ヘヴィメタルのプリンスが永遠に:オジー・オズボーンの生涯と遺産
ジョン・マイケル“オジー”・オズボーンは1948年12月3日に英国バーミンガム近郊のマーストン・グリーンで生まれ、1968年にブラック・サバスを結成してヘヴィメタルの礎を築きました。1979年にバンドを脱退後はソロデビュー作『Blizzard of Ozz』をはじめとする13枚のスタジオアルバムを発表し、「Crazy Train」などのヒットで世界的な成功を収めました。1996年に妻シャロンと創設した音楽フェスティバルOzzfestや、2002~2005年に放映されたMTVリアリティ番組『The Osbournes』を通じて音楽シーンと大衆文化の両面に多大な影響を与えました。晩年はパーキンソン病や複数回の脊椎手術に苦しみながらも、2025年7月5日にVilla Park(バーミンガム)で開催された慈善コンサート「Back to the Beginning」で最後のステージを務め、その17日後の7月22日に76歳で永眠されました。
幼少期と音楽的ルーツ
オズボーンは1948年12月3日、イングランド・ウォリックシャー州のマーストン・グリーンで生まれました。幼少期から学習障害(ディスレクシア)に悩みながらも、ビートルズなどのロックに衝撃を受け、15歳で学校を中退して食肉工場や建設現場などで働きつつ、地元バンドのボーカリストとして音楽活動を始めました。
ブラック・サバス結成と革新
1968年、ギーザー・バトラー、トニー・アイオミ、ビル・ワードとともに「Earth」をブラック・サバスへ改名し、1970年にセルフタイトルのデビュー作『Black Sabbath』を発表しました。続く『Paranoid』や『Master of Reality』『Sabbath Bloody Sabbath』では暗黒的なリフと重厚なビートを融合させ、ヘヴィメタルという新ジャンルを確立しました。1979年には薬物・アルコール依存によるトラブルでバンドを脱退しました。
ソロキャリアと主要作品
1980年にソロデビュー作『Blizzard of Ozz』をリリースし、シングル「Crazy Train」は世界的なヒットを記録しました。以降、『Diary of a Madman』(1981年)、『No More Tears』(1991年)、『Ozzmosis』(1995年)、『Ordinary Man』(2020年)など計13枚のスタジオアルバムを発表し、全世界で1億枚以上のセールスを達成しました。ソロ初期の7作はいずれもマルチ・プラチナ認定を受け、ギタリスト・ランディ・ローズらとのコラボレーションが高く評価されました。
大衆文化への影響
1996年に妻シャロンと共に創設したOzzfestは、全米規模の音楽フェスティバルとして400万人以上を動員し、新進バンドに大舞台を提供しました。また、2002年から2005年にMTVで放映された『The Osbournes』では一家の日常を赤裸々に公開し、MTV史上最高視聴率を獲得、以降のリアリティ番組潮流を牽引しました。
健康問題と晩年
2003年にパーキンソン病を公表し、以降も背骨に関する複数回の手術を受けながら治療を続けました。2019年には自宅での転倒事故で頸椎と脊椎を損傷し、再手術を経験しています。それでも音楽活動を続け、リスナーに勇気を与えました。
最後のステージと死去
2025年7月5日、バーミンガムのVilla Parkで開催されたチャリティコンサート「Back to the Beginning」で、椅子に座ったまま最後のライブパフォーマンスを披露しました。7月22日、自宅で家族に見守られながら76歳で永眠され、世界中のファンと関係者から深い哀悼の意が寄せられました。
レガシー
“Prince of Darkness”の異名を持つオズボーンは、その特徴的なボーカルスタイルと過激なステージ演出で後続の多くのメタルアーティストに影響を与え、“ヘヴィメタルの教父”と称され続けています。ブラック・サバスとして2006年、ソロアーティストとして2024年にロックの殿堂入りを果たし、UKミュージックホールオブフェームやハリウッド・ウォークオブフェームにもその名を刻みました。
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