ポストモダン・ポップの旗手 ― ピチカート・ファイヴ徹底解説

ピチカート・ファイヴは1984年に東京で小西康陽と高浪敬太郎(当時はKeitarō Takanami)により結成され、以後17年間にわたりほぼ毎年スタジオ・アルバムを発表する高い創作ペースを誇ったバンドです。その多彩なサウンドは1960年代のポップやジャズ、シンセポップをポストモダンに再構築し、1990年代の渋谷系ムーブメントを代表する存在となりました。1990年に野宮真貴が加入して以降は小西康陽と野宮真貴のデュオ体制となり、国内外でのライブ・ツアーや数々のメディア展開を通じて熱狂的な支持を集めました。スタジオ・アルバムは全13作(うち1作は日本未発売のコンピレーションを含む)を数え、そのほとんどが毎年リリースされるという旺盛な活動ぶりを示しました。解散後もその革新的なサンプリング手法やアートワークは国内外アーティストに影響を与え続けています。

バンドの歩み

結成と初期(1984–1990)

  • 結成(1984年)
    Yasuharu KonishiとKeitarō Takanamiが東京の音楽サークルで出会い、Ryō Kamomiya、Mamiko Sasaki、Shigeo Miyataを加えた5人編成「Pizzicato V」としてスタートしました。
  • 初期シングルとCBS/ソニー契約
    1985年には細野晴臣プロデュースの12インチ・シングル「The Audrey Hepburn Complex」をNon‑Standard(Teichiku)から発表し、1986年にはCBS/ソニー(現Sony Music)と契約を結びました。
  • 最初のアルバム群
    1987年のデビュー・アルバム『Couples』、1988年の『Bellissima!』、1989年の『On Her Majesty’s Request』、1990年の『Soft Landing on the Moon』はいずれも実験的なポップでありながら商業的には苦戦しました。

野宮真貴加入後の飛躍(1991–1993)

  • 野宮真貴の加入(1990年)
    2代目ボーカルTakao Tajima脱退後の1990年、ソロ経験のあった野宮真貴が加入し、以降のバンドの顔となりました。
  • 『This Year’s Girl』と渋谷系の始動(1991年)
    リリースされた『This Year’s Girl』は、ヒップホップ的なサンプリング手法を大胆に導入し、渋谷系ムーブメントの火付け役となりました。代表曲「Twiggy Twiggy」「Baby Love Child」が誕生しています。
  • クラブ志向とメディア露出(1992–1993)
    1992年リリースの『Sweet Pizzicato Five』でクラブサウンド志向を強め、1993年のシングル「Sweet Soul Revue」が花王のCMソングに起用されるなど、メディア露出が一気に増加しました。

国際展開と晩年(1994–2001)

  • アメリカ進出(1994年)
    Matador RecordsからEP『Five by Five』でアメリカ・デビューし、その後のコンピレーション『Made in USA』は世界で20万枚を売り上げました。
  • 主要メンバー脱退とツアー
    1994年のアルバム『Overdose』発表直前にKeitarō Takanamiが脱退。その後はKonishi–Nomiyaデュオ体制で全米欧14都市を巡るツアーを成功させました。
  • 独立レーベル設立と最終作
    1997年に自身のReadymade Recordsを設立し、『Happy End of the World』を国内外同内容でリリース。2001年発表の最終スタジオ・アルバム『Çà et là du Japon』リリースと同時に解散を発表しました。

音楽スタイルと革新

ポストモダンなサンプリング手法

Konishiによる多層的なサンプリングは、ヒップホップやラウンジ・ジャズの引用を大胆に組み合わせる「聴覚的コラージュ」を実践し、90年代ポップに新風を吹き込みました。

多彩なジャンル融合

1960年代ポップ、ブラジリアン・ボサノヴァ、ハウス、ラウンジなど、あらゆるヴィンテージ音源をリフレクションしつつ独自のグルーヴを創出。『Bossa Nova 2001』はOriconチャート初登場7位を記録しています。

主要作品解説

年度タイトル特徴
1987Couplesデビュー作。実験的ポップとアイドル的魅力の両立
1991This Year’s Girlサンプリング手法確立。渋谷系の礎を築く
1993Bossa Nova 200160~70年代風レトロポップ回帰。ブラジリアン・テイスト
1997Happy End of the World国内外同一内容でリリース。最高潮のクリエイティビティ
2001Çà et là du Japon冬の東京をテーマにした最終作。客演多数

レガシーと影響

  • 渋谷系ムーブメントの象徴
    Pizzicato Fiveのサウンド・デザインは、後続の渋谷系アーティストに「消費者視点から音楽を再編集する」手法を提示しました。
  • 国際的再評価
    Matadorからの米国展開を経て、00年代以降の再発ブームで欧米のインディー/DJシーンでも再評価が進んでいます。
  • 映像・ゲームへの展開
    「Baby Love Child」の英語版は海外アニメ『Futurama』でも使用されるなど、ポップカルチャー横断的な影響を残しています。

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