タンゴを革新した“ガウチョの鼻”――アスセナ・マイサニの生涯と遺産

アスセナ・マイサニ(1902年11月17日~1970年1月15日)は、ブエノスアイレス出身のアルゼンチンタンゴ歌手、作曲家、女優です。1920年にフランシスコ・カナロに発掘されて以来、1920年代から1930年代にかけてラジオ、劇場、レコードを通じて活躍しました。男性装やガウチョ装束を大胆に取り入れたステージパフォーマンスで“ガウチョの鼻”という愛称を獲得し、生涯で270曲以上を録音。1931年のスペイン・ポルトガルツアーをはじめヨーロッパ各地で喝采を浴び、1966年に脳卒中で半身不随となるまで第一線で活躍しました。1970年1月15日に逝去後も、その革新的なジェンダー表現と豊かな芸術性は後世に語り継がれています。

生い立ちと背景

パレルモ地区に生まれたマイサニは、幼少期に家計の事情と健康上の問題からマルティン・ガルシア島で初等教育を受け、17歳でブエノスアイレスへ戻ると縫製工として働きながら歌の才能を磨きました。1922年にはセサール&ペペ・ラッティ劇団のコーラスガールとして舞台デビューし、翌1923年7月27日にテアトロ・ナシオナルでソロ歌手として正式にデビューを果たしました。

ステージスタイルとアイデンティティ

当時の保守的な舞台にあって、マイサニは男性用スーツや伝統的なガウチョ装束で歌い上げる斬新なパフォーマンスを展開。リベルタッド・ラマルケから“La Ñata Gaucha(ガウチョの鼻)”の愛称を贈られ、女性でありながら男性の役割を演じるそのスタイルは、後のドラッグキング文化にも影響を及ぼしました。

音楽活動と主要作品

初期キャリア

コーラスガールとして注目を浴びた後、フランシスコ・カナロ楽団との共演でレコード録音を開始。ラジオ出演とレコーディングを並行し、瞬く間に人気歌手となりました。

作曲と録音

1924年に自身初のタンゴ「Volvé Negro」を発表し、1928年には「Pero yo sé」が大ヒット。オレステ・クファロやマヌエル・ロメロとの共作による「La canción de Buenos Aires」はカルロス・ガルデルにも取り上げられ、1933年の映画『¡Tango!』でも歌声を響かせました。ホメロ・マンシ作詞の「Malena」や「Ninguna」をも自ら初録音するなど、多彩な創作活動を展開しました。

ディスコグラフィー

  • 『Azucena Maizani 1924–1939』(Disco Latina)
  • スペイン盤『La ñata gaucha』(El bandoneón)
  • 英国制作盤『Se Va la Vida 1923–1945』(Harlequin)
  • その他、数多くのコンピレーションLP・CDが世界各地でリリース

海外公演と映画出演

1931年には「アルゼンチン小芸術団」を率いてスペイン・ポルトガルツアーを敢行。1937年にはメキシコやニューヨークでも公演およびラジオ出演を行い、1947年の映画『Buenos Aires Sings』にも出演しました。

私生活と晩年

1928年に結婚するも長男の死を機に離婚。その後ロベルト・セリッロとのパートナーシップを築きましたが、1936年のパートナー自殺騒動で一時活動を休止。1966年に脳卒中で半身不随となり、1970年1月15日に永眠しました。

遺産と評価

女性タンゴ歌手のパイオニアとして、歌唱はもちろんジェンダー・パフォーマンスの面でも後進に大きな影響を与えました。現在もSpotifyやYouTube、Naxos Music Libraryで音源が聴取可能で、リマスター盤やトリビュート公演を通じてその功績は色あせることなく語り継がれています。


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