弘とマヒナスターズのレコードも取り揃えておりますので是非一度ご覧ください。
https://everplay.base.shop/
また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery