ジャズ・ロックの探求者――稲垣次郎の音楽人生

稲垣次郎(本名:稲垣幸雄、1933年10月3日–2024年1月18日)は東京出身のジャズ・サクソフォン奏者、バンドリーダー、音楽プロデューサーとして幅広く活動しました。高校時代からプロの演奏家としてキャリアを開始し、1950年代からジョージ川口や白木秀雄ら名だたるジャズ・アーティストと共演を重ねました。1962年に「稲垣次郎クインテット」を結成し、1969年にはジャズとロックを融合する先駆的なバンド「稲垣次郎とソウル・メディア」を立ち上げ、新たな音楽ジャンルを切り開きました。セッション・ミュージシャンとしてスティーヴィー・ワンダーやフランク・シナトラの来日公演にも参加し、その多彩な演奏で国際的な舞台でも存在感を示しました。プロデューサーとしては大瀧詠一の「NIAGARA」シリーズや西城秀樹、ピンク・レディーなどのポップス制作に深く関わり、多岐にわたる音楽シーンに影響を与えました。作品はジャズ・ロックからファンク、フュージョンまで多岐にわたり、レア・グルーヴ・シーンでも高い評価を受けています。2024年1月18日に90歳で逝去し、その長いキャリアは日本の音楽史に大きな足跡を残しました。

生い立ちと初期の歩み

幼少期と音楽環境

1933年10月3日、稲垣次郎は東京で生まれました。幼少期から音楽に親しみ、特にジャズの自由な表現に魅せられてサクソフォンを手に取りました。

高校時代からプロデビュー

高校進学後すぐにプロとしての活動を開始し、1954年にはフランキー堺率いる「シティ・スリッカーズ」に参加しました。1955年には「ハナ肇とキューバン・キャッツ」(後の「ハナ肇とクレージーキャッツ」)の結成メンバーとしても活躍し、当時のメンバーの中では最後の存命者でした。

ジャズ・クインテットからソウル・メディアへ

稲垣次郎クインテットの結成

1962年、自身のリーダー作として「稲垣次郎クインテット」を結成。同年、日本コロムビア専属として活動を開始し、白木秀雄クインテットへの参加など精力的に演奏活動を展開しました。

ソウル・メディアでの挑戦

1969年に「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成し、ジャズとロックを大胆に融合。コア・メンバーにはギタリストのリョー・カワサキやピアニストのサトウ・マサヒコらが名を連ね、ライヴではエレクトリックなサウンドと生のグルーヴを追求しました。

セッション・ミュージシャンとしての活躍

稲垣はセッション・プレーヤーとしても引っ張りだこで、スティーヴィー・ワンダー、フランク・シナトラ、テンプテーションズなどの来日公演に参加し、その確かなテクニックとグルーヴ感あふれるプレイは多くの国際的アーティストから高く評価されました。

プロデューサーとしての功績

プロデューサー兼音楽監督として、大瀧詠一の伝説的シリーズ「NIAGARA」や西城秀樹、ピンク・レディーなどのヒット曲制作に携わり、ポップスや演歌の世界にも精通して幅広いジャンルでプロデュース能力を発揮しました。

ディスコグラフィと代表作

稲垣次郎の代表作には以下のアルバムがあります。

  • 『Head Rock』(1970年)
  • 『In The Groove』(1973年)
  • 『Funky Stuff』(1975年)
    これらの作品は再発を重ね、現在でも国内外のジャズ・ロック/レア・グルーヴ愛好家から支持を集めています。

音楽スタイルと影響

ジャズ・ロックを軸に、ファンクやフュージョン、ソウル・ジャズまでを自在に横断する演奏スタイルが特徴で、その自由奔放なサックスワークは後進のミュージシャンに多大な影響を与えました。

遺産と評価

2024年1月18日に90歳で逝去した稲垣次郎は、初期のクレージーキャッツ世代で最後の存命者として惜しまれながら旅立ちました。その長いキャリアは日本のジャズ史に燦然と輝き、リイシューやトリビュート公演は今なお続いています。


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