永遠に響くバリトン——尾崎紀世彦の歩み

尾崎紀世彦は1943年1月1日に東京都渋谷区で生まれ、神奈川県茅ヶ崎市で育った日本のポップス歌手・俳優です。
1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」を結成後、1965年にカントリーバンド、1967年からコーラスグループ「ザ・ワンダース」を経て、1970年にソロデビューを果たしました。
1971年にリリースした「また逢う日まで」は100万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞や日本歌謡大賞の大賞を受賞。
以後、映画やドラマへの出演、紅白歌合戦への出場など、歌謡界および映像作品の世界で幅広く活躍しました。
肝臓がんで69歳の若さで亡くなるまで力強い歌声を響かせ続け、その遺産は今もなお多くのファンに愛され続けています。

生い立ちと家族背景

尾崎紀世彦は音楽一家に育ち、父はクラシック・バレエのダンサー兼演出家、母はショーダンサーとして活動していました。
少年期からバンド活動に親しみ、地元の伝統行事にも参加しながら音楽への情熱を育みました。
愛称は「キーヨ」と呼ばれ、立派なもみ上げとひげ、そしてダイナミックな歌声が早くから周囲の注目を集めました。

音楽キャリアの始まり

1960年、尾崎は自身がリーダーを務めるハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」を結成し、日本にハワイアンミュージックを紹介。1965年にはカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」に加入して全国ツアーを経験し、1967年からはコーラスグループ「ザ・ワンダース」で多彩なハーモニーを学びました。これらのバンド経験が、後のソロ活動における多様な音楽性の基盤となりました。

ソロデビューと「また逢う日まで」の大ヒット

1970年にファーストアルバム『別れの夜明け』でソロシンガーとしての第一歩を踏み出した尾崎は、翌1971年3月にリリースしたセカンドシングル『また逢う日まで』で一躍トップスターの仲間入りを果たします。作詞を阿久悠、作曲を筒美京平が手がけたこの楽曲は、美しいメロディと力強い歌唱が多くのリスナーの心をつかみ、オリコンチャート1位を9週連続で獲得。累計100万枚以上を売り上げ、日本レコード大賞大賞および日本歌謡大賞大賞に輝きました。

俳優業とステージパフォーマンス

尾崎は歌手としての活動と並行し、1977年の映画『HOUSE ハウス』や1986年の『彼のオートバイ、彼女の島』、2005年の『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった』などに俳優として出演。
テレビ歌謡番組への定期的な出演や、1987年のシングル「サマー・ラブ」のスマッシュヒットを経て、1995年にはソロデビュー25周年記念コンサートを開催し、長年のキャリアを祝いました。
また、1971年と1990年のNHK紅白歌合戦への出場では、その圧巻のパフォーマンスで視聴者に強い印象を残しました。

私生活の光と影

1973年にハワイ在住の女性と結婚し二児をもうけるも数年後に離婚。1991年に再婚してさらに一児を授かりましたが、2006年に再度離婚を経験しました。プライベートでは波乱もあったものの、常に音楽活動を第一に歩み続けました。

闘病と最期

2006年の離婚後も精力的に活動を続けていた尾崎ですが、2012年初頭に肝臓がんと診断されます。同年5月30日、東京都内の病院で69歳の生涯を閉じ、日本の歌謡界に大きな空白を残しました。

レガシーとディスコグラフィー

死後もUniversal MusicやSony Musicから数多くのベスト盤がリリースされ、2012年12月発売の『ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦』はファンに高く評価されました。
2013年には「大衆音楽の殿堂」へ殿堂入りし、その功績が公式に讃えられました。2024年には1971年の紅白歌合戦映像のリマスター版がNHKで放送されるなど、時代を超えて再評価されています。

主なディスコグラフィー

  • 別れの夜明け(1970年)
  • また逢う日まで(1971年)
  • サマー・ラブ(1987年)
  • ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦(2012年)

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